自宅に帰ると季節が変わっていた、父の死。 | マナりんごのHello☆海日記 ときどき投資とお酒の日記

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いつまでたっても、初心者のアラ50独身へっぽこサーファー☆
2014年に関西から宮崎県にお一人様で移住しました。

2019年12月から、株式投資を始めました。これまたヘッポコですがw
そんなヘッポコなアラ50の日記です。

昨日、ゆっくり運転で自宅へ帰ってきました。



実家ではコタツに入っていたのに、宮崎は半袖w


季節がずいぶん進んだような気がする。


今回の父の死。


本当に色んな感情が渦巻き、そしてやることもたくさん。




よほど疲れていたのか、昨日はぐっすりでした。


父の血圧が下がり、透析を行えないと母より連絡があり。

でも、ワタクシは仕事中。


とりあえず、22時過ぎまで仕事をして。


いろいろ準備をして、自宅へ帰る。


いくら、心配でも前回帰省してから、ずーっと仕事で。この日も朝からずっとだったので、途中仮眠を取りながら昼前に病院へ。




父はもうあまり意識がない状態でしたが、声を掛けると

目を開けて、

ウンウンと首を上下に動かしました。

その後は母、兄夫婦、ワタクシと病室でしばらく父の話。

これまで聞いたことがなかった、自宅を建てるまでに住んでいた市営住宅での出来事や。


父がどれだけ苦労して(貧乏なので)ワタクシ達を育ててくれたか。


そんな話をしながら過ごしました。


その次の明け方、病院から連絡があり、父はすでに旅立っていました(最低な病院だったので、それはまた愚痴るかも)


うちの父は難聴だったのですが、もう呼吸が止まっている父に、一生懸命補聴器をつけようとしている母。

「お母さん、もう」とワタクシが止めると


「え?まだ温かいのに。なんで?」とやっと父が亡くなっている事に気づいたようでした。


無口で口下手で。

真面目で頑固。

友人も少なく。

口を開けば、ワタクシを怒らせるようなことしか言わない父。

でも、貧乏なのに、「子どもたちがしたいことは、やらせてあげたい」

と、本当に無理をして、ワタクシ達の教育には力を注いでくれていたと思います。

不器用だけど、本当に大きな愛で包んでくれていた父。


本当にこれまで、ありがとう。

そして、またいつか会いましょう。