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2学期の期末テストも終わり、もうすぐ冬休みに入ろうとしていた。
諫名は不注意からカッターで手を切ってしまい、天海のいる第二保健室へ絆創膏を取りに来ていた。そこにはソファに座って読書をしている壱迦の姿があり、諫名は驚いた。諫名が驚いたのは保健室にいたことではなく、壱迦が読書をしていたからだ。諫名の知っている壱迦はいつも空を見上げているから、保健室でもそうなのだろうと思っていた。
「ドジだな、手当てするからそこに座ってろ黎迩。壱迦、消毒瓶取ってくれ。」
天海は当然のように壱迦を呼び捨てにし、壱迦も言われた通りに消毒瓶を持ってきて、天海を手伝う。
壱迦は珈琲を人数分淹れると読書に戻った。そんな壱迦を褒めるように天海は壱迦の頭を撫でた。それは身内に対するような和やかなものであることに諫名は気づいた。
壱迦は授業があるので自分の教室へと戻って行き、諫名と天海が残された。
「黎迩は、壱迦のことどう思ってる?」
唐突に、天海は諫名にそう問うた。諫名は返答に困り、黙り込む。そんなことは考えたこともない上に、もしも壱迦に特別な感情を持っていたとしても、教師と生徒である以上どうにかなることはありえない。第一、壱迦がそういった恋愛感情を持つとは思えないと諫名は思っている。
「壱迦は何に対しても無関心だ。誰が何を言ったとしても、あいつの心には欠片も残らない。」
言葉を続ける天海はどこか悲しげでもあり、悔しそうでもあった。どうしてそんな表情をするのか解らず、諫名は掛ける言葉を失ってしまう。
「俺にはどうにもできない。壱迦を変えてやることができるのは俺じゃなかった。・・・もう時間がないのに・・・。」
焦ったような顔で天海は諫名を見る。
「黎迩、あいつの傍に居てやってくれ。お前なら・・・」
そこまで言って天海は言葉を切った。そして、思い直したように首を振り、いつもの表情に戻った。
「悪い、今のことは忘れてくれ。」
諫名は天海が言いかけていたことが気になったが聞き出そうとするのはやめた。ただ、二人の間には何かがある。それだけは理解できたのだった。
冬に入り、もう11月も終わろうとしている時期だった。諫名が明日の授業の準備をいていると、人が滅多に来ない廊下が騒がしくなり、注意するために諫名は顔を出した。そこには壱迦と数人の男子生徒がいた。壱迦は男子生徒たちから隠れるように諫名の背中にまわり、それを見た男子生徒たちは顔を見合わせ、来た道を引き返して行った。
壱迦はそれを見るとほっとしたような表情を見せ、諫名に礼を言って帰ろうとしたが諫名が引き留めた。
「コーヒーしかないけど、飲めるか?」
教材が処構わず置かれている数学準備室で諫名はコーヒーを淹れ始めた。壱迦は椅子が一つしかなかったために適当な高さの教材の上に座っている。この部屋は人が二人入れるかどうかというくらい教材が置かれており、はっきり言って足の踏み場がない。それでもなんとか整理しようと試みた形跡があるが断念されているようだ。
壱迦は諫名からコーヒーを受け取り、甘党なのか砂糖とミルクをたっぷりと淹れた。何を話すでもなくのんびりとしていた所へ諫名の名前を呼びながらノックが数回された。
「いーさーなーせーんーせーここあけて~」
戸をあけるとそこにいたのは保健医の天海 春輝だった。彼はカウンセラーの資格を取得しており、スクールカウンセラーとしてこの高校に赴任した。学部は違ったが諫名とは大学からの付き合いである。
「これ、今度の会議の資料だってよ。・・・相変わらず汚い部屋だな。足の踏み場もないとはこういうのをい言うんだろうな、少しは片付けろよ。」
天海は諫名が散らかしているような言い方をするが、諫名が来る以前から散らかされていたのだ。今の状態はまだましになった方である。
「はいはい。・・・ありがとな、他にもなんか用事があるんだろ?」
「そ。今晩合コンでさ、男側の人数が足りなくて困ってんの。黎迩も来いよ、暇だろ?」
天海は楽しそうに諫名を誘う。そんな彼の様子に諫名はある意味感心していた。天海も諫名も大学を出たばかりの20代前半。まだまだ遊びたい年頃だ。しかし、諫名は行く気になれず、断った。
「相手はナースだぞ!?ホントに来ないのか?」
行かないと断る諫名に驚いていたが天海はそれ以上誘うことなく帰って行った。
壱迦の方へ向き直ると彼女は窓の外をじっと眺めていた。いつもと変わらない無表情なのに何故か、今日は諫名の目には壱迦が淋しそうに見えた。
外は白い雪が舞っていた。
