のんびりと・・・・・ -2ページ目

のんびりと・・・・・

平凡のようで平凡でない。そんな私の歩く道。

父が亡くなって2週間。

短いようで、長いようで・・・・・・

未だ父が亡くなってとは信じられません。

脳に転移をしたと聞いたとき

ネットで色々調べてみたみました。

予後はやはり長くない・・・・・・

そんな事ばかりを目にしていましたが

”父は大丈夫・・・・・”

そんな思いでいました。

でも、脳に転移してから二ヶ月・・・・・・

あっという間でした・・・・・

それでも、私は父に生前自分の心にためていたこと・・・・・・

それを伝える事ができただけでも後悔はしていません。


問題はこれからの事。

母一人で、暮らしていけるのか・・・・・・

財産と言っても土地があるくらい・・・・・

それも、調整区域の為売るのは難しい・・・・・

おまけに車のない母にとって交通は不便。

そして、母は物忘れがひどい・・・・・・

だれか母と一緒に暮らすのが望ましい・・・・・

でも、姉妹家族は皆それぞれ長男・・・・・

母は一番上か一番下に後を継いでほしいといいます。

でも長女の姉は9年前に旦那を亡くし

姉一人では母の面倒は見れないでしょうし

何せ、お金にはルーズで母も困っているほど・・・・・

すると必然的に私しかいないのですが・・・・・・

母も本音は私に面倒見てもらいたいようです。

しかし私の病気を考え

「お前が病気が悪くなるようになったら困るから・・・・」

「お母さんの事は気にしなくていいよ」と言います。


でも・・・・・・・・

たくさん苦労をしてきた母・・・・・

私も正直悩んでいます。

病気の私が後を継ぐことができるのか・・・・・・


昨日のカウセリングでは、

”とりあえず今はゆっくり休むこと。”

そういわれました。

今は無理かもしれないけど、もう少し時間をおいて

これからの事を考えたいと思います。

私は父が死んだというのに泣けない。


今回私はかなり頑張ってる。


ご飯の支度から片付け、お茶だし。


気がはってるだけなのか・・・


わからない。
金曜日から、意識がもうろうとしはじめた父。

日曜日には起き上がることも出来ずに

尿管へ管をさしました。

意識はなく、何とか呼びかけに反応する程度。

でも、誰なのかまで分かってない様子。

そして、熱も出てきはじめ。。。。


昨日、主治医の説明で脳に転移したガンが大きくなっていること

元々の肺のガンも大きくなっていること

それが悪さをして、ここ数日脱力症状や熱が出ているとの事。

姉が余命を聞いた・・・・・


主治医は「余命というのは判断できなかねない・・・・・」

「でも、一般的に判断すると、食事がとれなくなれば

一週間から二週間」

「いつ何が分からない状態であり、覚悟が必要な時期になっています」


と言われた。


母は泣いていた・・・・・・・


姉も泣いていた・・・・・・・


私は呆然としていた・・・・・・・


父を憎んでいながらも、愛されたいと思っていた時もあった。

それが病因の一つにもなった・・・・・

でも、それを考え直したとき

やっと、普通の父子になれると思っていた。


決して子煩悩の父ではなかったし

父との思い出はない・・・・・

だからなのか、私は泣けなかった・・・・・・


初めて、ホントに初めてちゃんと父に話しかけた

父は意識がほとんどない

「お父さん。くみこだよ。わかる?」

父はうなずいた・・・・・

父に優しい言葉で、ちゃんと話せたのは

ホントにこれが初めてだった。


娘は、生まれてすぐから、小学入学するまで

実家に暮らしていたので

娘にとって父は、おじいちゃんでもあり、父親代わりでもあった。

だから、かなりのショックを受けている。

おなかが痛いと昨日も学校を休んだ。


姉の死からまだ5ヶ月・・・・・・


やっと乗り越えつつあるのに・・・・・・
父の脳への転移は


放射線治療でほぼよくなってきたようです。


しかし、後遺症があり


歩くことが思うように出来ません。


トイレに行くにも、今は歩行補助器具を使用しています。


看護士からリハビリを勧められても


「こわいからしない・・・・」
(北海道弁で、身体が辛いという意味です)

