2017年 9月 7日の真のお父様の第五周忌メモリアルサービスにおいて、顕進様が語られたメッセージの抜粋を個人のノートから紹介します。
「皆さんは、今の時において天の期待がとても大きい事を知らなければいけません。時の重要性を知らなければいけません。特に教会のリーダー達は、避けて通れない道です。霊界に行っても直面します。彼らは霊界の実相と自分達の未来の子孫の事を本当に心配しなければいけません。彼らには、私がいつも言っているように、感謝と謙遜が必要です。最終的には私が勝利して、みんな天の恩恵を受けるようにはなるでしょう。(それでも変わらなければ)歴史が彼らの前を通り過ぎていくのです。恨(ハン)とは何ですか?恨とは機会を与えられたのに失敗してしまったことに対する後悔の念なのです。」
「今私達は、エデンの園のアダムとエバの間違いをもとがえしているのだということを知らなければなりません。」
「メシヤは神ではありません。無知に完成はないのです。本来の基準を知らなくてどうやって完成できるというのでしょうか?サンクチャリーもそうです。彼らだけのせいではありません。一世は失敗したのです。それを聞いてどう思いますか?キツイ言い方かも知れませんがそれが事実なのです。私がどれぐらい裏切られてきたか分かりますか?それを話したら何時間もかかるので話しません。どんな教会もそこに真理が根ざしていない限り、結局は終わってしまうのです。歴史において数えきれないほどの宗教が現れましたが、自分だけが正しいと思っている宗教は結局滅びてしまったのです。普遍的原理と価値観に根差していない限り永遠性がないのです。」
「FPAはこれから祝福家庭より外部の人達が優先になっていきます。教会のリーダーは既成キリスト教会の信仰観をまねて、自分達だけの宗教を作ってしまいました。考えてもみて下さい。今までのキリスト教がイエス様を神格化させましたが、それをお父様が崩したのです。それで迫害されてきたのです。それなのに教会のリーダー達は同じフレームでイエス様とお父様を置き換えて神格化してしまったのです。」
「中心人物がとても重要なのです。教会のリーダー達は、自分達が運動の基盤を作ってきたと思ってきたのです。カインは神様のアベルにたいする姿をみて不公平だと思ったではないですか。ソクチョ事件は、そのような背後があって起こったのです。しかし父と息子の関係は絶対であることを知らなければなりません。」
「親が子供を裁判で打つと思いますか?この世の父親でも子供を裁判にかけることはしないでしょう。皆さんの親だって、財産を盗んだといって皆さんを裁判にかけたりしますか?そんなことをしたら、社会の人達は私の父をどのように思うと思いますか?でも教会のリーダー達は実際に、お父様が息子を裁判にかけるような立場をとらせて、考えられない程の社会的ダメージを私の父に与えてしまったのです。」
「その人の霊的成熟度は、その人が自己主張するかどうかでわかります。だから中心人物がとても重要なのです。1998年がとても重要な時だったのです。ハッキリ言って、地位などどうでもよかった。お父様から頼まれたのです。そのような私が弟が立てられたからと言って嫉妬を感じると思いますか?弟が立派でリーダーになるなら、それはどれ程嬉しいことかわかりません。
なぜ、父は私を選んだかわかりますか?普通に考えれば、順番は聖進兄、孝進兄、興進兄のはずではないですか。お父様が霊界に行った興進兄に養子を出すように言われた時、誰が興進兄に養子を出したのですか?誰が真の家庭の責任を取ってきたか知っていますか?私がお父様のいう事を聞かなかったと言っている人達がいるでしょう?お父様がUTSに行けと言った時、お父様の願いに従ってUTSに行った子供は誰だったのですか?他のどのお父様の子供がUTSに行きましたか?私が学生だった時、お父様は私に乗馬でオリンピックに出ろと言われました。私が好きでやったのではありません。普通オリンピックに出る選手は小さい頃から練習していますし、私の年齢で私の様な体格で選手になる者はいません。大会まで何年もなかったのに命がけで練習してオリンピックに出ました。
何も知らない者が私を裁いているのです。しかし彼らに私を裁く資格があるでしょうか?もし本当に裁くとしたら誰が裁く立場にありますか?霊的に鋭い人は私の言っていることがわかるでしょう。分からない人達も私の作っている基盤を見て後から来ることでしょう。これからリーダーを育てます。リーダー教育は人格が優先です。そうするとこれからFPAに入ってくる宗教指導者は皆さんの人格をみて感心するようになるのです。外的能力は後です。全て中心人物で決まるのです。」
「全人類の救援が我々の使命です。祝福家庭と私の関係はいわば条件的です。皆さんの責任分担の遂行しだいです。しかし私は私の家族に対しては最後まで無条件に責任をとります。」
「祝福は皆さん自身の5%に基づいて与えられるのです。祝福を受けて原罪がなくなっても、それは出発点に戻ってきたのであり、そこからまた新たに始まるのです。」
「教会では二世達にどちらの祝福を受けるかと言って子供に迫るというではないですか?そのようなことは、この世の離婚した親達が自分達の子供にどちらに付くか聞くようなものです。本当に馬鹿げています。」
「一人の人間が立てば全てが変わるのです。その一人が重要です。」
「真のお父様の偉大さはその子供を通して証明するのが一番分かりやすい方法だと思いませんか?」
<つづく>