「大川小訴訟~石巻市議会、上告議案を賛成多数で可決」 | 世直し「クモスケ」のブログ

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オイラは通称「クモスケ」推定40歳。首都直下型大地震、南海トラフ巨大地震+富士山噴火が怖くて一昨年の6月、東京都内から被災地宮城県に逃げてきた年収200万円のタクシードライバー。古女房と12歳の長女に7歳の長男の4人暮らしの「チョー貧乏」な一家です

 

 

 

(期間限定記事につき削除後、ブログ末尾参照!)

 

「大川小控訴審」で仙台高裁が1審以上に重い判決を下したのはいいが、実は、その判決理由で少し違和感を覚えてしまったことがあった。はっきり言えば「控訴審の争点」がズレていた。あくまでも「学校側の避難場所の判断ミス」だけを争点にして強調し、あとの能書きはそれに付随すべきだった。なお、控訴審では、市側の過失責任を厳しく糾弾してくれたことから、オイラはあえてその事には触れなかったのさ

 

しかし今回、オイラが危惧していたとおり、争点のズレ(下記2点)が石巻市側の上告理由になってしまったのだ

 

1 「学校と市教委には平均より高いレベルの防災知見を得る義務があった」

(高裁は児童の安全確保を「公教育制度に不可欠の前提」とした上で、学校保健安全法を「根源的な義務を明文化したもの」と解釈。義務内容は校長や教委がそれぞれの「実情」に関する情報を収集蓄積した結果で定まり、規範性を帯びると指摘)

2 「危機管理マニュアルの作成過程で津波への危機意識が薄い住民を説得し、互いの避難行動の調整を図る義務があった」

 

 

これら2点に対して、石巻市側では次のように反論・指摘していた

 

1に対する石巻市側の反論

 

「震災前の時点で河川堤防が損壊し、大川小が浸水することを予見することは専門家でも困難。防災や堤防の専門家でない校長らが予見することは不可能を強いるに等しい」

 

 

2に対する石巻市側の反論

 

「同校の校長らが独自の立場でハザードマップの信頼性を検討する必要があったとの認定に対しては、『校長らが独自の立場で信頼性を批判的に検討することは予定されていない。類似訴訟の仙台高裁の判断とも相違する』と主張した」

 

「判決が避難場所を『バットの森が適当だった』としたことには『林道入り口まで約700メートルも歩く』と説明。避難方法として不適当との認識を示した」

 

そして8日、記者会見で亀山市長もこう語っていた

「事前に東日本大震災を本当に予見できたのだろうか。皆さんにも聞きたい。われわれには想定できなかった大災害だ」

「東日本大震災は想定外だった」と。さらに、こう続けた

 

「児童の安全を確保しなければならない学校設置者の責務は真摯(しんし)に受け止めるが、市教委や校長らに(高裁判決が)求める内容は震災後も実現困難なものが含まれ、過失認定の基準には不合理」と上告理由を説明していたよ

 

う~ん……市側の反論にも一理あるなあ。控訴審で学校保健安全法を論拠に学校と市教委が負うべき「安全確保義務」を初めて定義したのは評価できるし、たしかに、児童たちの学校での安全が保障できなければ、養育監護を強制的に学校に委ねる義務教育の正当性が否定されてしまう、という能書きも最もだろう

 

だが、亀山市長の言うように「東日本大震災は想定外」だった。ここまで現場の先生たちや学校側につっこんで強いるのは無理があるぜ

 

仮に、最高裁でも控訴審と同様な判示だったら、これはエライ事になるぜよ

「学校保健安全法」の解釈を巡る初判例となることから、全国の教育現場の防災対策も一から見直す必要に迫られてしまう

 

万が一、東南海トラフ巨大地震や首都直下型大地震が発生した場合、大川小学校のような悲惨なケースとなってしまうような学校は数多く出てくると予測される。マグニチュード9・0クラスの巨大地震が発生すれば当然、想定外の被害状況を覚悟しておく必要がある。オイラは、実際に被災地に来て大自然の猛威の爪痕を目の当たりにした瞬間、言葉を失ってしまったぜ。理屈じゃあねえw! 学者の能書きなんか一切通用しねえぜ!

 

たかだか、人間が想定した範囲内の被害状況なんかで済まないよ。その時になってみないと、何が起きるかわからない。そうなれば、各地域によって罹災形態も多様だから、避難対策・訓練のマニュアル作成なども個々の地域の特性を考慮した内容に変更するなど、より実状に沿って具体的に作成し直さねばならないのだ

 

震災後、いったん訴訟沙汰になれば(それも10件や20件では済まないと思うが)、そこまで突っ込んで責任を追及されてしまうのだから、各地域ごとのそれ相応な震災対応マニュアルの作成は大変な作業となるが、今の日本の教育現場はそんなに暇ではないだろう

 

大川小学校の控訴審だが、ハナから違うんだよな、争点が!

