水行末

水行末

第3の人生の足跡の備忘録のためのブログです。

 Youtube番組でロシア在住の森翔吾さんが、ウズベキスタン航空でウズベキスタンへ行く番組を見た。機内食でサモサが提供される。私は、サモサはインド料理だと考ええていたため、少なからず驚いた。

 サモサを知ったのは、ブータンに派遣され首都ティエンプーで研修を受けている間、ブータン料理の辛さに閉口していた頃だと思う。

 ジャガイモのカレー煮込みを小麦粉のパンペーストに包み、三角形の形に整え、フライにしたもの、日本人の口にも合う料理で美味しく頂いた。

サモサってどんな料理?特徴や自宅で作れるレシピをご紹介 | DELISH KITCHEN

 ブータンで食べたサモサと同じ形のサモサ、ネットから転載

 

 そのサモサについて調べる、サモサは元々、中東に起源を持ちインドへと伝搬、各種の香辛料が加えられ、現在の形になったとのこと。私が考えていたようにインドの料理ではなかったのだ。

 

 ところで、ウズベキスタンの羊の肉は実に美味らしい。森さんによるとロシアでは肉の匂いや固さが気になるが、ウズベキスタンではそのような問題はないらしい。

 ウズベキスタンへの旅行に関するyoutubeを見る。数多くの番組があった。どれも面白く見た。それらによると

 ・食事が美味しい

 ・特に羊の肉が

 ・人々が優しい

 ・治安が悪くない(女性が一人でも旅できる)

 ・有名な大きな釜で作るピラフは人によって好き嫌いがありそう

 ・イスラム建築が美しい(タシケントは青の都市と呼ばれるらしい)

名古屋市:タシケント市(ウズベキスタン共和国)との交流(暮らしの情報)

 ネットで見つけたタシケントのモスク。大きく美しいと思う。ネットから転載。

 

 私が訪れた外国はさほど多くは無い何よりロンドン、パリを知らない。老いた今、死ぬ前に訪れたいと思う国は

息子に勧められたアンコールワット、ブータンの再訪、に加えウズベキスタンが加わった。

 

 体力が衰え、死ぬ前にどれだけの国に行くことができるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 先日、兵庫県で何十年ぶりに設置された「百条委員会」をリアルタイムで視聴した。私の印象は最悪だった。この知事は人命を奪うことになった処分の問題点を指摘されると、延々と手続きの妥当性を繰り返す。人の命の大切さなど思考の対象外と思われる。兎に角、自分が大好きな人間なのだろう。また斎藤知事が不思議な人間だと思うのは、この百条員会を乗り切れば、知事を続けられると考えていると思われること。

 

 世の中には、償うことができる罪と、償うことができない罪があることも理解できないのだ。想えば、西播磨県民局長に降りかかった厄災は理不尽だと思う。

 

 これは理不尽であるとともに不条理とも感じた。そこで、ネットで不条理と理不尽の差異を調べると

 

罪のない人が罰せられたり、疫病で多くの人が亡くなるなど、世の中の道理と合わないことを「不条理」と言います。 天災などの人間の力ではどうしようもない問題に直面し、絶望しているような状況です。 「理不尽」が個人的な体験に使われるのに対して、不条理は世界情勢などの社会的なことに使われる傾向があるようです。」(Googleで見つけた文)
 

 

 この後も不毛な議論が続くだろう。この問題に造詣の深い後輩に今後の展望を聞くと、斎藤は判らないが片山副知事は逮捕を逃れられないだろうとのこと。

 

 これもまた不条理な話で具体的な行動をした副知事が責任を問われ、それを指示した知事は「そこまでの行動を指示していない」との釈明が通じる?かもしれない。このように罪を犯した人間が罪の大きさに応じた罰から逃れることができる、   罪と罰のバランスが取れていない、これは不条理?

 

 斎藤知事の記者会見を一瞥すれば、彼が信用できない人間であると瞬時に理解できると私は強く思う。記者会見を見ても判断を先送りする維新の吉村某は人間を判断する力もない・・・・・そのような人間が指導者を務めている・・これは理不尽?

 

 この一連の出来事は、悪人を排除するには大きな犠牲を払わなければならないことを示している、いずれにせよ、この一連の出来事には正直、頭にくるものがある。まだ、私も怒りという感情を忘れてはいないことが判った。

 

 ここ数年、おせち料理はネットで注文している。多くは阪急に発注していたと記憶する。先日、パスワードの整理をしたため、混乱が生じたので今回は別の業者に発注した。

 田舎に住む二人の姉と自宅用に計3個のおせち料理を発注、姉の住所、郵便番号、電話番号等を準備してパソコンに向かうも色々とメンドクサイことが起きる。今回はカード決済手続きにトラブルが生じ、銀行振り込みとして銀行まで行って振り込みが完了して、受け付けた旨のメールを受領するまで、何とか手続き完了。

 これで何とか今年の大きなお役目を果たしたと安堵する。

 

 その日は、私の部屋の壊れた天井灯を修理する。瞬間接着剤を買いに行き、修理した。椅子の上に乗った作業はもう無理だと実感する。若い時は何の問題なくできていた事が全くできない。椅子の上に乗ること、椅子の上で作業することが実に難しく恐怖感すら感じる。

 それでも何とか天井灯の修理が完了した、長い間放置していたので少し嬉しい。

 

 