その日以来、壱迦はよく数学準備室に来るようになった。壱迦が数学準備室を訪れるのは本当に気まぐれで、猫のようだと諫名は思っていた。彼女は部屋へ来ると必ず窓際の座りやすいように調節された教材の上へ座る。窓際は寒いだろうに、いつもじっと外を眺めているのだ。その過ごし方は屋上にいるときと何ら変わりなかった。
夏休みと文化祭が終わり、本格的な秋となり、外にいるのは肌寒い季節になった。その日、諫名は職員室で同僚と話をしていた。彼の口から壱迦の名前が出てきて、興味を持ち、先を促すとどうやら壱迦は保健室登校をしているらしかった。自分のクラスの授業は特定のものしか出席しておらず、それ以外の授業のときは大体保健室で過ごしているらしい。学年は2年、クラスは1組、成績は平均的であることが分かった。他の生徒との仲が良好ではないから保健室登校をしているのかと思えば、そうではないらしく、むしろ男女ともに壱迦に対して友好的で、男子からの告白も絶えないらしい。
教師の間では評価が分かれているようだが、諫名にとっては気になる生徒だった。
「壱迦、もうすぐ冬になるし、屋上は寒いだろ?数学準備室なら俺しか使ってないから、気が向いたらおいで。」
屋上で諫名は煙草を吸いながら壱迦に声をかけた。外にいるのはそろそろ辛い季節なのでそう言ったのだ。諫名の言葉に対する壱迦の返事はない。
じっと、秋空を見上げている瞳は何を想っているのだろうか。
壱迦が来ないことは分かっていた。
しかし、言わずにはいられなかったのだ。
諫名 黎迩は授業のない時間の暇を持て余し、校内を散策していた。
4月にこの学校に赴任してから1カ月が経とうとしているが、未だに教室の場所をよく覚えていなかった。用事のない2棟など全く分からない。今、歩いているのは各学年の教室がある3棟の4階。屋上に続く階段に腰掛けていた。この場所に来たことに大した理由はない。なんとなく足が向いたのだ。しかし、最近運動をしていないせいか、ここへ来るまでに諫名は息切れしていた。煙草を取り出し、口に咥えるが校内が禁煙であることを思い出し、我慢した。
息も整い、そろそろ職員室へ戻ろうと重い腰を上げたところで人の声を聞いた気がして立ち止まる。一瞬、外で行われている体育の授業を受けている生徒の声かとも思ったが、どう考えてもグラウンドの声がここまで届くとは思えないし、声は上から聞こえていた。単純に屋上に人がいるのだろうと考え、今は授業中なので教師の誰かだろうと思っていた。
鍵がかけてあると思われた戸はあっけなく開き、先ほど聞いた声がより明確に聞こえる。それは歌だった。日本語ではなく、どこの言葉かわからないがきれいな旋律が諫名の耳に届く。だれが歌っているのか気になり、辺りを見渡すが人影はなく、貯水タンクの裏に回ってみるとそこには一人の女子生徒が立っていた。
その生徒の名前は立浪 壱迦。長い黒髪に大きな髪と同じ色の瞳は吸い込まれてしまいそうなほど澄んでいた。桜色の形のよい唇、誰が見ても彼女のことを美少女だと口を揃えて言うだろう。こんな生徒がいることを諫名はこの時まで知らなかった。
あの日以来、諫名はよく屋上へ行くようになった。建前は壱迦を注意するためであったが、実際は壱迦に会いたいからだった。壱迦は屋上にいることもあれば、きちんと授業に出ていることもあった。ただ、諫名が知る限り、水曜日の5限目と金曜日の4限目は必ず屋上にいる。
諫名は壱迦の学年もクラスも知らない。壱迦は名前しか諫名に教えなかったし、諫名もそれ以上聞くことはなく、同僚に聞くこともしなかった。
壱迦は不思議な生徒で、毎回、何をするでもなく、ただただ空を見上げているのだった。時折、歌を口ずさみ、諫名がいても一切気にしない。話しかければ返答をくれるが、壱迦から話しかけられたことはなかった。
諫名が壱迦と出会ってから1カ月が経った。6月に入り、もうすぐ梅雨が来る。雨が降れば屋上には行けなくなる。一体、壱迦はどこで過ごすのだろうかと諫名は疑問に思った。
「もうすぐ梅雨になるからここには来られなくなるな。どうするうもりだ?」
そう諫名が話しかけると壱迦は空を見上げたまま返事をした。
「雨は好きだから、別にかまわない。」
その言葉通り、梅雨に入っても壱迦は屋上に来た。紫陽花色の傘を手に雨と戯れていた。
壱迦の瞳は雨を映しても諫名を映すことはなかった。
そのことを諫名はひどく哀しいと思った。
小説を書き始めました。拙いものだと思いますがよろしくです。
基本的に暇なときにUPするので更新は遅いと思います。
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BLも含まれたりするので、その際は男性の方、BLって何?という方、不快感を持つ方は見ないでください。