水行末

水行末

第3の人生の足跡の備忘録のためのブログです。


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 今月、忘れもしない今月の12日であるが、早朝出社の途中急の便意をもよおし地下鉄内のトイレに駆け込んだ。その折、便所に財布を忘れた。便所から出て暫くして財布を無くした事に気が付いた。

 

 いつも、不用心ではあるがお尻のポケットに財布を突っ込んでいるので、財布がないとそれなりの違和感がある。それで、割と早く気が付いた。直ちにトイレにとって返すも財布は見当たらない。駅員に届け出の有無を確認すると、届け出はなく、落とし物センターの電話番号を書いたメモを渡して貰う。

 現金がないので、出社は出来そうだが帰宅できない(私は不定期出社なので定期券は持っていない)。会社へ電話して出社を諦めることを連絡、自己嫌悪の塊となって帰宅。

 

 それからが大変で、カード会社、最寄りの警察、市役所、銀行の電話番号を書き出し、順番に電話を始める。電話をして経緯を説明。カード支払いの一時停止、紛失届連絡、健康保険の再発行手続きの確認、キャシュカード引き出し停止をお願いする。

 相手はこの種の届け出に慣れたもので手続きは割と簡単に進むが、私は電話の度に、「何故、あの時確認しなかったのか?」「お前(私)は馬鹿か?」と、自己嫌悪の情に繰り返し襲われる。

 また、病院のカードをはじめとするカードの事を考え、さらに落ち込む。

 

 先日、社長も同様の経験をされ、「もう、死んだろうか」と思われたそうだが、ふと、人間はこんなことでも自殺するかもなどと、訳の分からない考えが浮かぶ。

 

 1日後、忘れ物センターへ連絡すると、財布が届けられているとの事、早速、パスポートを持って大阪まで出かける。「届けて頂いた人のお礼を言いたいので」と云うと、届けた人の氏名は判らない。財布は出てきたが現金は無い。忘れ物センターにお礼を言って、自宅に帰る。

 

 それからが、また大変で警察を始め、カード会社、銀行への連絡。また、「馬鹿だな」との自己嫌悪の情を乗り越える必要があった。カードについては、再発行は不可避で1週間が必要、銀行についてもクレジット機能のあるカードは再発行、警察への届け出の取り下げ、愉快とは言えない一時を過ごす。

 

 財布紛失から10日が過ぎ、カード問題もほぼ解消し、ほぼ、平常生活へ復帰した。

 

①自己嫌悪の情に襲われる回数とその程度は流石に小さくはなったが、また、やるのではとの恐怖感は残る

②会社の同僚からは財布が出てきた事は、不幸中の幸いと云われる。その通りだと思う。しかしながら、私には誰が私の財布から現金を抜き取ったか判らないが(昨日、警察官が落とし物の現金を・・・との報道もあった)、やはり、そのような行為は「卑しい」と思う。

 

そのような行為を支えているのは、ばれなければ、そのような行為は存在しなかったことと見なせる精神だと思う。そのような精神は卑しいと思う。私はそのような精神を憎むには十分な資格がないかも知れないが、やはり、そのような精神は卑しいのだ。

 

 無事帰還した財布とカード類。


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 長い間ブログを書く気が起きなかった。手帳を見ると色々な事が起きている。

 

 久しぶりのブログなので、前向きな話を書こうと思う。先日、大学の先生が亡くなられた。先生の具合が悪い事は同級生から聞いていた。葬式には出席してない。

 

 S先生には実験指導をして頂いた記憶のみ残っている。地下水挙動に関する実験、さほど難しい実験ではなかった。それなりのレポートを書いて提出した後日、私のところに近づいて、「レポートを読んだよ、君は思っていたより賢いね」と言って頂いた。

 

 どれほど阿保と思われていたかはこの際問題ではなく、この言葉は、その後の私の大学生活を支えてくれた事は間違いない。なんせ、大学生活で褒められたことなど皆無の私である。

 

 先日、S先生を偲ぶ会へS先生の研究室の同級生の配慮で出席させていただき、先生のご冥福をお祈りする機会を得るとともに、献杯の会までお邪魔することが出来た。

 献杯の会では先生の門下生が先生の思い出を色々と話された。どれも先生らしいエピソードで、どの話も先生の人柄を語ったもので、先生らしいと思った。奥様が「皆さんの話をお聞きして、長い間連れ添ったが、これまで知らなかった主人の一面を教えて頂き、改めて主人に惚れ直している」と挨拶された。

