この記事は「がん」告知をされた
2015年から記憶を振り返って綴っています
現在はバツ2のシングルですが
2度目の結婚で2回目の体外受精に
挑んでいた時の話です
こちらからの続き
告知を受けた乳腺クリニックから
T病院への紹介状を書いてもらいましたが
他に病院がないか
考えた時、
私が20代の時に
所属していた芸能事務所がありまして
同じ事務所の子で
ロケで知り合い
仲良くなった医学生がいました
彼女は医大を卒業後
大学病院の医局で
大腸癌の外科医として
バリバリ働いていました
美人で外科医な
彼女は私にとって
憧れでもあり
自慢の友達でもありました
その彼女に連絡をして
①乳がんになってしまったこと。
②不妊治療中での発覚で、
可能ではあれば
治療後に受精卵🐣を移植したい
この2点を伝え
どなたか良い医師👨⚕️🧑⚕️が
いないか
を聞いたんです。
彼女はちょっと待ってね
探してみると言って
一晩開けたあとに
連絡が来ました。
「クニコ、私は静岡の病院に
転勤で勤務してるけど
元々はJ医大の医局に
働いているので
そこの乳腺外科に
N先生という女医さんがいるの。
女性の癌だから
女医👩⚕️の方がいい
と思うし
クニコのことを
N先生に話したら
受精卵の件に対しても
柔軟に対応してくれる
と言ってくれてるよ
そして今度の火曜日、
午前10時位に来てくれれば
すぐ診てくれるって」
私🙎♀️
「J病院の紹介状がないけど
大丈夫かな」
友達👩⚕️
「T病院の紹介状で
対応してくれると
言ってるから大丈夫🙆♀️」
そんな流れから
私はJ病院で診てもらおうと
決意をしました。
ですが
この決断が
のちに
一波乱もニ波乱も
起きるとは
想像しませんでした
※経緯はブログで綴りますね。
なにしろネタが沢山ありすぎる
私なんです
続く…