一 28年ぶりの協調介入
2026年7月31日(米東部時間)、日本の財務省と米財務省は外国為替市場において協調して円買い介入を実施した。8月3日、片山さつき財務大臣とベッセント米財務長官はそれぞれ談話を発表し、両国が共同で行動した事実を公式に確認するとともに、「さらなる協調介入を実施することも躊躇しない」と表明した。
日米が足並みを揃えた為替介入は、2011年の東日本大震災直後以来、15年ぶりである。ただし方向を「円買い」に限定すれば、1998年のアジア通貨危機以来、実に28年ぶりの事態であった。
背景には歴史的な円安がある。7月下旬、円相場は1ドル=164円に迫った。1986年以来、約40年ぶりの水準である。日本政府は5月にも11兆7,000億円という巨額の資金を投じて単独介入を行ったが、流れを止めることはできなかった。すなわち、日本一国では自国通貨を支えきれないことが、市場の前で証明されてしまったのである。
注目すべきは介入の手法である。日本側がドル売り・円買いを行ったのに対し、米財務省はユーロ売り・円買いを実施した。ドルを売れば対欧州でのドル安を招く。それを回避しつつ円のみを支えるという、極めて技巧的な設計であった。介入後、円相場は一時1ドル=157円台前半まで戻している。
二 米国が動いた理由――国債を介した連鎖
ここで問われるべきは、なぜ米国が円買いに協力したのかという点である。
従来、米国は日本の通貨政策に対して批判的な立場に立ってきた。円安は日本の輸出企業を利するものであり、米国はむしろ為替操作の疑いをかける側であった。その米国が、自ら市場で円を買った。この転換は日本への好意によるものではない。米国自身の国債市場を防衛するための行動であったと理解すべきである。
機序はこうである。日本の長期金利が上昇している。10年国債利回りは7月初めに2.901%をつけた。1996年以来の水準であり、年初来70ベーシスポイント以上の上昇である。
国内金利がゼロ同然であった時期、日本の生命保険会社や年金基金は、利回りを求めて米国債を大量に購入せざるを得なかった。しかし国内金利が上昇すれば、為替リスクとヘッジコストを負ってまで米国債を保有する合理性は失われる。結果としてこれらの機関は米国債を売却し、資金を国内に還流させ始めた。
日本は米国債の世界最大の保有国である。2026年3月時点で約1兆1,900億ドル、外国保有分の約13%を占める。そして2026年第1四半期だけで、日本の投資家は約296億ドルを売り越した。約4年ぶりの規模である。
最大の買い手が売り手に転じれば、米国債価格は下落し、金利は上昇する。実際、7月末の米10年債利回りは4.67〜4.7%と、2025年1月以来の高水準に達した。そして30年固定住宅ローン金利は6.6%まで上昇し、約1年ぶりの高さとなった。
日本の円安と米国の住宅ローン金利は、日本国債と米国債を介して一本の線で結ばれている。米財務省が円買いに回ったのは、この連鎖を断つためであった。
三 中間選挙という国内要因
もう一つ、決定的な要因がある。11月の中間選挙である。
トランプ大統領の支持率は7月時点で37%から40%にとどまる。とりわけ深刻なのが物価であり、インフレ対応への支持は22%、ガソリン価格に至っては19%にすぎない。2月に開始したイラン戦争によりホルムズ海峡の航行が阻害され、原油価格を通じて国内のガソリン価格が上昇したことが響いている。
ガソリン価格を押し上げてしまった政権にとって、住宅ローン金利の上昇は許容できない。選挙まで3カ月という局面において、長期金利の抑制は最優先の国内政策課題なのである。
トランプ大統領は8月2日、大統領専用機内で記者団に対し「彼らは少しばかりの助けを求めてきた。我々はいつだって日本のためにいる」と述べた。同盟国への配慮を示す言葉のように響く。しかしこれは、助けたという事実を公にし、貸しを作ったことを宣言する発言と読むべきであろう。
四 これは「通貨同盟」なのか
今回の出来事は、日米同盟の歴史において一つの新しい段階を示している。同盟の作用する領域が、軍事から通貨にまで拡大したのである。
戦後の日米同盟は基本的に安全保障の同盟であり、経済とりわけ通貨はむしろ摩擦の分野であった。1985年のプラザ合意においても、日本は譲らされる側であった。その意味で、米国自身の必要から通貨面で日本と組んだ今回の事例は画期的である。
しかし筆者は、これをもって「日米通貨同盟が完成した」と評価することはできないと考える。理由は三点ある。
第一に、制度が存在しない。共同声明が一枚発出されただけであり、常設の枠組みも恒久的な政策協調の約束もない。プラザ合意やルーブル合意には少なくとも合意文書と目標圏をめぐる議論があったが、今回はその場限りの共同作業にとどまる。
