◆寄り道ギャラリー1分間のウジェーヌ・ブーダン(3) | 新・駅から駅までウォーキング

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寄り道ギャラリー1分間(その145)


今日は、ウジェーヌ・ブーダン

私の好きなミステリと海外旅行

ウジェーヌ・ブーダン
『トルーヴィルの浜』1867年
(国立西洋美術館蔵)


★ちょっとひとこと


ウジェーヌ・ブーダン(1824~98)はフランス、
ノルマンディー地方のオンフルールの生れ。


オンフルールの港はこんな感じ。

私の好きなミステリと海外旅行


父親は水夫だったが、セーヌ河対岸の街、
ル・アーヴルに移り文具商となった。
ここでブーダンは趣味で絵を描きながら画材、額縁
などを売っていた。
当時この付近の海岸には、夏になると多くの画家が
絵を描きに来ていたのだ。
ミレーやトロワイヨン、クールベらとの出会いも
この頃生まれた。
また、こうした画家たちの絵を販売したりしていた。

1845年頃画家になることを決意し、店は友人に譲り
パリに出て勉強した。
3年ほど修業したのち帰郷し、ノルマンディー地方
の海を中心とした風景画を描き続けた。


1859年にサロン入選を果たし、その後も出展を続け
1889年には金賞も獲得している。
そして1892年にレジオン・ドヌール勲章を受け、
ナイトの称号を得ている。


ブーダンは徹底してアトリエでの制作を嫌い、自然
の光の下で絵を描いた。
外光主義の先駆者のひとりだ。


彼の絵の特徴は空の面積が広いということ。
2/3から3/4が空なのだ。
こんなに空にこだわった画家はいない。
だから別名「空の画家」と呼ばれている。
また、この空と雲の気持の良いこと。
ブーダンの右にでるものはいない。


さて、ブーダンの大きな功績はと言えば、それは
クロード・モネとの関わりから生まれた。
モネは子供の頃、有名人の似顔絵(フランスでは
カリカチュアといい、雑誌や新聞に載っていた)
が上手で、かつてブーダンが経営していた店で
売られていた。
ここでブーダンはモネに対し、屋外写生に誘う。
モネはブーダンが外光の下で直接絵を描くのを
見て「突然目の前から霧が晴れるような」感動を
覚える。


ブーダンは熱心に風景画について教え、モネの目が
開かれていく。
モネは画家になる決意をし、ブーダンの紹介状を
もって、パリの街に出てゆく。
モネは18歳だった。


その後のモネの活躍は言うまでもない。

モネは晩年にブーダンとの出会いについて、
「ブーダンは誠実に教えてくれた。この時から、
私の進むべき道がはっきりしたのだ」と語っている。

モネの才能を見抜き、屋外での制作の楽しさを教え、
パリ行きを薦めたブーダン。
彼がいたからこそ、モネは一流の画家となり、
印象派が形成され、そして巨大な潮流となって
いった。


この『トルーヴィルの浜』はブーダンを語るのに
欠かすことのできない貴重な1枚である。
1859年にボードレールが「大都会風景とでも呼びたい
ものが欠けている」と、それまでの自然の風景だけを
主題としたブーダンの絵を評している。
おそらくこの言葉がきっかけとなって、浜に集う人々
の群れを描くようになったのだと言われている。
トルーヴィルはパリの人たちの避暑地なので、最先端
の流行を身にまとった風景が見られたことであろう。


ブーダンの場合、どの絵にも共通して空はすがすがしい。

本当に気持ちが良い。

私も同じ感性を持ち合わせているのかもしれない。


寄り道ギャラリー1分間(その145)        
                ‥ウジェーヌ・ブーダン(3)
2011.4.24 & 2011.7.23 & 2012.7.3