4.
一年生の夏は、つきあったばっかりで、彼女をどこへもつれていけなかった。二回目の夏は、野球の練習や試合でどこにも行く時間がなかった。
「来年の夏は、必ず、どこかに行こうな。」
「あ、でも、垣内、甲子園で、それどこじゃないかもよ?」
「甲子園か・・・ないな。よっぽどの奇跡がおこらないと。」
「奇跡?・・・おこさないの?」
「・・・リコに会うのに『奇跡』つかっちゃったからな・・・っていうのはどう?」
「垣内が言ったら、なんかうそっぽい。」
「お前ねぇ。」
俺は、ホントにそう思っていたけど、照れくさくて、そんなこと真面目には言えなかった。彼女が優しい表情で『嘘っぽい』と言ってくれて、正直ホッとしていた。しかし、簡単に『奇跡』なんて言葉を使ったことに、俺は後で後悔した。本当に奇跡をおこしたいときが、この後に訪れるとわかっていたら、もっと彼女を安心できる、『奇跡』を言葉にして伝えてあげられたと思う。
この頃から俺たちは毎日、電話かメールで必ず連絡を取りあった。10分でも5分でも時間ができたときは、会うようにしていた。
『ごめん、5分遅れる』
10分しか会えないのに、5分遅れてしまったら残りは5分しか会えない。こんな単純な計算なら、小学生でもわかるのに、俺は約束の時間に必ず間に合わない。
『いいよ、気をつけて来てね。』
いつも彼女は俺に時間を合わせてくれていた。でも、そんなある日、いつものように遅れるとメールしたあと、返事がこなかった事があった。待ち合わせ場所には、彼女が待っていた。
「ごめん。また遅刻した!」
「しかたないよ、野球いそがしいんだし。」
返事をする彼女に笑顔はなかった。
「ホントにごめんって。今日は、練習も終わったし、長くそばにいれるからさ。な?」
「知ってるよ。」
「何?おこってんの?」
「怒ってないよ。・・・長い時間ってどのくらい?」
高校生の俺たちが、夕方待ち合わせて、夜遅くまでと言っても限られている。
「じゃぁさ。今日は、遅れたからお前の家まで送ってくよ。」
「なんかそれって、罰ゲームみたいだね。」
「もぅ、なんだよ。何がイヤなわけ?」
俺は、彼女の態度がとにかく気にくわなかった。何を言ってもその日は彼女の機嫌が戻ることがなかった。俺は、罰ゲームと言われようが、彼女の家まで送っていくと意地を張ってみたが、彼女は聞き入れてはくれなかった。結局、いつものように、彼女の家が見える角の赤いポストの前まで送った。
「今日、会わない方がよかったみたいだよね。楽しくなかっただろ?」
「そんなこと・・・ごめん、私のせいだね。」
「まぁ、俺が遅れたわけだし。」
帰りには俺まで、機嫌が悪くなっていた。
「今日ね。病院行ったら、2つ下の同じ病気の子・・・3日前に亡くなってた。」
俺はどんな言葉を彼女にかければいいのかわからなくて顔を隠すように額をかきながら彼女から視線をそらした。
「なんか、はじめて死を意識したよ。・・・死ぬのが怖いなんて、全然思わないけど。・・・当たり前に過ごしてる時間が、突然無くなるってどんなかんじなんだろうね。」
このとき本当は『死ぬのが怖い』と俺に伝えたかったんじゃないだろうか。だとしたら目を伏せたまま、呟くように言った彼女を、言葉なんかじゃなく抱きしめるだけで良かったんだ。でも俺は、それができずに彼女の不安をどうにか言葉だけでぬぐい去ろうとしていた。
「俺さ、事故のあと3日間も眠ってたのに、目が覚めると事故から一瞬でさ。『生きてる』って時間を感じることなんだって思った。・・・今、俺とリコはふたりで『生きてる』よね。」
彼女は、口元でもう一度、呟いた。
「生きてる・・・そっか。『生きてる』。・・・せっかく、ふたりで『生きてる』のに、ムダにしないでね。」
と言って、いたずらっぽく彼女が笑った。
「それ、遠回しに、今日遅刻した俺を責めてない?」
「ははは、気がついた?・・・そうだね、『生きて』たいね、これからもふたりで。」
その日、一日彼女が抱えていた不安を、そう簡単にはぬぐえなかったはずなのに、彼女は俺にみせることなく俺の言葉に笑ってくれていた。
「ふたりでってことは、リコの時間が無くなったら、俺も同じように時間が無くなるってことだからな。」
俺は、急に、目の前にいる彼女の時間が無くなってしまいそうな恐怖に一瞬襲われて、そう言葉を続けた。
5.
