昨日、フラダンスのコンペティションを見に行きました。

コロナ禍での、ホールで開催されるライブの危険性、コロナに関するくだりについては、私が言及することではありませんので、表題についての話について触れます。
 
今回はチケットを頂くことができたので、特が直接関わった生徒がいるわけではありませんので、フラットな状態で内容を見させて頂いきました。
 
コンペの採点はジャッジの好き嫌いに非常に左右されやすい。
 
周りから見ていて、絶対的にこっちの方が高得点だと思っても、採点は最後まで分からない。
なぜなら点数の根拠がないから。
 
商業的な力が働く興行フラは、チケットを何枚買ってくれるか、その収益が直接、運営資金にはね返る。
運営を手伝ってくれた人には、お礼をすることになるから、ハーラウの力、知名度が成績にはね返るのは、ない話ではない。
 
それに採点表は全公開されない。
 
社交ダンスの場合のジャッジシートは、掲示されるから、優勝した人と自分との点数の開きがどの部分であるのかということを知ることができる。
フィギュアスケートは、以前、オリンピックのジャッジに不正があって、それからとても点数が最後かされてわかりやすくなっているし、もちろん全公開。
 
全ての参加者の祭典を知る事さえできれば、自分が都内部分をどのように克服するかを考えればよい。それが次回への自分の糧になる。
 
他の人と自分を比較し、この人はこの部分が強い、自分にはこの部分めちゃない、など、弱点を明確にすることができる。
 
残念ながら、フラのジャッジシートは一般に公開されない。
保守的だから。なのか?
 
自分の点数が伝えられるが、それでは比較にならない。
 
なんでそうなるのかという採点の根拠が示されないから、会場からも疑惑の念が絶えない。
 
コンペを拝見したところ、コンペに出すレベルで、とても均衡していました。
 
私の予想はことごとくはずれ、この人とこの人は勝てるレベル、という人が全く入賞しない。
 
入賞したハーラウは、複数エントリーで、他のカテゴリーでも入賞していたハーラウでした。私が見た中ではちょっと残念と思うハーラウであっても、賞を取れてしまう。
 
最も懸念しなければならないのは、ジャッジの生徒のハーラウが多数入賞してた。
ジャッジの関係者を大会に出場させるのは、その大会の権威に関わるし、大いに公平性に欠ける。