〈はじめに〉
時代をも転換する台詞がある。
それをクニラは「時代を切り裂いた台詞」と呼んでいる。
その転換が後にスタンダードとなることで、暦はそれ以前とそれ以後に別れる。
それが当たり前のことだったように。
この記事は、クニラが好きな「名台詞」を語りたいだけの記事です。
それは金言・格言の類いではなく(それもあるが)ただの「台詞」である。
クニラの好きな名台詞には「時代を切り裂いた」名台詞も多い。
選ぶ「名台詞」のジャンルを問わない。
古今東西はもちろん、歴史上の人物、漫画やアニメ、映画やドラマ、ライブやコンサート、ゲーム、スポーツ等々、フィクション、ノンフィクションを問わず、そこで発せられたクニラの好きな「名台詞」を記事にしていきます。
また、「台詞」と言うと、全てフィクションと思われてしまうかもしれない。
確かに現代人が実際に発した言葉は「発言」であり、それを「台詞」とは言わないであろう。
ただ、クニラが選ぶ発言は「名言」と言えるレベルではないものもあるので、あえて「台詞」としました。
まぁ、人生など物語のようなものだしね。
また、この記事は決して真面目な記事ではありませんので、あしからず。
【File.2「ライブハウス武道館へようこそ!」by氷室京介】
前回の記事では信長の「是非に及ばず」を書いたが、今回はBOØWYという振り幅よ(笑)
しかも、ライブの煽りを名台詞と言うのか?
いやいや、クニラにしたら、ライブの煽りも立派な名台詞ですよ。
まぁ、良い。
本題に入る前に、まずは、BOØWYの説明をしなければならない。
いや、説明だけでなく、BOØWYの偉大さを書かねばなるまい。
そして、時代背景が最も重要になる。
BOØWYとは1980年~1988年(諸説あり)まで活動していたロックバンドであり、メンバーは、
VO.氷室京介
G.布袋寅泰
B.松井恒松
Dr.高橋まこと
デビュー時は6名編成だったが、2枚目アルバム以降は4名編成で活動。
うーん、後は調べて下さい(笑)
今では伝説のバンドと言われているロックバンドである。
当時はビートロックとか言ってたか。
まぁ、パンク系ビジュアルバンドのはしりでもある。
クニラがBOØWYと出会ったのは、この記事の主題となる台詞が収録されているライブアルバム「GIGS」と6枚目のアルバム「ビートエモーション」の間であった。
ブレイクする少し前。
リアルタイムの皮膚感で言えば「少し遅いが間に合った」と言った感じか。
詳しくはネット等で調べて欲しいのだが、いくら調べてみたとて、リアルタイムに接していなければ、その偉大さは理解できまい。
なぜなら、今ではそれが当たり前のことになったからだ。
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まず、当時の音楽界を説明せねばなるまい。
当時(少し前も含めて)の音楽界は、それこそ「界」に別れていた。
演歌界、歌謡界、ニューミュージック界、メジャーロック界、そしてアンダーグラウンドロック界。(クラシック界は除く)
クニラが勝手にカテゴライズしたので、反論はあろうが、まぁ、聞いてください。
演歌界は今でもある演歌歌手の世界であり、そこにヒエラルキーが存在する世界。
歌謡界は今では存在しないが、アイドルも含めて存在していた。
そう!昔は歌謡曲というジャンルが音楽界の主流だったのだ。
ニューミュージック界は、フォークから発展していった、いわゆるシンガーソングライターの世界。
メジャーロック界とは何ぞやだが、ここがポイントとなる。
メジャーロック界とは、ロックというカテゴリーではあったが、大きな括りでは、歌謡界(芸能界)に含まれていた世界。
そんなことあるの?と思われるかもしれないが、それが、当時の時代背景なのだ。
分かりやすく例えを出せば、テレビに出る人(グループ)と言えばよいか。
初期ならチャー、原田真二、ツイストのロック御三家を始め、サザンやゴダイゴ等もそうだ。
今では信じられないだろう。
彼らのテクニックや楽曲のクオリティは信じられないレベルの高さだ。
