ちょっとカタイ話です。

 今週は日本にいるので、メルマガも休み。結構この頃何を書こうかなぁと考えてしまうことが多かったので、今週はそんなことを考える必要もなく、また、日本での生活を送っているので、いろんなことを考えながら、滞在中。

 先日、特別養護老人ホーム(通称、特養)に行きました。特養は私も茨城にいる時に理学療法士(PTといいます)として働いていたし、介護施設として考えれば、介護職として数年働いていましたことがあります。
 日本での臨床医療の現場を離れて、半年。今回特養に行った時、なんだか、自分の今までやっていたこととか、その特養にいた介護職の皆さんや、PTなどのリハビリ専門職の人たちの姿を見ていて、なんだか、「?」と、思ってしまいました。と、その瞬間、
「あぁ、もう私はこういう現場には戻らないなぁ」
って思っちゃいました。
 理由付けをすることは難しいのです。
ただ、今の私は、医療職としての視点ではないわけで、一般人として視点で見たときの、「施設」って、とっても不自然。

 今までの私にとって、特養は職場。
そう、職場って、給料をくれるところ。
給料をもらうために仕事をするところ。
じゃぁ、そこで、私は一体何をしていたのだろう?何が出来たのだろう?って思うと、なんだか複雑な気分でした。

 今はクライアントと一対一で向き合う時間が多いし、マッサージなら60分以上はマンツーマン。でも施設はそうは行かない。

 「施設送り」って言葉があるぐらい、施設ってあまり良い言葉じゃない。
人生の終焉を迎えていく人生の先輩達に、子供だましのレクリエーション、苦痛が伴うリハビリ、芋荒いのような入浴・・・。

 高齢者の介護問題について、私自身、あまり社会が注目するずーっと前から、勉強をしてきたつもりだったし、指導もしてきました。
でもそれって、論の上に論がのっかているもの。根本的なものが欠如したままなんですよね。今の社会もきっとそうだと思う。見えるものしか信じない。医学的な客観的な事実だけを信じる。それっておかしいよね。
 何でも「やれゃいい」ってことじゃない。本人の意思は必ず働くはず。すべては気持ちが体を動かすんだもん。
 心の叫びを聞いてあげたい。この人達がどうしたいのか、もっと考えてあげて~って。

 これは私が現役のときから思っていたことではあったけど、現役を離れると、3倍ぐらいそれがよくわかる。だからこそ、悲しくなっちゃった。

 何を書いているのかよくわかんなくなってきた・・・。

 さて、日本に帰ってきて、疲れたことは、アスファルトの上を靴で歩くこと。さすがに足も腰も痛い。靴をひさしぶりに履いているからつま先も痛い。
 満員電車。人の多さ。物の豊かさ。人の歩くスピード。携帯電話でメールやっている人の多さ。会話のなさ。日本食のおいしさ。故障していない車の多さ。

 なんだか感動(?!)しています。

どこに行っても日本語が通じること。

これが一番感動していること。です。(真剣)