11月17日および30日の両日、「錦秋の京都蘖の会」を開催いたしました。

遅くなりましたが、この記事にてご報告させていただきます。

 

「京都蘖(ひこばえ)の会」とは?

京都(時々滋賀)を舞台にした、主に元・JWの方々のための少人数の集いです。

京都(時々滋賀)ならではの、ちょっと贅沢なランチとプチ観光ツアー。

何よりも、参加者同士のコミュニケーションを最も大切にしています。

コンセプト等、詳細はこちらの記事参照。

 

深まる秋。

朝晩の冷え込みが厳しいほどに良く色づくと言われる木々の葉。

今年の秋は例年以上に美しく、そして長く紅葉を楽しむことが出来ました。

 

1回目(11月17日)には2名の方。

2回目(11月30日)には1名の方。

実はもう1回(11月16日)、JW関係者ではありませんが、この「京都蘖の会」に関心を抱いてくださった方1名を「別枠」の形で。

計3回ご案内させていただきました。

 

つきましては、この3回分の写真を織り交ぜながら、嵯峨野の美しい紅葉と、美味しく楽しい時間を振り返って参ります。


今回ご案内したのは、京都市の西の端、愛宕山のふもとに広がる「奥嵯峨」と呼ばれるエリアです。

渡月橋の向こうにそびえるのが愛宕山。

その山頂には全国の「愛宕さん」の総本山である「愛宕神社」がありまして、古くより「お伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さんへは月参り」と、庶民の人気を集めていました。

NHK連ドラ「ちりとてちん」のおけいこシーンで使われた「愛宕山」や、「いらちの愛宕参り」など、古典落語にもこの愛宕神社が出て参ります。

 

また、本地仏(神道の「神」を仏になぞらえたもの)という考えに基づき、ここの神さまは「勝軍地蔵」として、武家の帰依も篤く、とりわけかの明智光秀は「本能寺の変」に際し、この愛宕神社で何度も神籤を引いた後、本能寺を目指して駆け下ったと伝えられています。

 

このお札に見覚えありませんか?

「あたごじゅふ ひのようじん」と読みます。

京都はじめ関西の飲食店の厨房には、ほぼ間違いなくこのお札が貼ってあります。

愛宕神社は「火伏の神」なのです。

そんな歴史の深い愛宕神社のふもと、奥嵯峨へ向けて出発です。

 

🍴ランチ🍴

嵐山の中心部からバスで約20分。

鳥居本バス停で下車します。

遠く京都市街を一望するその眺めと、バスに乗った時とは違うひんやりとした空気に、けっこう標高を上がってきたことがわかります。

 

今回のランチは、創作料理「鳥居本遊山」へ。

 

カメラが映り込むほどに(笑)磨き上げられた大きなガラス窓に映る奥嵯峨の景色を眺めつつ、和洋折衷のコースを楽しみました。

 

ご飯と一緒に出てくる、地元産のお漬物。

ふだんは何か「付け合わせ」がないとご飯を食べないのですが、

生まれて初めてと言っても差し支えないほどに「これだけで美味しい!」と心底感じるほどに丁寧に炊きあげられたご飯でした。

 

さっぱりとした甘みの栗のアイスと、ほうじ茶のムース?のデザート

前回の「京都蘖の会」以来の日々。

JW界隈では色々と話題になった「10月の特別キャンペーン」のご報告(笑)。

家族やご友人とのかかわりの中で感じる色々ごと等々…。

ゆっくりとおしゃべりを楽しみました。

 

※11月16日のご案内の際には、祇王寺の近くにある「つれづれ茶屋」で湯豆腐の御膳をいただきまして、こちらもまた美味しゅうございました(^⁻^)

お茶屋前で身支度をするみなせの後ろ姿(笑)

…背中の中心線が微妙にズレているのは見なかったことに(^^;

 

🍁化野(あだしの)念仏寺🍁

誰とても 留まるべきかは あだし野の

草の葉ごとに すがる白露

(西行法師)

 

暮るる間も 待つべき世かは あだし野の

松葉の露に 嵐たつなり

(式子内親王)