 60年目で初めてで最後かもしれないと称した、中学校の同窓会案内が届く、まあとにかく懐かしいものだが、色々な思いも交錯する。

 そもそも私の田舎は広島県県北部に位置する。当然、同窓会はその田舎町でやるものだと思っていた。ところが同窓会会場は広島市駅前で開催される。交通の便を考えれば当然なことなのだが・・・

 11月には広島まで出かけようと思う。

 60年ぶりの同窓会案内と私のクラス写真。

 

 自分を見つけて、中学3年までは私の顔はそんなに大きくなかったと判った(高校、大学以降集合写真に写る私の顔はやたらデカいのである)さらにこの時期には眼鏡を使っていなかったことを知る。

 

 しかし、60年ぶりに会うことになる友人が殆どなのだ。お互い名前と顔が一致するのに時間がかかる?そもそも無理だろうとも思う。

 まあ、墓の中まで持っていくことのできる思い出は得られるだろう。皆さん、お会いできることを楽しみにしていますよ。

 

 

 

 普段時間を持て余した時、YOUTUBEに頼る。

 

 ロシアで暮らす日本人として森翔吾さんと“シンとカーチャ”の番組に登場するシンさんの2名の男性の番組をよく見る。ロシアの冬の厳しさやその自然、ロシアでの生活、ダーチャと呼ばれる別荘における自給自足生活など、ロシア社会を知ることができる。

 

 森さんはタタール人の奥さんを持ち、ソフィアとアマヤという名の娘2人、家族4人で暮らされている。職業やどのように財をなされたかは知らない。

 シンさんはロシア人の陶芸家カーチャさんとモスクワのアパート、近郊のダ―チャで生活されている。

 

 最新の番組では森さんは、ウズベキスタンに1週間一人旅をされている。その折、日本人墓地へ日本酒などを持参してお参りされている。ああこのようなことが徳を積むということだなと思う。

 

 話は変わり、先年、私は突然依頼された仕事で訪れたモンゴルで仕事の合間に、ウランバートルの近郊に存在する日本人、1700名近くの日本人の慰霊所を訪れる機会があった。

 ソ連の捕虜となり移送中に命を落とされた人々がモンゴルの地で眠っていることも、この時初めて知った。その死因の多くは寒さだったと聞く。

 

 「寒かったでしょう」「日本に帰りかったでしょう」と手を合わせ、ご冥福をお祈りし、皆さんの無念を思う。

 

 慰霊碑を作り、無念にも異国で命を落とした人々の霊に手を合わせる。亡くなった人にはその声は届かない、手を合わせ故人の冥福を祈る気持ちを忘れないことが、生きている人間の義務だと思う。

 

 慰霊所で安倍首相の記帳は確認した、民主党の政治家に名前を見つけることはできなかった。少なくとも枝野某はモンゴルを訪れたことがある。私が民主党、立憲民主党に政権を担ってほしくないと思う所以である。

 

 話を戻すと、私には異国で異国人を妻として生きる力、精神力、生活力が無い。ただ、どこで永久に眠るかについては、日本の私の故郷で眠りたいとは思わない。私は散骨で十分だと考えている。できれば、ブータンの大学のグランド、ティエンプーの河、プンツォリンのアモ河に散骨されれば嬉しいと考えている。

 

 しかし、そのようなことが可能かも含め、決めておかない時期は近いのだ。

 

 

 

 

 

 記憶がすぐに失われるので、手元にメモ帖を置き思いつくことを書き残すことにしている。溜まったメモを読み返すと、日時は不明だが、以下のようなことを書いている。

 

 75歳にして落ち込んでいると題して、その原因を書き連ねている。その箇条書きを列記すると

①仕事がトラブル続きで出社の回数が増えていること

②肉体的な老化の加速の自覚、歩く速度の低下。

③兵庫県知事の会見が不愉快極まりない事、同様に河野太郎にもむかっく。

④読む本が無い事。本屋図書館で見つからないこと

⑤暑いため、出かける気にならないこと、自宅での蟄居が苦痛

 

一方、仕事のトラブルの中心だったプロジェクトは先日解決した。また、自宅では一日一件の解決を決め

①一年近く放置していた、窓ガラスの清掃 見違えるように綺麗になった。

②カーテンの洗濯(とりあえずレースのカーテン)

③風呂のタブに付着したシミの清掃、これは数か月前から洗剤の種類を変え、除去を試みていたのだが、盆に帰省した孫達が入浴する前に何とかしたいと考えていたのだが、果たせず、先日、家にあるドイツ製のスポンジを試みると簡単にシミを取ることができた。これが、大変うれしい。

 酸性、アルカリ、中性洗剤では取れなかったシミは、スポンジで簡単に物理的に除去できた。残された課題、エアコンの清掃、本立ての整理、地球儀の購入、など一日一件の処理に努めようと思う。

 

 また、メモにはfacebookで確認するブータンの大学教え子の動向について、海外(特にオーストラリア)での記事、また彼らの子供たちの記事が増えているとの記述がある。

 ブータン関連ではブータンJICAofficeの記事で、私と同時期ブータンに派遣されていたY嬢が再度、ブータンに派遣されたことを知る。前回は障害児の美術教育に 取り組んでいたと記憶する。今回は?

 何れにせよ、「山の神」と称されていた体力で活躍されますことを・・・・

 

その他メモには、「見る将」関連、日常の些末なことのメモが残されている。もう、一日一件と定めて生きていこうと思う。