しかし、トイレまで間に合わないことも多くなりました。


今は、ベッドの横に簡易トイレを置いています。


このままでは寝たきりになってしまうのに


全く、無気力状態・・・・・


先週私もお見舞いに行きましたが、


何を言っているのか、全く分かりません・・・・・


「迎えにくるんだ・・・・」

「長くないんだ・・・・」


と死ぬことばかり考えているようです。


やはり、脳に転移を聞いたことで本人は


”死”を覚悟したのかもしれません。


しかし、放射線治療を終えた今


病院では退院を勧められたそうです。


母は、今の状態では自宅には帰れないと言うと


受け入れてくれる病院を探してくださいと


転院を勧められました。


本人も自宅に帰りたいとそればかり・・・・・


一番上の姉が


療養型の病院へ勤務している事から


転院先は決まっているのですが・・・・・


これから先、どうなるんだろ・・・・・・・


母も疲れがピークになってきています。


父が生きる気力を持ってくれるといいのですが・・・・・
しばらく、落ち着いていた自傷行為が復活したのは

先々週の事です。


金曜日の夜にODをしちゃいました。


原因は・・・・・・・


姉達との関係の事。


父が元気ならまだ考えもしなかったけど


姉が亡くなって、納骨も済んだ今


もう、争いはやめたいと思いました。


その原因が私にあると思うと


それは辛く、苦しくなるばかりでした。



そして、気づいたら薬を飲んでいました。


目が覚めた土曜日、


私は、すぐ上の姉に電話をして謝りました。


運悪く、義父様が危篤(今は元気です)の知らせが来た時で


長い話は出来なかったのですが


すぐ上の姉は


「わかったよ・・・・もういいから・・・・何も言わないでいたのはまた気にすると思っていたから」


そう言ってくれました。


あれだけ、暴れた私にかなりの敵意を思っているだろうと思ったいただけに


びっくりしたのが本音です。


そして3番目の姉の件も私が原因であると知らされました。


一切の連絡もなしに、葬儀も出ない・・・・・


私は、すぐに電話をして謝りましたが


忙しいからと、濁らされました・・・・・


彼は、仕事に行っていたのですが


母に電話をしていてくれ


甥っ子が、私と娘を迎えに来てくれました。


母には「もう、きにするんじゃない!!放っておきなさい!」と言われましたが・・・


そういうわけにもいかない私・・・・・


姉が縁を切りたいと思っているのは私なら


私が、家族から離れればいいわけで・・・・・・


でも、娘が慕っている以上


祖父母からは離れられません。


夕方、3番目の姉の自宅へ1人で行きました。


そして、会って謝ろうと・・・・・・


義兄は居たのに、部屋からは出てきませんでした。


そして姉から言われたこと・・・・・



”通夜の前夜の時、病気だからって何も出来ないじゃなくて、何か出来たことはあったのでは?”


”病気だとわかっていても、そういう態度や言動にカチンときた”


”あんたは1人、一度自宅へ帰ったけど、私は、皆帰っていいと言うくせに、帰ろうとすると


「なんだ!帰るのか!」と父から言われた”


”私は、葬儀にも出れないほど傷ついた”


そう言われました・・・・・・・・



確かに、何も出来なかったと皆に言ったのは反省しています。


でも、じゃあ本当に何もしなかったか?