こんな事述べてしまったら、亡くなられた現場の先生たちに気の毒だが、やはり、「避難場所を川の脇の『三角地帯』にした学校側の判断ミス」だったのさ

 

控訴審判決では、「宮城県沖地震が起きた場合、近くの北上川堤防が揺れで沈下したり、遡上(そじょう)津波で壊れたりする危険があった。地震や津波で堤防が壊れた事例は震災前にも複数あり、さまざまな文献などでこれまでも紹介されていた」と、指摘していたが、これにはオイラも納得した、というよりか、これが唯一正しい判示だった

 

【画像:大川小学校の裏山】

オイラは小学生の頃、これより険しい山岳地帯の「山登り=山遊び」を時々経験したことがあるが、当時の山から比べたらこの裏山なんか楽勝だぜ。小学生でも簡単に登れる裏山だったと思う。なぜ、ここに避難しなかったのか、その本当の理由がわからねえや……ガイドしたお客さんたちのほとんどが、大川小学校の裏山を見て悲しんでいたぜ。皆さんは沈痛な面持ちで「なんで」と、つぶやいていたよ。裏山に避難しなかったことが納得できなかったという

 

311発生時、オイラは東京にいたが、一瞬、駿河湾沖の「東海巨大地震」が発生したのかと勘違いするほど激しく揺れていた。まして、震源地に近い大川小学校ではかなり揺れたんだろうな。あれだけの揺れじゃあ、間違っても「水(川)」の方向なんかには避難しねえだろう、チューの! 仮にだが、当時、オイラが大川小学校の教師だったら即、迷わず裏山に避難させていた。45分もあれば、74人の児童や先生たち全員が助かっていたと思う

 

 

このことは、一度でいいから大川小学校に足を運ぶとわかることだ。45分間、海抜が低くて川に近い校庭(川から約200メートルの距離)で待機している暇があったならば、なぜ安全な高台(裏山)に児童たちを避難させなかったのか、と。なにも津波が遡上してくる恐れがあるような川の近くまで避難することはなかったのに……先生の指示に逆らって裏山に逃げた児童は助かったのが、そのことの証明だろう

 

オイラは、大川小学校の亡くなられた児童の遺族ではないが、被災地巡りの乗客たちをガイドするたびに、裏山を見るといつも心の中で嘆いていたよ

「なぜ、裏山に避難させなかったんだ。そうすれば亡くなられた74人の児童たちも、助かっていたのに」……と。助かる命だったんだぜ

                            合掌!

 

 

 

*削除後に閲覧してくれ!

「石巻市が上告へ 議会が賛成多数で可決」

毎日新聞201858 1856(最終更新 58 2204)

 

東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族が市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、石巻市議会は8日、学校や市教委の事前防災の不備を認めた仙台高裁判決を不服として、亀山紘市長が提案した上告関連議案を16対12の賛成多数で可決した。県も市に同調することを表明し、司法判断は最高裁に持ち込まれることになった。

 

 亀山市長は同日招集した臨時議会で、津波は予見不可能だったとして「児童の安全を確保しなければならない学校設置者の責務は真摯(しんし)に受け止めるが、市教委や校長らに(高裁判決が)求める内容は震災後も実現困難なものが含まれ、過失認定の基準には不合理」と上告理由を説明した。

 市議からは「判決は学校の教職員にあまりに厳しい内容」と上告に賛成する意見が出る一方、「裁判を長引かせるなという市民感情を受け止め、学校防災の先進地として踏み出すべきだ」との反対意見も出た。亀山市長は「国全体の問題として今後の防災のあり方を最高裁で議論してもらいたい」として、現場の教員らに事前防災への重い責務を課した高裁判決に不満をにじませた。

 傍聴席では、10人の原告遺族が見守った。起立採決で上告が決まると、原告団長の今野浩行さん(56)は「我々の子どもの命は道具ではない。市が率先してやるべき学校防災(の判断)を国に求めるのは責任転嫁で許せない」と憤った。遺族の佐藤美広さん(57)は「7年たっても私たちの気持ちは伝わらない」と無念さをあらわにした。

 議会閉会後、亀山市長は宮城県庁を訪れ、村井嘉浩知事と対談。10日に期限を迎える上告に向けた手続きについて協議した。