子供の頃のお正月 | 9353のほんの一部

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聴いているCD、食べたお菓子、人間観察などの
ことを残していきます。

子供の頃、年末は祖母がずっと台所で煮物、焼き物をしていて忙しそうだったのを覚えています。
両親とも共働きでほぼ祖父、祖母とご飯を食べていたので母の味より祖母の味の記憶の方が多い。
何故か高野豆腐が毎年大量に作られた。
なぜなら親戚の一番賑やかな叔父さんが高野豆腐をどっさり食べるからだ。高野豆腐叔父さんはいつもお好み焼き屋に連れて行ってくれた。今でも私は高野豆腐叔父さんに変なイントネーションで
く→み↓こ↑
と呼ばれている。
お雑煮はお味噌汁に百合根、ほうれん草、かまぼこなどをのせた物を食べた。
正月明けは丸餅を2こ焼いて砂糖ときな粉をつけたり砂糖と醤油をつけたりして朝ごはんとして食べてから学校に行った。
夏休みのお昼ご飯に素麺、三学期初めの朝ごはんに丸餅2つは長年の定番であった。
お年玉はほぼ両親の元へ。手元にはもらった全額の1割にも満たない分しかもらえなかった。
共働きなのにケチンボな両親であった。
元旦は両親とも仕事で初詣に行くという文化が我が家にはなかった。
子供の頃はそんな地味なお正月を過ごしていた。
誰かお年玉くれ。