一人っ子の彼女は、理解のある両親をもつ俺から見ても、とても大事にされていた。何度も入退院を繰り返す彼女を支えたのは、俺ではなく、まさしく彼女の両親だった。彼女がいつも俺のまえで自然な笑顔をみせられていたのは、この両親の絶対的な強さがあってのことだっただろう。
俺は、そんな彼女の両親の強さを尊敬していた。
「准くん、今年も春の大会、ホント、惜しかったわね。おばちゃん、リコと一緒に応援に行ってたのよ。絶対相手の、あんな緩い球投げるピッチャーより、准くんの方が断然優れてると思うわ。」
俺は、彼女の家には、もう何度も遊びに来ていた。でも、いつまでたっても俺は借りてきた猫のように、ソファーに座った足は閉じたままだった。
「ママ?邪魔!ほら、垣内、ママがいると緊張しちゃうから。それに、相手のピッチャーは3年生で、注目されてる選手なんだから。」
「へぇ、そうなの?全然知らないけど。というか、リコ、親に邪魔はないでしょ?そんなに急がせなくても、時間、あるわよ?もう。ホント、せっかちね。・・・はいはい、わかった。じゃぁ、さっさと部屋に行っちゃいなさい。11時がきたら、病院、送っていくから。あとで声、かけるわね。准くん、お願い。」
時には親友のようになる彼女たちの会話を聞くのを、俺は嫌いではなかった。
しかし、彼女の母親は、この日、俺にどうしても伝えておかなくてはいけない事があった。いつものように、俺と彼女は、彼女の母親の車で病院に着くと、ふたりで検査室へ向かった。検査が済むまで俺は、いつも待合室で期末テストの赤点の代わりに渡された課題を、後で彼女に教えてもらえるよう、淡々とこなしていた。
「・・・准くん?」
さっき、病院の前で別れ、帰ったはずの彼女の母親がそこには、立っていた。
「勉強中、ごめんなさい。ここ、いい?」
「あ、はい。」
彼女の母親は、いつもより顔がこわばっているように見えた。彼女の母親は、一度ため息をつき、大きく息を吸うと吐き出す勢いで話しはじめた。
「パパとね、相談したの。もう、ずっと前から准くんには、話さなくちゃいけないって思ってきたから。感謝してるの、ホントに。リコと付き合ってくれてありがとう。でもこの先のことは、准くんが決めていいから。」
今から話すことの重要性を悟り、俺は持っていたシャーペンを机に置いた。
「リコね、今度、入院したらそれが最後になると思う。」
『今度の入院でリコは、完治するんだ』と、単純に思った。俺は、たった17年しか生きていない、ただの野球好きの小さい人間に過ぎなかったことを思い知らされることになるとも知らずに、彼女の母親の言葉を受け止めていた。無表情の俺に、確かめるように、もう一度彼女の母親は言った。
「准くんが、決めていいから。・・・これからも同じようにリコとつきあっていける?」
俺は、彼女の母親の目に隠された本当の意味を見つけた。彼女の母親は、何も言わず小さく頷いた。
「・・・私たちはね、何度もその覚悟はしてきたのよ。何度も。・・・余命を言われてから、もう3年ね。最初に言われた年数は、もう超えちゃったわ。」
『よくわからない』、これがその時の俺の正直な気持ちだった。
そんな言葉を大人に言われても、実感なんてわかないし、理解できるはずもない。
彼女の病気の死亡率が高いことは、知っていた。でもなぜか、俺は、パーセンテージが低い生存率の方に彼女がいると、勝手に思い込んでいた。彼女の血液の中のとんでもない奴が、俺が彼女と優しいゆっくりとした時間を過ごしているうちに、誰も闘えないほど凶暴な奴になっていたことに、俺は言われるまで、どうして気がつかなかったのだろう。
「・・・俺、・・・別れたくないです。」
やっと言えた一言だった。彼女の母親は、彼女の病気の現状やこれからの治療、彼女がこの先どうなっていくか、細かく話してくれたがよくは覚えていない。むしろ、俺は、彼女の病気のことなんて、これ以上何も知りたくなかった。
ただ、俺はまだ、彼女の母親からその話を聞いた後でさえ、10%にも満たない範囲内に彼女をすえ置き、この先何も変わらないと、根拠もなくそう考えていた。
しかし、彼女は、話を聞いた俺の微妙な変化を見過ごすことはなかった。
「垣内、野球、スランプ?」
「どして?」
「最近、垣内、こんなふうに手つなぐこと多いから。」
一緒にいる時間は手をつないでいないと、俺自身不安で、どうにかなりそうだった。
「え?・・・んじゃ、放すよ!」
不機嫌にそう言うと俺は、その不安な気持ちを断ち切るかのように、手を振り払おうとした。
「うそ、うそ。このままがいい。」
「じゃ、変なこと言うな。」
「ごめん。・・・っていうかさ、この間の試合、ボッコボコだったらしいじゃん。やっぱ、垣内は、私が応援に行かないと全然ダメなんだなぁって、思っちゃって。」
「はい?お前ね、女ごときで、どうにかなっちゃうような野球、俺がしてると思う?」
「へぇ~、いいとこなしで、負けたくせに。そういうときは、『リコがいないと、俺全然ダメなんだ』とかって言ってくれると、『そぅか、そぅか』って、なぐさめてあげるのに。」
彼女には、どんな表情で俺の顔が写っていたのだろう。
「俺は、男だからね。たとえ、思っても口にはしないし、できないよ。」
「・・・え?今のなに?何のドラマのセリフ?」
俺が試合に負けたのは、彼女のせいだと認めてしまえば、よかったのだろうか。たとえそうすることで、彼女も強がらずに弱い自分を俺に見せられていたとしても、きっと俺はできなかった。ただ、自分を支えることで精一杯だったあの頃の俺を、彼女に自分の病気のことより心配させないために、俺は、その日以来、試合に負けるわけにはいかなくなった。
6.
