○ルーヴル美術館のレオナルド・ダ・ヴィンチ(1) | 新・駅から駅までウォーキング

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ルーヴル美術館(5)
       ‥レオナルド・ダ・ヴィンチ(1)


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レオナルド・ダ・ヴィンチ
『岩窟の聖母』1483~86年


★ちょっとひとこと


レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)は
イタリア、トスカーナのヴィンチ村の生れ。


14歳の時フィレンツェに移り、画家
ヴェロッキオの工房に弟子入りした。
27歳で独立、30歳の時ミラノに移った。
ここでミラノ公ルドヴィコ・イル・モーロに
仕えたが、彼が失脚したあとはマントヴァ、
ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ、ローマ
を転々としながら絵画を描き、また解剖学を
中心とした自然科学の研究にも没頭した。


1515年に即位したフランス王フランソワ1世の
招きで、レオナルド・ダ・ヴィンチは
アンボワーズ城に隣接したクルーの館で晩年を
過ごした。
1519年にそこで亡くなった。


『岩窟の聖母』はミラノに移住して、すぐに
礼拝堂祭壇画として描かれた作品。
光と影を巧みに表現し、背後に奥行きを感じる。


実は全く同じ名前の作品を、過去にロンドン・
ナショナル・ギャラリーで見たことがあるが、
描かれた年代はかなり違う。
ルーヴルのものは1483~86年で、ロンドンの
ものは1495~1508年に描かれた。
シチュエーションは同じだが、細部は少し
違っている。
こちらルーヴルのほうが、より人間的な
あたたかみを感じる。
晩年にいくほど、洗練されてスマートになって
いったような印象を受ける。


彼はミラノ公に対し、自らを軍事技術者、建築・
土木技師だとして売り込んでいて、城の改築や
運河工事を手がけている。
さらに、演出家として宮廷でのイベントを企画
したり、楽器を開発して、それを自分で演奏する
など何でもやってのけた。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、まさに「万能の人」だ。


ルーヴル美術館(5)
         ‥レオナルド・ダ・ヴィンチ(1)
2001.9.9 & 2010.6.21


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