長時間の瞑想に耐えるには姿勢が必要になる。

 

私のところには姿勢を良くしたいという目的で、瞑想の練習をしている方が来たりする。

姿勢を作るというと骨と筋肉の問題だと誰でも思うとだろうけど、案外そうでもなかったりする。

 

もちろん骨と筋肉の関係性はとても重要だ。

大臀筋、大腰筋、腰方形筋、このあたりの筋肉へのアプローチは繰り返すし、頭と胴体の関係の再構築も重要だ。

 

しかしそれとは別に重要な筋肉がある。

横隔膜だ。

何回も書いているけど、横隔膜の脊柱寄りの部分が姿勢反射で緊張して体を支えているのだね。

人間は。

もちろんこんなことは解剖学の教科書には絶対に書いていない。

横隔膜は呼吸筋であり、他には排便や出産時に使用されると書いてあるだけだと思う。

 

 

以前にも書いたけれど、睡眠障害を抱えた生徒さんがいた。

彼は何回目かの練習中に、横隔膜のそれまで動かすことのできなかった部分を動かせるようになった。

「解放感を感じるなあ」

彼はそうつぶやき、その次の練習に来た時に、眠れるようになったきたので病院で睡眠薬を減らしてくれと頼んだと報告してくれた。

 

これは横隔膜の緊張を抜いたことがメンタルにまで影響を及ぼした例だ。

 

この逆のことが起きる。

 

例え肉体はここにあって練習に励んでいても、精神(これはアジュニーチャクラ)や心(これはアナハタチャクラ)が他を向いていたのでは、技術は肉体には入っていかない。

入る人もいるのではあるが。

 

肉体と精神と心という3匹の馬が1台の馬車を引こうとしても、バラバラの方向に走りだしたのではどうにもならない。

 

そういうことがおきるのだよ。

 

 

クンダリーニヨガ吉祥寺

 

以前にも書いたと思うが。

 

柳生心眼流の皆伝の形を7年目で教わり、その意味を理解したのは10年目だった。

一手七本あって三手。

ざっくり言って逆突き、順突き、打ち落としだ。

変化の兆しは三手目の「打ち落とし」の形から起きた。

腕を振り落とすと同時に勝手に腹が引き上がりだした。

続いて一手目「逆突き」の形で体が動き出した。

ある日の稽古中、みぞおちの奥の方で何かがひっくり返るように動いた。

みぞおちの高さで体を捻るということがこの流儀にとって重要だということは、3年目落の形を学んだときから知っていた。

それがさらに体の深い部分から起きた。

何が起きているかはすぐにわかった。

 

ドーム状でドーナツ形をした横隔膜の脊柱寄りの部分が姿勢反射による緊張を起こしていて、それをかなり強引に引き抜いた。

 

当時の知人と練習していて、急に私のパンチは強くなった。

嬉しくて笑った。

しかしその後私の背骨は崩れ落ちた。

30過ぎて側弯症の子供のように背骨が曲がった。

それはそうだ。

体を支えるための姿勢反射の緊張を無理やり引き剝図はがしたのだから。

 

立っているだけで呻き声をあげ、脂汗がでて止まらなかった。

ここを脱するために必要なことは、胸郭と骨盤をつなぐ筋肉の張力を引き上げなくてはならない。

ということはすぐに察しがついた。

そして胸郭と骨盤をつなぐ筋肉とは・・・。

腰腸肋筋(反る筋肉、図はググってね)

腹横筋(腹を引っ込める筋肉、図はググってね)

内外腹斜筋(前屈しながら捩じる筋肉、図はググってね)

腹直筋(いわゆる6パックスだけど、腹部の上下の張力をコントロールするための要になる)

そして腰方形筋。

もうこれは当時の私には腰方形筋の張力を上げることこそが答えになるというのは即座にわかった。

ただし、張力を上げる、胸郭と骨盤を引き付ける力を強くすることが答えになるということを確信するためには、構造医学でいう面圧構造を知る必要があったことは事実。

 

ただし腰方形筋を使えばなんでもいいのではなく、それを心眼流の全ての形の中から導き出すという制約が私にはあった。

私の答えは皆伝のひとつ前の形である小具足ヶ条の形。

私の師匠はインチキだったから(笑)、胴体部分をどのように動かすかなどという発想はゼロで手足をジタバタ動かすだけだった。

それで脊柱の構造と腰方形筋の働きを考えながら動きを変えた。

で、2、3週間で痛みからは脱した。

余談だけど後に私はこの小具足の形を師匠の前でやってみせた。

激怒するのが普通なんだけど、師匠は喜色満面で私の真似をした。

先代が私のように動いていたことを思い出したらしい。

 

馬鹿馬鹿しい。

 

しかし、このときの経験が後にクンダリーニヨガを学んでサットクリヤを解くときの大きな財産となった。

 

