10. 数時間後、彼女は家に帰ってきた。 今は、12cmの白い陶器に入っている。 彼女の姿が変わったとは言え、こんな小さなものに本当に入っているとは、とても思えない。 彼女の葬式が終わり、集まっていた人も徐々に彼女の家から姿を消し、夕方にもなると彼女の家にも静けさが戻ってきた。 俺は、彼女の位牌が置かれた部屋の片隅で柱に持たれ、ただ死ぬことばかりを考えていた。 「准くん、ごめんなさいね。ずっとリコに付き合わせてしまって。」 俺は、彼女のグローブを持ったまま、黙って首を横に振った。 「覚悟はしていたけど、・・・ダメね。もう、お葬式も終わっちゃったのに、リコがいなくなったなんて、まだ思えないのよ。・・・ただね?ただ、泣いてしまったら少しは楽になったの。パパには『泣いてたらリコが安心していけないだろ?』って怒られちゃったけど。・・・ねぇ、准くん?本当に、ホントに今日までありがとう。リコは、准くんに出会ってどんなにいっぱいの幸せな時間をすごせただろうって思うの。昨日もね、准くんの試合が終わる頃まではちゃんと意識もあったのよ?だからきっと准くんのこと、想ったまんま・・・・・ホント、眠る、ように・・・。」 彼女の母親は言葉を詰まらせ、握りしめていたハンカチで涙をぬぐった。 「・・・あ、ごめんなさい。また、パパに怒られちゃうわね。・・・たまにはリコに会いに来てあげて。・・・そう、そう、明日。雨があがったら決勝戦でしょ?球場には行けないけど、リコとここで応援してるから。もぅ、帰っても大丈夫よ?いつまでもここに居ちゃ・・・。ね?今日は、ゆっくり休んで。」 疲れているにもかかわらず、俺に気をつかってくれる彼女の母親に似た彼女の気持ちが、そこにあるような気がした。 俺は頷いた後、ゆっくりと立ち上がり持っていた彼女のグローブとボールを彼女の母親の前に差し出した。 「すみません。これ、やっぱり置いていきます。・・・なかに入れようと思ってたんだけど、俺・・・できなくて。だから・・・」 彼女の母親は、受けとりながら優しく微笑んだ。 「わかったわ・・・預かっておくわね。」 俺は、頭を下げ、彼女の家を後にした。雨足は弱まったものの、まだ雨は降っていた。傘もさすことなく、彼女の家から少し歩いたあの赤いポストに差しかかったとき、後から声をかけられた。 「・・・准くん!准くん、待って。」 小走りに近づいてきたのは、彼女の母親だった。 「よかった、追いついて。・・・はぃ、これ!」 渡されたのは、ポケットに入るほどの小さな箱だった。 「リコとね、入院した頃に、約束してて。『私が渡せなくなったら、すぐに渡して』って、リコが。今度にしようかとも思ったんだけど、やっぱり気になってね。」 俺は、出された箱を首を傾げながら受け取った。 「私も中身は知らないのよ。絶対に開けちゃだめってリコが言うから。お守りかしらね。よかったら、試合に持って行ってあげてね。・・・きっと、やめてくれるわよね。」 「・・・え?」 一瞬、心を見透かされたような気がした。 「雨。明日の決勝戦、頑張ってね。・・・それじゃ。」 彼女の母親は、一度だけ振り返り、俺に手を振ると足早に家へ帰っていった。 しかし俺にはもう、決勝なんて関係なかった。俺は、その箱をズボンのポケットにねじ込むと、彼女が死んだ現実からの逃げ道を確実に前へ進んだ。 準備もなく、高校生ができる自殺の方法なんて高い場所から飛び降りることくらいしか思いつかない。俺は、周りを見渡し、そこから見える一番高そうな場所へ向かって歩き始めた。 11. 『リコ。結局、今日もまた、遅れてるな。いつもごめんな。もう、これからはずっと側にいるから。』 俺は、高いビルの屋上の端に立った。さっきまでの雨は、止みかけている。いつか、公園で彼女とキャッチボールをしたような時間になったのか、辺りは薄暗くなり始めた。 ふと、あの公園が見えないかと、俺は反対の方角へと歩く。 「えっと、・・・あった。へぇ~、ここからだと、あんなにちっこいのか。リコでもここからの距離感だったら届いたよな?」 俺は、あの日、転がってきたボールの速度を思い出し、少し苦笑いをしたあと呟く。 「右投げの垣内もかっこよくない?か・・・。」 景色を眺めるうちに緑の森に囲まれた、白い大きな建物を見つけた。俺と彼女が出会った場所だ。 『リコ、知ってる?実は、俺、リコの第一印象があまりよくなかったんだよ?』 俺は、一度空を見上げ、微笑みに似たため息を深くついた。と、同時に足下に何かが落ちた。 それは、彼女の母親がくれた小さな箱だった。 『そう言えば、さっき・・・。』 今から飛び降りようとする俺には、この箱の存在なんて、そんなものだった。俺は、めんどくさそうにそれを拾った。その瞬間、蓋がはずれ、中から単語帳が転がり落ちた。 「あ~ぁ。」 俺はおもむろにそれを手に取り、ためらうこともなく表紙の1枚をめくった。 時間が一瞬とまった気がした。 『 好き 』 丁寧で綺麗に書かれた彼女らしいブルーの2文字だった。 俺は何秒かの静止のあと、無意識に彼女の文字を指で何度もなでていた。なんとなく小雨にさらされるのがイヤで、俺は濡れないよう、うずくまってその場に座り込んだ。 ビルの隅に何個か設置されている非常灯がじんわりと、ともる。 「・・・リコ。」 俺は呟くように彼女の名前を呼んだ。指が勝手にページをめくる。 文字にも気づかず、『好き』の裏に視線を落とした俺は、あふれる何かをうまく押さえきれずに全身が震えだした。 『 私に出会ったことが『奇跡だ』って言ってくれた垣内 』 俺の目は、自然に次のブルーの2文字を追う。 『 好き 』 『 勝手にされた約束を守ってくれた垣内 』 『 好き 』 『 初めてのキャッチボールで右の全力投げをしてくれた垣内 』 「・・・あいつ、何言ってるん・・・・だょ。」 俺は彼女の言葉を、次々に「目」で、聞いていく。 『好き』『長イスに座り退屈そうにボールを触っていた垣内』 『好き』『手紙を書くのが苦手な垣内』 『好き』『いつも私の歩幅に合わせてくれる垣内』 『好き』・・・・・・・・・・・・・・彼女のブルーの文字が少しゆがみはじめた。 『好き』『帰りは必ず赤いポストまで送ってくれた垣内』 『好き』『弱気な私を守ってくれるように抱きしめてくれる垣内』 『好き』『リハビリが上手くいかず、悔しくて床にアタっていた垣内』 「これって、出会う前だろ?・・・見てたのか、あいつ。」 俺は、待合いで初めて会ったとばかり思っていた自分をあざ笑った。