ウェブセミナーの外部講師のコーディネートを頼まれました。

当初、スピーカーから、やろうというお話を頂いたので、一生懸命盛り上げようとしてきました。
が、一転、スピーカーから、やらない。中止。の一声で、バラシ(御破算)になりました。
 
ただ、このようなことは、よくあることです。今までも契約書がない状態での約束は、危険だという目にあって来ましたので、反省しないといけませんね。
 
私もワークショップを行う時に思うことがあります。特に外部に行く時は、プロモーターみたいな人が、受講料をほとんど持ってっちゃったり。
ただ、どんなことがあっても、これが誰のための講習会なのか、ということを考えれば、それを乗り越えていけるものです。
 
ハワイ語で、よく使う言葉の中でKuleana、(責任、特権)という言葉をよく使います。人にものを教えるなら、やるなら最後まで責任を持つということです。責任を持てないならやらない方がいいです。
 
その責任は、教えることによる社会に対する責任と、
教える側の人格的に持つべき責任感、の両面あります。
 
最近の、私のハーラウに来る、個人的な相談メールの中で、結構な頻度で来るものがあって、コロナでレッスンがなくなり、しばらく音沙汰がなかったのに、突然LINEで、ハーラウ閉校、とか、サークル解散の通知が来たというもの。
責任放棄ですね。時間を作って、レッスン代を払う準備をして、今までのレッスンの続きを待っている人に対して、メール1本で、さようなら。
自分の生徒と長年付き合っていたとして、メール1本でお別れできるのでしょうか?やはりそこには人間的な繋がりはなかったのでしょうか。
生徒はモノではないし、金づるではない。今までの生徒さんにとって、その気持ちをどこにぶつけていいやら、とても可哀想です。
お金はいらないから教えないというのは、間違えてはありませんし、私もそう思う時がありますが、私の場合は、初めて入会してきた人へのフラへの決意表明と、変な気持ち持ち主への抑止力として使っています。
ただ、長年フラを通じての付き合いがあって、家族同様の繋がりがあったら、はい、今日からおしまいです、とはなかなか言いにくい。
先生側の気持ちとしては、そうせざるを得ない理由もあったのかもしれませんし、100%ダメということではありませんが、少し説明があった方が、フラ-ロスになった今までの自分の生徒さんに、次のステップに行きやすいようなガイダンスを出してあげても良いのではないかと思います。
 
教育には、責任が伴う、という面から考えると、
私がワークショップをやるとして、集まった人たちに対しては、厳しいことも課しますが、しっかり学んでいただきたいが上のこと。
 
長年お世話になった、筑波大学で、私の恩師は、教育学博士でしたので、教育の重要性を教えていただき、その精神教育が今でも残っています。
私の生徒にもよく言っていることですが、その知識の根拠は何か、正しいのか、責任を持って誰かに伝えられるのか、ということ。
嘘を教えてしまうと、自分の生徒が先生になった時に、この知識は誰から教わったのか?というルーツを見られるわけで、嘘を教えた、自分は辱めを受けることになる。
被害者を増やす教育は決していいことではないです。
文献の引用も本当に正しい部分を引用してるかどうか。そもそもその本は正しいことを言っているのかどうか。
この引用の仕方は合っているのか?
それを調べて間違っているとなった時、その論文、その書籍の価値はなくなります。論文の場合は特に厳しく、査読を受けた際に、論文に値しないという、レフリーのジャッジに遭います。エビデンスのない教育は、ただの無駄話であることは明らかです。
 
この話は私にも跳ね返ってくることで、私が教えていることは、私のクムから伝わってきて、また、私のクムはその上のクムから教わってきた。
それを次世代に伝えていくのが伝承であり、正しく指導をしていく。これがフラのライン(系統)の考え方です。
 
さて、コロナ禍の中でも、各地でフラのレッスンが再開され初めておりますし、そろそろ私もワークショップを再開します。
クラフトワークショップは、基本的にホコリがまいますので、コロナ禍以前から、マスクの着用を義務付けていますし。
あとは、アルコール消毒、換気、密にならない、対応し、再開します。
詳細が決まりましたらお伝え致します。
現在考えているのは、ラウハラ編み、イプヘケ作り、オリのワークショップ、です。
会場が決まりましたらお知らせ致しますので今暫くお待ちください。
 
是非参加して頂き、知識の引き出しを増やしていただきたいです。