いいえ。。


私は、私なりに出来ることをしていました。


甥っ子の通夜の準備の為、


制服のクリーニングや、靴やその他の買い物・・・・・・


洗濯物をコインランドリーに行ってしたので、その間は確かに家に居ました


そして、義兄のブログに亡くなった姉の事など、お礼のコメントをしたり・・・・・


でも、それは周りから見たらしてないうちかもしれません・・・・・・


しかし、私はひたすら謝りました。



すると・・・・・



「病気治す気あんの?」


と言われ・・・・・・


おまけに


「あんたは、身体が悪いとか、ガンというわけじゃないんだから


ちゃんと治しな!」


そういわれました・・・・・・・


姉は元々、きつい性格なので、そう聞こえただけで


心配してくれて言っていたのかもしれません。


でも・・・・・・・



かなりの、ショックでした。



そして月曜日・・・・



本気で死のうと思いました。



もう疲れたんです。



病気が治らない苛立ち・・・・・


絶対に言われたくない言葉・・・・・・


薬も無い、何もない私にどう死ねるのか・・・・・・



それは服毒自殺です・・・・・・・


私は服毒自殺をはかりました・・・・・・・


何かは言いませんが・・・・・



そして救急車でそのまま入院。




でも、意識がもうろうとする中


私は彼に


「死にたくない」


そう言ったそうです。


本当は生きたかったんです。



まだ、幼い娘をおいて死ねない・・・・・・・


亡くなった姉との約束も守れない・・・・・・・



私は祖父の写真を見つめ


「おじいちゃん・・・・・・迎えにきて・・・・・」


そう願っていました・・・・・


でも、祖父は迎えにはきませんでした・・・・・



私に


”生きろ!!”


そう言ったんです。



だから、私は生きているんです。



一日入院の後も自傷行為は止めれず毎日。




おまけに不眠の毎日が続いています。


また入院の話も出ましたが


私は断りました。



ここは、1人で乗り越えていかなければ・・・・・・


そう思い今日も、耐えています。

日曜日、彼と娘と3人で桜を観にいきました。

とっても、綺麗に咲いておりました。

亡くなった姉を思い出しながら、姉の分まで桜を観て来ました。


北海道にもやっと春が来ました。



のんびりと・・・・・-sakura
消化器科は前回キャンセルした胃カメラを来週することになりました。
(>_<)
空腹時になると、胃酸が逆流するんですよね・・・・・

あ~しょぼん嫌だけど頑張ります


精神科の診察は、先生と相談して減薬になりました。

”デパケン”を今まで朝と夕に服用していましたが

デパケンは、躁状態の抑制にによく使われるんですよね。
(ネットで調べてみました)

最近の私は躁状態になることはなく

むしろ、うつ状態・・・・・・

それで、昨日から勝手に服用をやめてみたんです
(ホントは勝手に服用をやめるのは良くありません)

すると、何だか調子が良い!

それを先生に相談したら

「止めようか」とあっさり言われちゃいました。
むっ

薬の追加って簡単だけど

減薬は難しいです。

この後の減薬によりどんな症状がでるか

少々不安でもあります。

自分の薬について、ちゃんと知ることも

治療の一つなんだなってつくづく思いました。


カウセリングは、

自傷行為が無いことや

したくなっても、

娘の姿や、色んな人の言葉に支えられ

気持ちの切り替えが出来ることを伝えました。

辛いときや、苦しいとき

いつも、温かい言葉をくれる事が

とっても嬉しく、乗り越えられるんですよね。


カウセリングでは、姉妹関係も話しました。

謝りたいが、思うように気持ちが伝わらないこと。

メールでは一方通行なので会って話したい。

でも先生は、

「相手が受け入れられない時は、メールでも直接会って話すことも

変わらないよ」と言われました。

確かに、今の時期は姉達は私を受け入れないと思います。

姉達も、以前の私のように

”親から一番に思われたい!”