ただ、当時はロックというカテゴリーの中では、かなりバカにされていた存在だったのだ。
コンテスト上がりとか、彼等はロックじゃないなどと、散々な言われようでもあった。
ここまでで大きな線が引かれている。
ここから下は別の世界。
超えられない壁である。
アンダーグラウンドロック界。
これはクニラが勝手に総称したものなので、正式ではないので、あしからず。
先に書いた「界」とは、すなわちメジャーであり、アンダーグラウンドロック界はマイナーとなる。
これは、そのままの意味で、メジャーなレコード会社からリリースしている人(グループ)と、そうでない人(グループ)の差なのだが、今では配信やなんやとあるが、当時はインディーズという概念は自主制作というレベルでしかなく、ようするにメジャーデビューこそが絶対的世界の中で、それが出来ずに(またはせずに)、または出来たとしても売れずに、ライブハウスを中心に活動していた人(グループ)を言う。
そして、当時は、それこそが(ライブを中心とした活動が)本当のロックだと認識されていたのだ。
ただし、当人達は、それがロックだと息巻いて見ても、誇り半分、屈折半分、結局はメジャーへの挑戦であり、ラフィンノーズのアルタ前ソノシート配布も、ウィラードのアルタ前ゲリラライブも、有頂天のナゴムレコードすら、それを否定出来ない。
それほどメジャーとアンダーグラウンドでは壁が
あったのだ。
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そして、音楽界は全て(ほぼ)同じステータスを目指していた。
その頂点が紅白歌合戦出場。
他にはベストテンやトップテンのようなランキング番組への出演。
そして夜のヒットスタジオへの出演。
つまりはシングルのヒット曲こそが正義であり、
シングル至上主義だ。
たとえそれがロックというジャンルであっても、またアルバムで名盤を出そうとも、結局はヒット曲を出して、上記のテレビ番組に出演しなければ認められないのが当時の音楽界なのだ。
しかしながらロック界(メジャーもマイナーも)での1番のステータスは日本武道館ライブであり、それは、シングルヒットがなくても、音楽界で認められる唯一の方法でもあった。
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説明が長くなった(笑)
ただ、当時の音楽界の状況を説明しなければ、BOØWYの凄さが分からないのだ。
なぜなら、長々と書いてきた当時の音楽界をBOØWYが全て壊して、再編成したのだから。
壊したというよりは意味の無いものとしたと言う方が合っている。
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そんな中、ここで新たな潮流が生まれる。
先のメジャーロック界とアンダーグラウンド界の中間(ほぼメジャーだが)
テレビにはあまり出ないが、アルバム制作やライブ活動をメインにして、選んだメディアには露出する、いわゆるミュージシャンとかアーティストとかと呼ばれ始める人達。
特にCBSソニーとEPICソニー所属のアーティスト達。
これをソニー文化とでも言おうか。
または「ミュートマジャパン」文化(笑)
その後「PATi PATi」や「B-PASS」等の音楽誌は「明星」や「平凡」等のアイドル誌と肩を並べる程になる。
ひとつのムーヴメントが出来た。
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BOØWYは元々アンダーグラウンドで活動している。
但し、それはメジャーデビュー後の話であり、そもそもメジャーデビューから活動が始まっている。
要するにアマチュア時代がない。
当時は珍しい事ではなく、アンダーグラウンド界にも階層はあった。
事務所に所属しているか(プロ)否か(アマ)だが、実はこの壁が1番高い。
少なくともBOØWYはプロであり、事務所にも所属しているが、売れていなかったため(1枚目2枚目アルバムは後に絶版となっている)ライブハウスでの活動がメインとなり、アンダーグラウンド界に身を置いていたのだ。
