顕進様が語られたオーナーシップとリーダーシップについてのお話を紹介します。
「自分の信仰に対するオーナーシップ(主人意識)」
信仰生活の中で、霊的な成熟と神様との関係は最も重要な要素です。皆さんは自分が誰であり、 何を代表しているのかを知る必要があります。神様との関係が自分に挑戦してくるでしょう。 したがって、自分の信仰に対するオーナーシップを持つことがとても重要です。
自分の信仰に対しオーナーシップを持つためには、自分が霧のかかったような状態ではなく、 明瞭な状態になる必要があります。したがって、霊的に成熟した人は知的に正直であり、真実 を絶えず探し求め、原理を解読して原理に対するオーナーシップを持つことができます。無知 が、混乱と明瞭さの欠如をもたらします。皆さんは、自分が何を信じているのかはっきりと知 っていなければなりません。摂理の中心は誰なのか、そしてメシヤの使命は原理的な観点から は何なのかをはっきりと自覚する必要があります。それは、実は皆さんが個人としてだけでな く、家庭としても達成することを切に願っているものなのです。
神様の摂理は現実性のない概念のようなものではありません。摂理の中で皆さんは自分の人生 が天宙的、摂理的な意義と意味と価値を持っていることを発見します。皆さんが後世に残すこ とのできる最も重要なレガシーは、神様の摂理に対するオーナーシップです。皆さんは摂理と 一致していなければなりませんが、そのためには、どのような状況でもまず天の前に謙虚であ り、感謝しなければなりません。
自分の信仰の主人(オーナー)となれるのは自分しかいません。自分が真の息子娘として成熟 するのを助けられるのは自分しかいません。それが、人類歴史を通じて信仰を持った人々が多 くの条件を立ててきた一つの理由です。それを自分自身のものにしなければなりません。
「リーダーとしてオーナーシップを持つ」
真の主人とは、自分が責任を負う必要のないものに対してすらオーナーシップを持とうとする 人です。それが成熟の度合いとリーダーシップのしるしです。それと対照的に、弱さの最大の しるしは、言い訳をすること、愚痴をこぼすこと、ひたすら人のせいにすること、などです。 真の強さ、真の権威と神性の尺度は、より大きな善のために自分自身を喜んで犠牲にすること です。それがオーナーシップがとても重要である理由です。
高潔で偉大なもの、真の強さを反映するものはすべて、自分よりも大きなもののために自分を 犠牲にできる能力によりもたらされます。利己的になるのは簡単です。より大きなもののため に生きるのは困難です。ですから私は子供たちに「言い訳をしたり、愚痴をこぼすのはよくな い」とアドバイスするのです。自分がどんな困難を経験したとしても、神様の経験しておられ る困難とは比較にもなりません。
リーダーであれば、しっかり働かなければなりません。それに加えて、私は結果を期待してい ます。誰かに高い目標を与えるとき、私はそれが絶対に達成できると信じています。しかし、成果のレベルは、そのリーダーが私の指示に対してどれくらい一つになっているか、そして目 標に対してどれだけオーナーシップを持っているかによって決まります。これがリーダーの責 任分担です。結果が出ないということは、働き方が足りないのです。失敗という選択肢はあり ません。チャンピオンシップチームの一員であれば、2 位ではだめなのです。ナンバーワンで なければなりません。チームの全員がそのような姿勢を持たなければなりません。
言い訳は弱い人のやり方です。皆さんは常に失敗を正当化せずオーナーシップを取るべきです。 出るべき結果が出なかった場合は、それを失敗として受け入れ、そこから学び、決して二度と 同じ間違いを繰り返さないようにするのです。すべての失敗は、自分があきらめない限り、そ の分だけさらに成功するための教訓になります。こういう教訓を適用して、成功率を上げてく ださい。成功するまでやるのです。そういう資質を私は見たいのです。そういう資質を子供た ちに植え付けることが重要です。なぜならば、その種の資質があれば、将来的に大きなことを 成し遂げることができるからです。皆さんがそうした努力を続け、知的な正直さを持ち、失敗 から学ぶなら、最終的には勝利者となるでしょう。
「真のリーダーシップは他者のために生きること」
真のリーダーシップの秘密の公式は、他のために生きることです。それは真の愛です。皆さん がそのような生き方をしていれば、自ずと主体の立場に立つようになるでしょう。この種のサ ーバントリーダーシップを通して、真のリーダーとしての正しい先例を立てることができます。 それは、名誉や地位からくるものではなく、道徳的権威を持つことによってなされるからです。 そうすれば神様の義と善と真の愛を代表するようになります。これが真の主体の行く道です。 人々は自ずとそのことを認識するようになるでしょう。そこから出て来る敬意、名誉、威厳な どは、自然な過程により生まれてくるものです。
私が指導者に挑戦する理由の一つは、彼らの頭が自分の位置のことでいっぱいになってほしく ないからです。リーダーであるということは、自分のことではありません。リーダーの立場に立たされているのは、自分自身や自分の家族のためではなく、神様のみ旨を守り、神様の摂理 を前進させるためです。リーダーシップのマント(外套)は重く、その道のりは、しばしば孤 独なものです。そういう困難な時にリーダーが立ち向かうべき最大の試練は、自分との闘いで す。それが自分のことだと考えた瞬間に、リーダーとしての強さ、勇気、尊厳を失ってしまい ます。すべてを失ってしまうのです。そこにサタンが来ます。覚えておいてください、それは 自分のことではないのです。
真の強さを現わす道は謙虚さと感謝です。そういう姿勢と成熟の度合いによって、最も困難な 状況さえも消化して克服できる能力を見出すようになります。皆さんは誠実でなければならず、 継続的に精誠を尽くさなければなりません。いざ時が来たら、喜んで十字架を負うことを選ぶ 人はそういう人です。そういう人は神様の摂理を前進させるために必要とされる究極の犠牲を 喜んで捧げるでしょう。