 

 素晴らしいご夫婦だと思う。

 

 献杯の会で頂いたお土産が、先生の叙勲を祈念した、コースターとグラスである。

 お酒を抱えた先生の似顔絵と、男道の文字、グラスにも同じ絵柄が書き込まれている。

 

 この男道の意味についても、教えていただいた。男道とは

 ・人間として間違った事はしない。

 ・生きていく上で必ず、筋を通す。

 

 との教えを意味するそうだ。実に先生らしいと思う。先生の教え子の末端に位置する者として、残りの人生において「男道」の教えを一瞬たりとも忘れないで生きて行こうと思う。


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 毎週、火曜日を出社日と定めているのだが、台風21号の影響で会社は4日は閉鎖、本日(5日、水)を出社日と定め、混乱を見越し、早めに自宅をでる。ところが、台風の爪痕は想定を超え、駅までは行けるのだが最寄りの駅は結構混乱、大阪に着くまで自宅を7時にでて3時間掛かる。

 

 おまけに、大阪天満宮で電車が止まる。会社にtel、メールで出社ギブアップを伝える。北野天満宮に参詣して、子供達、孫達の健康と私の心の平穏を祈る。近くにあるダウンタウンの浜ちゃんお気に入りのコロッケ屋に行くが、この年で公共の場でコロッケを食う事は気が引けるので、コロッケ購入は断念。

 

 北野天満宮の中は中国人観光客の2グループだけで、日本人は殆ど居ない。中国人にとって北野天満宮は何の意味があるのだろう?との疑念が湧く、他に行くところがあるだろうに・・・・

 

 大阪で「スペン語の入門」教科書を購入、ジュンク堂の机で少し勉強、大坂で昼食を済ませ、早々に帰宅。

 

 台風で荒れた庭を少し掃除する。おもっくそ、蚊に咬まれる。家を少し掃除すると夕食を作る気が何故かなくなる。近くの店でおにぎり、サンドイッチを購入、夕食とする。

 

 大阪に行って帰っただけの一日。

 

 夕刻、テレビを見ると、今回の台風が関西地区に与えた影響を大きさを伝えている。関西空港も沿岸域も相当の被害だ。

 

 東京の友人から安否の確認の電話を貰う。この歳で家など失ったら、再起する事は出来ないだろうと話す。改めて被害者の皆さんの大変さを思う。

 

 亡くなった方のご冥福をお祈りする以外なにも出来ないのだが・・・


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 現在今年最大規模の21号台風が近づいている。現在自宅で一人近づく台風の気配を窓から見ながらブログを書いている。

 

 窓の外では、街路樹が大きく揺れている。ブータンのホテルで経験した豪雨による私の部屋の浸水事件を思い出す。あの時はベランダから果てしなく流れ込む雨と徒手空拳とも思える排水作業でびしょぬれになりながら、その状況を楽しんでいる自分自身がいたが・・

 

 先月の出来事の備忘録メモと、現在時点での私の課題を

 

8月の出来事を簡単に

8/2:大阪地域計画研究所の定例理事会への出席

8/3:友人と大阪の駅前ビルで夕刻より飲み会

8/5:地元自治会役員会、夏祭りの準備について

8/7:現在お世話になっている会社が、関西学術都市へ移転するので、出社して個人的な備品の整理、と云ってもほとんど何もない、少ない個人的所有物洗面道具を忘れる。

8/8:JICAシニアボランティア応募の結果、追加健康診断を要請されたので、追加診断書を受領するため、3つの病院巡り

 

8/11:大学クラブの友人2人と神戸三宮で飲み会、結構酔う。

8/17:JICAより合格通知、健康診断の件もあったので、ほとんど合格は無理と判断していたので、合格となって少し心が乱れる。

 何より、スペイン語が難しいのだ、と云うより記憶力の衰えに怯えているのだ。

 

8/18:自治会主催の夏祭り準備。

8/20:元の会社の同僚定例のゴルフ、あまりの暑さに最後の3ホールはよたよた。

8/21:関西学術都市へ移転した新社屋へ初の出社。新しいオフィスは奇麗なものだ。弁当を依頼するのを忘れていたので、セントラルプラザにあるレストランで昼食、糞暑い。

