「原理本体論」の真実(9) | 親と子の訓読家庭教会

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後天時代に於ける子女教育を考える

前回からの続きで、「絶対性」と「正午定着」の関係を述べています。真の御父様が言われたのは、夫婦で「絶対性」の基準を立てる為には、日頃から「正午定着」の生活をしていないといけないということです。そしてその「正午定着」の生活とは、ただ単に負債のない生活をするように努力をすることだけではなく、具体的に神の愛を実感する生活をすることが重要であると説明しました。それでは、そのような神の愛を実感する「正午定着」の生活を成就する為には、どのような信仰生活に於ける訓練をすれば良いのでしょうか?また、具体的に何からどの様に始めればいいのでしょうか?


本来アダムとエバが家庭を出発する前には、既に「正午定着」の生活を通して神の愛を十分に実感しているべきでした。更に「親なる神を助けたい、慰めたい、侍りたい」と自然に思えるような神の心情の実子圏に入っていないといけませんでした。しかし彼らがそのような段階に到達する為には、「何よりも誰よりも神との関係を重視し、霊的にも情的にも神から一番刺激を受けるようになる」為の信仰生活の訓練を通過する必要がありました。そしてそのような訓練こそが「正午定着」を成す為の訓練であり、私達の子供達も家庭を出発する前に受けるべき訓練であります。勿論、既に家庭を出発した祝福夫婦においても、その訓練は日頃から実践すべき信仰生活の重要なポイントであります。


それでは、そのような「正午定着」を成す為の訓練は、何から始めたらいいのでしょうか?私達はよく「神を中心とした」とか「神に主管された」と言うような表現を使いますが、強制的に形だけ「神を中心とした」り「神に主管された」生活をさせられても、それはまだ旧約的段階であり、そのままでは本当の意味での「正午定着」を成す為の訓練にはなりません。いやいやながら旧約的に努力しても長続きはしないでしょうし、どっちみち神の愛を実感することも困難でしょう。それでは「正午定着」の生活も「絶対性」の基準も立てられず、最終的に神の愛の主管圏に入った実子となって神を慰めることも出来ないでしょう。


本当の意味での「正午定着」を成す為の訓練を始めるには、「何を考えないで、何を考えるか」というような、「正しい思いの選択」から始める必要があります。これは霊的戦いの始まりでもあります。自分自身の思いの世界を、自分自身で正しく主管する訳ですから、心の世界に対する強いオーナーシップ(主人意識、自主性)が求められます。そして、その強いオーナーシップをもって、「何時でも、何処でも、そしていかなる状況においても、常に神を考え意識して生活する」ように努力することから始めていけば良いのです。


もし神を良く意識できる様になれば、そこから神の立場を思い、心情を慕い、人々のために尋ね求めるというような次の段階に発展して行くことが出来るのです。そのような信仰生活の訓練こそが、「正午定着」の生活を完成させる方法であり、それを続けることによって段々と臨在する神の霊と具体的な神の愛を実感し、夫婦で共に「絶対性」の基準を立てていく道へと繋がっていくのです。
(次号に続く)