チベット仏教3国(ブータン王国、シッキム王国、ラダック王国)の興亡 | 水行末

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第3の人生の足跡の備忘録のためのブログです。

 ブータンに行く前は、ブータンの国教がチベット仏教であることなど知らなかった。シッキム王国については、アメリカ女性が王家に嫁いだ事、それを遠因として、王国が滅んだことくらいしか
知らなかった。
 ラダック王国に至っては、その存在すら知らなかった。この3つの中央アジアの王国には共通点がある。その共通点とは

①3カ国とも国教はチベット仏教であること

②3カ国とも中国とインドと云う大国と国境を接していること

 このため、3カ国とも大きな歴史の動きに翻弄される。現在、生き残った国はブータンのみである。
 
1.位置
 まず、この3カ国の位置を見る。



 インド北部にパキスタンと国境を接してラダック王国があり、シッキム王国はブータンとネパールに挟まれた位置にある。ブータンはこの3カ国の中では最も東部に位置し、国境はインドと中国としか接していない。

①ラダックの位置と現在の国境

 ラダックはジャンムー・カシミール藩国が滅んだ後、インドとパキスタンの紛争によって領土が争われ、複雑な版図となっている。現在はインド、パキスタン、そしてなぜか中国が実効支配する3つに区分されている。




②シッキム王国
 シッキム王国はブータンの西隣に位置する、領内には紅茶で有名なダージリンがある。





2.3カ国の歴史の概要

 この3カ国を簡単に表に示すと以下のようになる。

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        | ラダック王国     | シッキム王国    | ブータン王国  
        |            |           |  
----------------------------------------------------------------------------------------
        | カギュ派、ゲルク派  | ニンマ派      |カギュ派のデゥク派
 チベット仏教 |            |           | 
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        | 842年チベット人建国  | 1642年チベット人  | 17世紀建国 
 建国     |            |           |
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 滅亡     |1842年、ジャンムー・カ |  1975年王制廃止  | 現在第5代国王
        |シミール藩国が統合   |最後の国王、アメリカ亡|
        |その後、インドとパキスタ|命          |
        |ン紛争         |           |
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 備考     | 中国も一部を実効支配 |中国は20世紀まで領有権|
        |            |を主張        |
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3.思う事

 これらチベット仏教を国教とする3カ国は、最も古い歴史を持っているラダックが最初に19世紀に歴史から退場する。ついで、シッキム王国が愚鈍な国王と贅沢を尽くしたアメリカ娘の治世に、ネパーリーの政治的権利の主張の前に、なすところも無く滅亡する。
 わずかに、ブータンのみが歴史の流れの中で、国の方向性を過つことなく歴史からの退場を逃れている。

 私達はこの3カ国の歴史から多くのことを学ぶことができると思う。私は少なくとも、国家は目の前に領土があれば、必ずそれを手に入れようとすると思う。
 正義と信義を持つ国家など、存在しないし、かって存在したこともないのだ。と思う。

 また、隣国に存在する中国と云う国は、チベット侵攻の例を持ち出すまでも無く、実に厄介な隣人であると、これら3カ国の興亡から知ることができると思う。


 しかし、ブータンに行くことが無かったら、これらの事を殆ど知らずにいただろう。