8/25:自治会夏祭り、早朝より会場準備。すべてのイベント終了、後片付けで夜の10時ころまで。疲れた。

 

8/26:神戸でブータン再会の会、色々な人とお会いする。

 

 神戸で活躍されるインド人夫婦、ブータンからの留学生、日本で働くブータン人、ダッカで橋梁設計に携わっておられるA氏、たのしい一時を有難うございました。

 

8/27:友人と大阪で飲み会、毎日飲んでいる。これでは体がもたない。

 

8/29:新会社の社屋完成落成式に出かける。落成式の式次第を殆ど忘れている。立食パーティ後の2次会は伏見の飲み屋。

8/29:JICAへの提出期限の書類の作成提出、全ての書類が電子提出なので、提出期限を度々確認しておく必要がある。注意していないと簡単に忘れそうだ。

 

8/31:近所の銀行で、海外で働いている期間の貯金、保険の取り扱いの相談。

 

9/1、2:東京、西船橋でミニブータンCST同窓会

 

 

 彼らもまた、日本と云う異文化の中で苦闘していると思う。

 

 私は、ほんの偶然で彼らと知り会うことが出来、彼らの先生を務めることが出来た。彼らが日本で頑張ることを手助けをしたいと思う。

 

 現在9月4日14:00前、窓の外は雨が横殴りにうねるように降り、街路樹は大きく揺れている。

 

 

 

 


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 昨日、久しぶりに「乾癬」治療の紫外線照射に行くと、木曜日は病院棟はお休みである。今日、気を取り直して出かけるとどうやらお盆休みが始まったらしく、前日と同様お休み。

 

 喫茶店でモーニングを頂き、再度気を取り直し、洗濯と掃除、これから図書館へ出かけようと思う。その前に70年近く生きて様々な病気をしたなと反省?、ノートに記載した自己年表を見直し、我が病歴を整理しておこうと思う。

 あまり、大病をした記憶はないが、年表を見ると結構な時間を病気の治療に費やしている。記憶に残る病歴を列記すると・・

 

①大腸ホリープ:これは2回、2回とも内視鏡手術で克服。初回は数日入院したが2回目は1泊入院、医学の進歩を感じた病気、ホリープは何れも良性なものだったと記憶している。

 

②下半身の病気、これは約30年近く前になる。初回の手術は一般病院の外科で長期入院治療も殆ど効果なく、退院後、専門病院で再度手術、大工事だった。2回目の手術後は問題なく過ごしてきた。ブータンに行くときもこの病気は何時も気になっていた。帰国後、肛門周辺の筋肉の劣化で、過去とは異なった形で問題が顕在化。専門病院をネットで探し、今年1月に専門医で手術、2日間の入院(実質1日)で退院。

 病院は専門病院に限ると・・・

 

 

③高血圧:最初のJICAボランティアへの応募は、健康問題は大きな課題でなく、登録まで行くが落選。2回目のボランティア挑戦では高血圧、メタボ、喫煙を理由に健康診断で1次試験すら通過出来無かった。

 3回目の挑戦でブータンに派遣されたが、任国では体重が段々と減り、9kg近く痩せたため、大学の医療室で血圧測定しても問題なしの状態が続いた。

 帰国して体重が増えたが、血圧についてあまり気にすることはなかった。今回、再度ボランティア挑戦のため健康診断を受けると167の異常な血圧。とにかく体重を減らさないとと思う。

 

 

④白内障、これは要するに老化。本を読む時、ルビが読めない。ゴルフに行ってもゴルフボールの行くえが全く分からない。「球どこ行った」がゴルフ中の主な言葉となったため、ネットで専門医を探し、今年6月に手術を受ける。

 術後は順調で、明るい緑と青空に感動している。術後のゴルフではボールの行方についての会話に参画できるようにはなった。

 

 

⑤乾癬、先年魚釣りに出かけ、転倒、足の痣がいつまでも消えないので。皮膚科へ、「乾癬」と云う病名を始めて知る。紫外線照射とクリーム塗布による治療。紫外線など要は皮膚細胞を殺していると思うのだが・・

 半年近くの治療で上半身における「乾癬」症状は大分改善したと思う。下半身における症状も一時ほど目立たなくなった。

 

 

 これらの病歴は大変なのか、70年近くの人生では当たり前なのか?どう判断していいか正直判らない。まあ、これからは病気ではない老化が最大の課題だろう。

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