この記事は「がん」告知をされた
2015年から記憶を振り返って綴っています
現在はバツ2のシングルですが
2度目の結婚中、
がん告知後に
受精卵凍結を終え
術前抗がん剤治療が始まる前
の事を綴っています
こちらからの続き
2015年8月上旬
受精卵🐣凍結が無事に出来たと
連絡を受け
費用の支払いと主治医の診察を受けに
杉山産婦人科に行きました。
診察室に入り
もうここでお世話になることは
ないのかな
受精卵を凍結した事で
やり切った感
があり、これから何を目標にしたら
いいのだろう。と思いました⤵︎
これから先のことは全く想像できないし
受精卵を凍結したものの
乳がんになった私が
母親になるチャンスはあるのかなって
そんなことを心の中で思っていたら
主治医からこう言われたんです
「今の時代、
40代後半〜50代でも
出産は珍しくありませんよ
僕は60代のお産もやりましたからね
母乳で育ててましたよ
完治してからでも
可能性はありますよ」
私「そうなんですね
私はもうダメ元だとは思ってるんですよ
40代半ばで出産する体力もないと思うし⤵︎」
主治医「帝王切開なら
大丈夫🙆♀️だよ👌
卵巣は歳を取るけど
子宮は歳をとらないから
元気になったら戻ってきてくださいね」
私はこの先生の言葉があったから
元気になって
妊娠🤰できることを夢見て
前向きに頑張ろうと
思えたのかもしれない…
あれから7年経過して今でも
受精卵を凍結した自分の決断は
間違いじゃなかった
やってよかったと
思えるのも
杉山産婦人科の最後の診察が
悲観的なものではなく
子供を産むために
治療を頑張ろう💪と思わせてくれたから。
だと思うんです
ABEMA TIMES