「とうちゃんは?」  | kuminsi-doのブログ:笑って介護

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≪「とうちゃんは?」≫ 

 

「とうちゃんは?」 

義母は義父の行方を聞く。 

 

「とうちゃんは、病院に入ってるだ」 

夫は新聞を読みながら、答える。 

「どうして病院に入ってるだ」 

義母は不信そうに聞く。 

「人に移る病気になったもんで、移らないように入ってるの」 

夫は相変わらず新聞に目をやったまま答える。 

「まあ、それはいかんわ、なんでそんな病気になっただな」 

義母は驚いたように言う。 

「だで、移るから、会いに行けないから」 

夫は淡々と答える。 

「そりゃそうだ、移っちゃいかんでな」 

義母は納得し、頷きながら答える。 

 

暫くは静かに朝食を食べる。 

 

「とうちゃんは?」 

義母は義父の行方を聞く。 

 

「とうちゃんは、病院に入ってるだ」 

夫は新聞を読みながら、答える。 

「どうして病院に入ってるだ」 

義母は不信そうに聞く。 

「人に移る病気になったもんで、移らないように入ってるの」 

夫は相変わらず新聞に目をやったまま答える。 

「まあ、それはいかんわ、なんでそんな病気になっただな」 

義母は驚いたように言う。 

「だで、移るから、会いに行けないから」 

夫は淡々と答える。 

「そりゃそうだ、移っちゃいかんでな」 

義母は納得し、頷きながら答える。 

 

また、静かに食事をする。 

 

「とうちゃんは?」 

義母は義父の行方を聞く。 

 

「とうちゃんは、病院に入ってるだ」 

夫は新聞を読みながら、答える。 

「どうして病院に入ってるだ」 

義母は不信そうに聞く。 

「人に移る病気になったもんで、移らないように入ってるの」 

夫は相変わらず新聞に目をやったまま答える。 

「まあ、それはいかんわ、なんでそんな病気になっただな」 

義母は驚いたように言う。 

「だで、移るから、会いに行けないから」 

夫は淡々と答える。 

「そりゃそうだ、移っちゃいかんでな」 

義母は納得し、頷きながら答える。 

 

また静かに食事をする。 

 

義父が施設に入って約2か月になる。 

 

義父の居た時は、夜中に義父がトイレに行った後は会話なのか、怒鳴り合いなのか分からないが、毎晩、二人で大声を上げていた。 

そのおかげで私と夫は毎晩、起こされていた。 

「また、騒いでいるよ」 

私が夫に言う。 

「いつものコミュニケーションだ、ほっとけ」 

夫はそう言い眠りにつく。 

 

流石に毎晩の事なので私たちは次第に見に行くことを辞めた。 

大抵、次の朝は何もなかったかのように義両親は2人とも起きて来るのだった。 

 

 

 

義父が入所した日 

私は、「とうちゃん。とうちゃん」とうるさい程に義母が義父を探しまわると思った。 

しかしその日、一言も「とうちゃん」とは言わなかったが、義母は自分の布団と義父の布団を今まで通り敷いて寝た。 

静かな夜だった。 

 

2日目も義母は「とうちゃん」とは言わなかった。 

そして義母は自分の布団と義父の布団を敷いて寝た。 

静かな夜だった。 

 

 

3日目も義母は「とうちゃん」とは言わなかった。 

やはり義母は自分の布団と義父の布団を敷いて寝た。 

静かな夜だった。 

 

 

4日目の朝 

「とうちゃんは?」 

義母は初めて義父の行方を聞いた。 

 

「とうちゃんは、病院に入ってるだ」 

夫は新聞を読みながら、答える。 

「どうして病院に行ってるだ」 

義母は不信そうに聞く。 

「人に移る病気になったもんで、移らないように入ってるの」 

夫は相変わらず新聞に目をやったまま答える。 

「まあ、それはいかんわ、なんでそんな病気になっただな」 

義母は驚いたように言う。 

「だで、移るから、会いに行けないから」 

夫は淡々と答える。 

「そりゃそうだ、移っちゃいかんでな」 

義母は納得し、頷く。 

 

こうやってこの日からこの朝食の会話が始まった。 

 

そして日を追うごとに義母は穏やかになり、ショートステイに行っても「帰る。帰る」と騒ぐことは無くなっていった。 

 

その代わりに、あれほど足腰が元気で、すぐに2階に上がって来ていたが、全くその気配はなくなり、「腰が痛いだ」と言うようになった。 

 

「おばあちゃん、腰が痛いで、部屋の炬燵に居ればいいよ」 

私は腰の痛みを訴える義母に言う。 

「そりゃ、楽でいいわ」 

そう言うと義母は自分の部屋に入る。 

 

暫くする。 

「これから、畑で草取りをするで、頼むな」 

義母は何故かパジャマに着替えると外に行こうとする。 

 

「腰が痛いんだから、炬燵に居れば」 

再度私が促す。 

「おしっこに行きてえだ」 

義母はどうしても外に行きたいらしく、外のトイレに行く。 

 

トイレから出るとその足で畑の草取りに向かう。 

 

「お茶だよ」 

私が義母と夫に声を掛ける。 

 

「腰が痛てえだ」 

義母は、そう言いながらキッチンに入って来て椅子に座ると、直ぐにお菓子を頬張る。 

 

3人でお茶を飲んだ後、義母はまた外に出て行こうとする。 

 

「腰が痛いんだから、炬燵にあたって居れば」 

私が言う。 

 

「おしっこに行くだ」 

義母はそう言ってまた外のトイレに行く。 

その後は草取りをする。 

 

いくら言っても義母は草取りに行く。 

私は義母の好きなようにさせることが本人の幸せと思っている。 

腰が痛いと訴えるが草取りをしてもらっている。 

 

 

「どうしてこんなになちまっただな」 

義母は時々呟く。 

 

最近、義母は腰が痛いらしく、布団を敷くのが辛そうで時間がかかっているので、夫か私が義母に変わって布団を敷くことにした。 

しかし、義母は、その後義父の布団を必ず敷いて寝るのである。 

 

布団を敷くのは辛くないのかな??? 

愛する義父の為に布団を敷きたいのかな??? 

 

私は試しに義母の布団を敷かなかった。 

 

その夜、私は寝ようとトイレに行くと、義母の部屋の入口の襖があいているのが見えた。 

そっと覗くと、義母は布団を敷かずに炬燵に丸まって寝ていた。 

義父の布団も敷かれていなかった。 

 

次の朝、義母の部屋を覗くと義母は昨夜と同じように布団を敷かずに炬燵に丸まって寝ていた。 

 

そこで、その日の夜、義母の布団を私は敷いた。 

夜中、義母の部屋を覗くと義父の布団が敷いてあった。 

 

どうする??? 

 

私は義父の布団を敷くのも義母のリハビリと思うことにした。 

そこで毎日義母の布団を敷くことにした。 

 

朝 

「とうちゃんは?」 

義母の義父の行方を聞く会話が始まる。 

 

義母にとって義夫の布団を敷くのが習慣化している??? 

それとも義父が毎日帰って来ていると思っているのかな~ 

 

義母にとって義父は今どこに居るのだろうか??? 

それとも認知症が進み、布団を敷いてあげないと夜が分からなくなっているのかな~ 

 

私は次第に認知症の深みにはまって行く義母をただただ眺めるしかないんだよな~