横隔膜の脊柱寄りの部分の緊張を抜くこと、そしてそこにスシュムナー(中央気道)が通っており、この緊張がスシュムナーの働きを妨害する。

この緊張がいわゆる「結節」のひとつなわけだ。

 

あの経験が心眼流の稽古を始めて10年目だったというのは今思うに示唆的だ。

何かひとつのことを学んで自分のものにするためには10年の年月がいる。

私のヨガクラスにはいろんなものを学んでいる人間が訪れるが、10年以上練習を重ねている人間は少ない。

そして10年積み重ねている人間はやはり違う。

と思わされる。

 

クンダリーニヨガ吉祥寺

 

「オウム死刑囚 魂の遍歴」門田隆将 著

 

生徒さんのインスタの中にこの本を見つけて、図書館で借出して読んでみた。

とてもおもしろく読めた。

ノンフィクション作家としての門田氏の力だと思う。

オウムの元死刑囚 井上嘉浩について書かれている。

 

 

私のところにはときどきスピリチュアル大好きさんとか、ヒーラーさんとかいう人種がやってくる。

この人たちの特徴は2つ。

 

①自分を特別な人間だと思っている。

⓶知識や情報と経験の区別がつけられない。

 

①は話す必要もないだろう。

どんな世界でも高い能力を持っている人間は努力の塊だ。

そういう人は自分のやることを技術だと称するし、やれば誰でもできると言い放つ。

⓶についてはめんどうくさい。

本や映像で、例えば「クンダリニーエネルギーの上昇」なんてものを知識や情報として知ってしまうと、いくらも経たないうちに起こってしまったり、わかってしまったりするわけだ。

もちろん起きてるつもりだし、わかってるつもりに過ぎない。

人間は念じ込めば、熱が出たり、痛みが起きたりすることはあるし、それは珍しい現象ではない。

本当に稀に何の情報もないのに起きてしまう人間もいて、そういう人ははっきり言って悲劇だ。

 

この本で一番笑えるというか、情けないのは 第9章教祖さまの誕生 というところか。

松本智津夫(麻原正晃)のことだ。

1978年に千葉県船橋市に鍼灸治療院開業。

1982年に薬事法違反で逮捕。

全盲の彼の兄の真似をして、蜜柑の皮を薬と称して販売したのだとか。

彼の兄は「体内を浄化する」と称して何と2万円で売っていたとある。

詐欺で捕まった人間が同じ土地で治療院などやっていけるわけはない。

1983年渋谷にヨガ道場 鳳凰慶林館 開設。

なんと翌年だよ。

偽薬の販売で失敗したから次はヨガか。

ここで著者の言葉を引用すると、

「詐欺師の道を歩み始めたら、その道から抜け出すことが容易ではないことは、これまでのさまざまな犯罪史が証明する通りである。」

81年に阿含宗に入信して84年退会している。

鍼灸師として学んだ東洋医学に解剖生理学、それに仏教とおそらくはそこからの波及であろうヨガの知識を駆使しての業態変更ということか。

 

1988年にはチベット仏教僧のカール リンポチェ師に教えを請いに行く。

ここで自身の神秘体験について語ったらしいのだけれど、リンポチェ師はそれを一切認めない。

体験をコントロールすることが解脱なんだ、と繰り返し言ったのだとか。

 

どういう意味だろうね?

 

クンダリーニヨガなんてやっていると、やれ光だ音だ色だとくだらんことを言う輩には大勢会う。

その手の出来事は私にもたくさん起きているけれど、そんなことは重要ではない。

要はその経験が、自分にとって何を意味するかが重要なんだと私個人的には思うのだけれど。

 

で、麻原彰晃は読んだ感じだとリンポチェ師に逆切れして帰国する。

 

これ以降オウムは暴力に走りだすらしい。

 

 

この著作の中心人物である井上嘉浩氏に対しては、どういう感想を持っていいのか正直なんとも言い難い。

この本を読んでいる限りでは、同情を感ずる。

井上氏が法廷で語った文章からひとつ引用すると、

 

「松本智津夫氏はいかなる不合理な指示であろうと、グルの意志を実践した弟子のみがグルと合一し、解脱に至ることができると教えていました。しかし、本来、すべての衆生が仏性を有している以上、私たち一人一人が自己に内在する仏性に気づき、覚醒することが解脱であって、グルのコピー人間になることが解脱であるはずがありません。」

 

私は解脱にも覚醒にも興味はない。

そんなものはただの言葉だとしか思っていない。

仏教は日本文化の一部として興味は持っても、それ以上の興味はない。

ただこれを読んでいると、オウムにハマる前に、彼に誰かこの考え方を伝えてくれなかったかなとは思う。

 

指導者の役割とは、教えて放つということに尽きるのだ。

 

井上氏が獄中で面会と文通を繰り返していたと著作にある、真宗大谷派の尼僧 鈴木君代さんの歌うアメージンググレースの替え歌があったので貼っておきます。

 

 

 

 

クンダリーニヨガ吉祥寺