父親、お父さん、父さん、親父、パパ、ダディ、ファザー、…
どんな呼び方でも父です。
性格そっくり過ぎて、ちょっとした説明省いてもめっちゃ行間読んでくれるからね。
ある意味恐ろしい。
言ってることも、多少の反発はあるけど、「そうだよなぁ」と思える。
実際になってそれに納得するかどうかは兎も角ね。
転職かぁ。しないと潰れていく一方なんだろうけどね。
地元は正直、いやなわけで。
どうしたもんかな。
一番の本音は何もしたくない。
それは、思考することも、
息をすること、煩わしい。
いつか、自分の中にどれだけの血液が流れてるのか気になって、気になって、どうしようもなくなったら、多分私は躊躇いつつも、それを見ようとするんだろう。
こんな私は、まだ潰れてないのだろうか。
もう、潰れてしまったのだろうか。
人には精神の成長過程があると考えられている。
生まれたばかりの頃から、老人に至るまで。様々な成長にたいする課題を熟して、課題は絶対にクリア出来ていなければならないと言う事はないが、次の課題へ持ち越しているだけにすぎない。
詳しい区分と内容は残念ながら今の私はもう覚えていないが、少し調べれば出てくるだろう。
その中で、モラトリアムと言われる時期である。本来であれば、社会人になることで無くなるものであったと思うが、今の私は恐らくは、それだ。
もしかしたら、それ以前の課題も残して今に至っている可能性もある。
つまり私は自己実現に至っていない。と自身の精神に対して愚考してみた。
仕事の責任、自身に対しての責任、他者への責任…
重くない訳がない。責任、責任、責任。
眼には見えない重たいもの。
投げ出したい。
逃げ出したい。
でも、何処に?
何処もないよ。
だって、ここは1度出て行こうと足掻いて、結局戻ってきた処だから。
もう一度、足掻いてみるの?
そんな元気、ない。
もう、出て生きたくない。
しんどい。
ドンドン積み上がっていく。
崩す方法がない。
崩れたココロの欠片から作られて、元がなんだったのかわからないモノに変わってる。
そうか、ここに落ちてきてたのか。
こんなにもバラバラになって、原形を留めてないものが、どんなモノだったのかなんて、もう誰にも分かりはしないだろう。
繋ぎ合わせることも、無理そうだ。
コレの素となったモノはあと、どれ位残ってるんだろう。
そんな、連合弛緩。
いつもは観念奔逸なのだけど。
またには、こんな日もあるあるらしい。