第二に、対等ではない。「彼らは助けを求めてきた」という大統領の言い方が、関係の性格を端的に示している。助けた側と助けられた側という非対称が、公然と言語化されたのである。この貸しは必ず請求される。おそらくは中間選挙の終了後、通商交渉あるいは防衛費の要求というかたちで。
第三に、そして最も重いことに、日本は今回、「自国通貨を自力では守れない国」であることを国際社会に対して公然と認めてしまった。5月の11兆7,000億円の単独介入が効かなかったという事実が、その前提として市場に共有されている。
同盟とは、本来、対等な二者の間に成立する関係である。一方が他方に依存していることが証明された関係は、同盟ではなく従属へと接近していく。したがって筆者は、今回の事態を「通貨同盟の完成」ではなく、「相互人質状態の顕在化」と表現したい。日本は1兆2,000億ドルの米国債を人質に取られ、米国は自国の長期金利を人質に取られている。この均衡が続く限りにおいてのみ、協調は成立するのである。
五 本質的課題――「円の実力」
では日本は何をなすべきか。ここで直視すべき数字がある。
実質実効為替レートは、物価水準の差を調整したうえで円の対外購買力を示す指標である。2026年1月、この数値は67.73(2020年=100)を記録した。変動相場制移行後の最低水準であり、円の対外的な購買力はピーク時のおよそ3分の1にまで低下している。
重要なのは、介入によって名目相場が164円から157円に戻っても、この数値は動かないという点である。介入が作用するのは見かけの相場であって、実力ではないからである。
円の実力を低下させている構造要因は、少なくとも三つある。
第一に、デジタル赤字である。クラウド、ネット広告、動画・音楽の定額配信など、日本の企業と家計が海外事業者に支払う対価は、2024年で6兆7,000億円の赤字となった。2025年上半期だけで3兆4,810億円である。2035年には年18兆円に達するとの推計もある。景気循環と無関係に自動的に拡大する円売りであり、貿易赤字よりも構造的に深刻である。
第二に、家計による対外投資である。新NISAを通じた個人の資金は、その多くが米国株・世界株に向かい、月およそ1兆円規模の円売りを生んでいる。貿易赤字を上回る月も生じている。個人の資産形成としては合理的な選択であり、抑制すべきものではない。しかし国内資産の期待収益率を引き上げない限り、日本の家計が日本を売り続ける構図は変わらない。
第三に、稼いだ利益が還流しないことである。日本は依然として経常黒字国であるが、その中核は第一次所得収支、すなわち海外子会社等からの収益である。その多くは現地で再投資され、円に転換されていない。黒字であるにもかかわらず円が買われない最大の理由がここにある。還流を促す税制上の措置は、即効性のある数少ない手段であろう。
介入はこれら三つのいずれをも解決しない。必要なのは円を買い支える政策ではなく、円が買われる国に戻す政策である。
六 結び――買った時間をどう使うか
以上を整理する。第一に、7月31日の協調介入は28年ぶりの出来事であったが、米国が動いた動機は日本の救済ではなく、自国の長期金利と11月の中間選挙にあった。第二に、これにより日米同盟は通貨の領域にまで及んだが、それは対等な同盟ではなく貸借の関係であり、請求書は選挙後に届く。第三に、円の実力は変動相場制移行後の最低水準にあり、介入はこれを変えない。
通貨とは、その国の実力に対する市場の投票結果である。円が売られ続けているという事実は、市場が日本の将来に低い評価を下しているということにほかならない。今回、日本は米国の協力を得て時間を買った。問われているのは、この時間を何に用いるかである。
買った時間を空費すれば、次に同じ事態が生じたとき、米国が再び手を差し伸べる保証はない。米国が円を買ったのは自国の利益のためであり、その利益計算が変われば、同じ論理で圧力に転じるからである。日本の通貨をめぐる自律性は、いま外交上の課題として立ち現れている。
【主要出典】
財務省「片山財務大臣談話」(令和8年8月3日)/日本経済新聞「日米が15年ぶり協調介入、円安阻止で思惑一致」/同「円安阻止へ波状の介入 米当局はユーロ売り・円買いで共同歩調」/The Japan Times, "Japan confirms joint yen intervention with U.S."/CNBC, "Japan yen intervention: why the U.S. stepped in"/Fortune, "Top foreign holders of U.S. debt may soon dump Treasury bonds"/CNBC, "Why Treasury yields matter more than the Fed for mortgage rates"/日本銀行「実質実効為替レート」/日本経済新聞「『デジタル赤字』高止まり、1〜6月に3.4兆円」/同「貿易赤字超えるNISA円売り 月1兆円」