これは後々、彼らにとってのアイデンティティとなり、また、逆にアンダーグラウンドへの拘りから解放をさせた。
BOØWYがホールライブをし始めたのは3枚目アルバム。
そして、先のソニー文化、そのムーヴメントに合流するのは、4枚目のアルバム「JUST A HERO」をリリース後だ。
「PATi PATi」や「B-PASS」でもライブハウス上がりのバンドと紹介せれていたと記憶している。
(昨今の芸人と似ている。地下芸人上がり等のカテゴリー)
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そして1986年。
4枚目アルバム「JUST A HERO」を引っ提げて、
「JUST A HERO TOUR」が行われる。
その最終日は1986.7.2日本武道館。
もちろんBOØWY初の武道館である。
そのライブの終盤、BOØWYのキラーチューンである「IMAGE DOWN」
「イメージダウン、イメージダウン、イメージダウン、ダウン、ダウン」と観客に歌わせる場面。
その際に、声が小さい観客への煽りとして発せられた台詞。
それが、クニラの好きな台詞
「ライブハウス武道館へようこそ」である。
シビれた。
思春期のガキには、たまらなくシビれた。
それはクニラだけではないはず。
クニラは生で聴いた訳ではなく、最初に聴いたのは、この日のライブを特集した深夜のテレビ番組「NEW AGE MUSIC」だったと思う。
その後、アルバム「GIGS」で何度も聴いた。
もちろん録画したビデオでも。
今だと、少しダサい気がする(笑)
ただ、それは武道館の地位が低くなった事と、逆にライブハウスでの活動に惨めさがなくなったから、この台詞の凄さが薄れたからだろう。
なぜ、この台詞にシビれたかと言えば、当時、ロックをやるものにとって、ライブハウスから1番遠い場所に武道館があったからだろう。
(クニラにとってはロフトすら遠い場所ではあったが)
伝統と格式、キャパも含めて、日本武道館などライブハウスバンドが立てる場所ではなかった。
ましてや大きく括ればパンク寄りのバンドならなおのこと。
そんな最高峰の日本武道館のステージで発せられた「ライブハウス」というミスマッチな単語。
そして武道館を「ライブハウス」と例えた彼等の矜持。
そのどちらにもBOØWYというバンドにはリアリティがあり、それゆえにシビれたのだ。
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「ライブハウス武道館へようこそ」
この台詞(煽り)は、その時、その瞬間、とてつもなく光を放ったが、だからといえ、まだ「時代を切り裂いた台詞」とまではなっていない。
それは後々のBOØWYの快進撃があればこそだ。
そもそも、この武道館をライブハウスに例えるのは数年前に忌野清志郎が発しているし、ライブハウス上がりの武道館ライブは爆風スランプが先だ。
そうであっても、クニラはBOØWYのこの台詞こそが時代を転換させたと思っている。
それは、その後のBOØWYが変えてしまった数々のことが物語る(良きにつけ悪しきにつけ)
BOØWYによって変わってしまった様々なこと。
バンドブームで楽曲の多様性を拡げたことで、シングルヒット至上主義を終わらせ、逆に自らシングルヒットを出したことでランキング番組を終わらせ、歌謡曲を消した。
そう、歌謡界が消滅してしまったのだ。
今、J-POPなどと呼ばれているもののルーツを紐解けば、BOØWYから始まっている。
これは極論ではない。
BOØWYがBOØWYのスタイルのまま売れたことで、音楽界がBOØWY以前BOØWY以後に別れた。
BOØWY暦という新たな暦が出来たのだ。
そして、その分岐点を探れば、まさに「ライブハウス武道館へようこそ」の煽りであり、ゆえに、時代を切り裂いた名台詞と言えるのだ。
名台詞とは、その時代、その場所、その瞬間、ベストなタイミングに発しなければ輝かないものであり、その時代を生きたクニラだからこそ、好きと言える台詞なのかもしれない。
おわり。