この記事は「がん」告知をされた

2015年から記憶を
振り返って綴っています

現在はバツ2のシングルですが
2度目の結婚で2回目の体外受精に
挑んでいた時の話です

 

  こちらからの続き

 

​2015年5月29日(金)

乳がんと宣告された日


青天の霹靂

というのは

正しくこの時の事を

言うのだと思いましたあせる


色んな思いが交差しましたもやもや


健康だけが

取り柄だった

自分が乳がんになるなんて…ダウン

 受精卵🐣移植しないで

良かったくるくる


しかし受精卵の

凍結確認をした日に

乳がんの告知って

どんだけ私は悪い事をしたって

言うの??


新しい生命ハイハイ

待ち望んでいるときに

死を想像・覚悟しなくては

いけないなんて

なんて残酷なんだむかっ


私はもう母親には

なれないんだろうか

がん

になったショックより

子供ハイハイを産めない身体に

なってしまったこと。

孫を望んでいた私の両親、

私の夫に

申し訳ない気持ちで

いっぱいだったアセアセ


そしてこの告知から

7年経過した

今の今でも

両親や夫に対する

申し訳なさと

子供を産めなかった現実

苦しめられている

自分がいますダウン


※また、徐々にブログでお話をしますが

私はがんと告知されてからも

子供ハイハイを諦められず

更に受精卵を凍結します。


そしてステージ4と告知をされても

諦められなかった。

けどそれは私のエゴでしかないと

気づいたのは

つい最近の事です魂


そんな事もこれからブログで

綴っていきたいと思います



 続く…

 

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