昔習ったことはずっと覚えているけれど、つい最近習ったことはすぐ忘れちゃう。
ずっと反復して続けたことは覚えているけれど、1回ちょこっとやったぐらいでは、2-3日経つとすぐ忘れる。
ワークショップで2日間で6曲とか7曲を教わってもそれは決して良い教え方ではないし、良い習い方でもない。
かといって、時間がない中で詰め込んで、教わるしか方法がないとしたら、問題は教わったあとの、復習をどれだけ自分でできるか、ということになる。
今年に入ってからウクレレを教わりたい人が自分のウクレレを持ってくる。
教わりたい、と思うから教えてあげて、ビデオも撮らせてあげる。
が、練習してこない。
まあ、毎日忙しいのだろうね。
私も忙しいけどね。
私の父から、また、母から、色々なことを教わって今に至るが、
父の晩年、ある程度余命がわかった時、一緒に過ごすことができる時間が、わずかだと知りながらも、父の教えをすべて理解できず、また、習得もできなかった。
人生の大先輩であり、唯一無二の理解者からの、知識の習得の機会はもうない。
質問をしたところで、もう何も答えてくれない。
習う側の都合よりも、教える側の都合が優先されるわけだから、どんなことがあっても相手のペースに合わせないといけない。
教えて貰える、ということはお金では測ることは出来ないし買えないことだ。
私のクムに、ものすごく怒られたけど、少しでも近づこうと、必死に勉強した。猛烈について行こうと頑張った。
とはいえ、もう質問しても、天国だから、何も答えてくれない。
他のクムが教えてくれないことを沢山教えてくれたのに、私自身のフラに対するの知識の低さよって、とても勿体ない時間を浪費してしまった。
もっともっと学びたかった。
手本は1回しかやってくれない。もちろんビデオなんか撮って良いはずもない。
そもそも、クムに何度も同じことをやってもらうなんて、そんなの無理。
とにかくよく見ろ。
クムがよく言っていたこと。
でも、これは、今の私のハウマナにも言っていることだが、全くダメだ。
中には自分でハーラウや、サークルを持っていて、収入を得ている人もいるが、何かを得て帰ろうという気構えはあるのだろうか?
果たして真剣なんだろうか?
人が説明してるのに、隣とおしゃべり。教えたことすら、復習もしてこないで、仲間と会うのが1週間ぶりで、会話もはずむ。全く楽しそうだ。菓子食ったり。
その間、私の時間は勿体ない。
習ってないから出来ない、と言う人だけで解決方法を考えない人は、1年経っても同じことを言うのだろう。
まあ、私とは時代も覚悟も違う。
年代的にゆとり世代のように若くなくても、生活にゆとりがあるから、別にフラが多少出来なくても、生活に困るわけじゃないし、クラスの中で怒られても、大人数の中の1人の自分だから、大して自分のこととして思わない。
必死さ、は、ないね。
所詮、習い事。
フラに対する気持ちはそれぞれ。ほとんどがお楽しみのために来ているからね。
厳しくすれば、やめちゃう。
だから、辞めないように、少し楽しくやらないと、と思う自分にも腹が立つ。
その考えとは真逆に、この頃、真剣に怒る自分のことを、自分で許せなくなる。
そんなに怒るなんて、おかしいから、少し穏やかになれ、ということだ。
そう。時間の浪費は、私が考えることではないのだ。教わる方が、時間が勿体ないと思わなければ、それでいいのかもしれない。
適当にやればいいのか。
それが、時代であり、現代的な考え、なのだろう。
でもそれは、指導者としての責任を放棄することになる。
時間を無駄にしたなぁ、とか、それを損だったと理解した時には、既に自分の先生は、自分の傍にはいない。
現代的に考えたら、
先生が居なくなったら、次の先生を探して、お金払って習えばいいや、って、思うのだろう。
私はクム チャールズ・カウプが亡くなってから、長年、自分が師事したいクムを探したし、たくさんのクムフラに直接会って、話をしたり、お願いしたりした。
断られたり、逆に断ったり。
結局、特定のクムフラに師事することを諦めた。今後もない。
なぜなら、チャールズ・カウプ以上の、良き理解者で、厳しくて、頑固で、優しくて、いい加減な、こんな強烈なクムフラは、見つからないから。