という気持ちがあるのだと思います。

だから、父と母が私の病気の事でかばうことを

よく思わないんだと思うんです。

私もそうでした・・・・・

姉がガンで実家に居るときは、

自分の病気の事なんて心配じゃないんだって思ったものです。

でも、私はたくさんの人と出会い、色々学び

今の家庭が一番大切と思うようになり

私には素敵な家庭があると思う事で

親から心配されなくても、何も思わなくなりました。

今では、逆に心配されることが困ったりします。

その事で、他の姉がよく思いませんから・・・・・

私の姉妹は、親から一番に思われていたいという

感情が強いんだと思います。

すぐ上の姉に関しては

父から唯一可愛がってもらった姉ですから

余計に、面白くないんだと思います。

それと、姉が亡くなった事で

姉達の感情が不安定なんだと思います。

先生も、時間が必要だと言っていました。

伝えたいことは、伝えたつもりです。

後は、姉達が私の気持ちを受け取ってくれるのを

待つしかないんだと思います。


先生は、父との関係に驚いていました。

父とは、一時縁を切るつもりでいましたが

それが、今は普通の父と娘の関係になりました。

愛されたいという気持ちはなくなり

ただ、純粋に親孝行したい

それは、自分を犠牲にして何かすることではなく

私自身、幸せになることが親孝行なんだと思ったからかもしれません。


私に出来ること

それは

”今を生きる”

それだけですが、

それだけで、いいんだと気づきました。
父は、歩くのもおぼつかない状態。

連休に、外泊したらしいが

母が、支えながら歩いている状態らしい。


連休に母から電話で

「お父さんが、皆で焼き肉でもしないかって言ってるんだけど・・・・」


と言われたが


連休は予定があったので断りました。


日曜日にお見舞いに行くと


「家族仲良くしてほしいんだ・・・・」と言われた。


姉が亡くなってから、姉妹がバラバラ・・・・


その原因は私にある。


姉の葬儀の際、私が何も出来なったこと。


姉が亡くなってから、精神が安定しなく

自傷行為をし、姉達と衝突したこと。


色んな事があり、私は姉達と距離を置いた。


それが、今も続いている・・・・・・



父に申し訳なく、姉たちに謝ったが


何の連絡も無い。


会ってもくれない。


そんな状態では、また私がおかしくなる。


だから父には悪いが


姉妹仲良くなんて出来ない・・・・・


これ以上私には何も出来ない。


というか、どうしたら良いか分からない。



だから、今の私の家庭を大切にしたい。


その事を、父に伝えるつもりでいます。


父は、自分が私にしてきたことを後悔しているようです。


私も、それについてはもう終わったつもりでいます。


だから、今は後悔のないよう


父には、会いに行くつもりでいます。


今実家には甥っ子が泊まっています。


いわゆるニートです。


でも、おばあちゃんとおじいちゃんの事を見てくれているので


安心しています。


昨日、母から電話がきて

お父さんが脳に転移したらしく

私と娘と彼に会いたいと言っているから

会って欲しいと言われました。


それを聞いた私は動揺もなく

会いたいなんて、今まで言ったことのない父が

言ってきたので、

そっちの方がびっくりでした。



放射線治療を昨日から始めたようです。


遅かれ、転移は父も覚悟をしていたようですが

脳に転移と聞いて動揺したんでしょうね・・・・



父は父なりに、私の事を心配しているようです。

自分がしてきたことも、分かっているようです。

だからといって、私の病気は治るわけではなく


父との事は私の中で、もう終わったこととなっているのです。



問題はこれからの事。



父の入院中、実家には叔母が泊まってくれています。

母は物忘れが激しいですし

姉が亡くなって百日を終えたばかりで

心細いので。


子供を五人も産んで、叔母の世話になるとは・・・・・


私が、行ってもいいのですが

他の姉と仲が悪くなった今

私が行ったら、

姉達は、面白くなく、また言ってくるでしょうね。


今朝、母には私が泊まりに行ってもいいことを伝えましたが

母は私を気遣い

「大丈夫だよ」と言っていました。



しばらくは、叔母に甘えるつもりですが


私は、やっぱり関わらないほうがいいのかなと思っています。