俺は、相変わらず、彼女を確率の低い場所に置き去りにしたまま、大事な試合という試合に勝利していった。そうすることでしか、彼女を不安から守る方法が見つからなかったからだ。でも、現実はそんなことで、守る事なんて何一つできなかった。4月になると、彼女は出席日数が足りず、知らないうちに一つ下の学年になったし、通学がはじまって何日もたたないうちに、彼女の母親は告げた、最後の入院生活にはいっていった。彼女の不安は、きっと俺では想像できないほど膨らんでいたに違いない。
「垣内の血管って、点滴、すぐささりそうだよね。」
「なんだよ。それ、褒めてるなら、全然嬉しくないし。」
「だって、みつからなくない?他に、垣内の褒めどころ。」
「せっかく見舞いにきて、久々に会ったのに、そういうこと言うなよ。」
パジャマは嫌だと言って、俺とおそろいの有名なスポーツメーカーのジャージを着た彼女の腕は、点滴のあとであざだらになった。腕の血管にはもう入らないからと、手の甲に刺された注射針は、むしろ彼女の体力を奪っているようにも思えた。
「垣内は、大学に進学するつもりなの?私、いろいろ考えたんだけど大検受けて、垣内と一緒の大学行きたいなって。」
彼女が、あたりまえのように、未来を語った。俺は動揺して、不自然に返事をした。
「え?だ・・・大学?」
「あ、ごめん、・・・そういうの、重いんだよね、垣内。ごめん、いい、忘れてよ。」
彼女は、ずっと指に挟まれているバイタルサイン測定器をはさみ直し、小さなため息をついた。
「重いとか、そういうんじゃなくて・・・。」
「ちがうの。たぶん、私、垣内より、下の学年っていうのが、なんか納得いかないんだと思う。ほら、垣内先輩なんて、絶対言いたくないし。」
彼女は、冗談を言って話をごまかしたつもりでも、俺は急に、どうしても彼女が描いている彼女の未来を知りたくなった。
「なら、この辺の大学にしない?」
「・・・もういいって。」
「で、俺の頭でいけるこの辺の大学ってどこなわけ?」
「垣内。もぅ、いいんだって。」
「・・・あっ!」
「なに?もぅ、急に大きな声、ださないでよ。」
「お前、今、俺の偏差値の低さに気がついて、『大学なんて、こいつには無理』とか思ったろ?」
「え?」
「でも、残念でした。俺には、スポーツ推薦という、枠があるんだよ。知ってた?リコ。」
俺は、自慢げに彼女を覗いた。すると彼女は、俺の言葉に吹き出して、声を出して笑いはじめた。
「今ごろ?わかってるよ、そんなこと。」
彼女は、いつものように上から目線の言葉で俺をからかう。
この瞬間だけは、場所が病室であることも、彼女が病気であることも忘れて、夢中でふたりで未来を語った。彼女が俺との未来を想像するように、俺も彼女との未来を想像してもよかったんだと、嬉しくて想像をふくまらせた。
でも彼女は、現実から逃げる手段として、未来の話をしていたんじゃなかったんだ。俺にそのうち現実から逃げる事ができなくなって最後に逃げ場を失うより、覚悟を少しずつつみ重ねながら現実と向き合うことをしてほしかったんだと思う。
結局、俺は彼女の理想どおりの人間にはなれなかった。ただ、現実を考えないようにして、俺はだんだん追いつめられていった。
つづく