 

「はかない」、「むなしい」という意味を表すのが「あだし」。

その名を冠した「あだし野(化野)」は、古来平安京の頃より埋葬の地であり、当時の歌人たちも、石仏が立ち並んでいたであろう静謐な山野の風景に託して歌にしています。

 

京都を舞台にしたミステリードラマ等で良く知られた「賽の河原」。

八千体を越えると言われる石仏たちは、かつて化野一帯に散乱していた、無縁仏を祀るもの。

明治時代になって、地元の人々の協力も得ながらここに集められたのだとか。

極楽浄土で、みな並んで阿弥陀如来の説法を聞いているイメージなのだそうです。

また、8月の最終土日には、この無縁仏にローソクをお供えする「千灯供養」も開かれます。

 

 

奥の「六面体地蔵」および墓地へ向かう「竹の小径」は、ハイシーズンでも静かに楽しめます。

 

ハッとさせられる、ご住職さん直筆?の味わい深い言葉たち。

 

そうだったのね~(笑)

儚い命。

移り行く世代。

でも、いつの時代にも、生ける者にも死した魂たちにも、優しい目を向け、ささやかながらも穏やかに見守ってくれる人々が必ずいたのでした。

どこかはかなげで寂しく、それでいながらも穏やかで安らぐ…そんな思いを味わいつつ、山門を後にしました。

 

🍁嵯峨鳥居本伝統的建築物保存地区🍁

化野念仏寺から、愛宕神社「一の鳥居」へ向かって、坂道を上ってゆくこの参道は、現在でも昔ながらの茅葺き屋根民家や京町家が並び、周りの緑と相まって大変風情ある景観を成しております。

 

🍁愛宕(おたぎ)念仏寺🍁

「嵯峨野めぐりの出発点」の碑も立つ、嵯峨野の観光地の最奥部に位置する小さなお寺

建立自体は奈良時代にまでさかのぼる大変に歴史の古いお寺ですが、現在の地に移ったのは大正時代のこと。

(それまでは、現在の東山区あたりにあった)

 

戦後、荒廃していたこの寺を、仏像彫刻家西村公朝氏が住職として復興を手掛けることになりました。

その際、復興の支援として大変にユニークな提案がなされました。

全国の有志に羅漢(釈迦の弟子)の石像を彫ってもらって、境内を満たして寺門の興隆を祈念しようと…。

 

呼びかけに応えた全国の参拝者によって彫られ、寄進された羅漢像はなんと1200体以上!

 

表情豊かな羅漢ひとつひとつを眺めているだけで、どれほどでも時間を過ごせます。

 

型にはまらず、自由な発想で彫られた中には、とってもユーモラスな姿もあり、思わず笑みがこぼれます。

 

…そう、ひと口に「お釈迦様の弟子」と言っても、型にはまらないでいいんですね。

自分らしいと思える姿で、心を込めることさえできれば…。

 

鎌倉時代の建築と言われる本堂(向こうに見える建物。ちなみにこの写真は「地蔵堂」の中)にのんびり座って、しばし表を眺めます。

苔むした「羅漢さん」と湧き出る水音、苔と色づいた木々の葉の香り…。

嵐山の中心部から外れ、交通が不便であることもあり、ここは日本人でも外国人でも、ほんとうに京都が、日本の文化が好きな人々だけが訪れます。

こうした場所の過ごし方はもちろんのこと、文化財や歴史への敬意をよくわきまえている人たちばかりです。

時には、外国の方の立ち居振る舞いにハッとさせられることさえもあります。


🍁日暮れまで嵯峨野路を歩く🍁

元より、京都は「歩くまち」。

「京都蘖の会」に限らず、毎回、歩いていただくことが多いので、きっと健康にもいい…はず(笑)

今回は、事前に「歩きやすい靴でおこしくださいね」と、お伝えさせていただいていました。

 

愛宕念仏寺を出たら、歩いて駅へ向かいます。

嵯峨野は、歩いて巡っていただきたい地。

見上げる山や青空、道端の草花、せせらぐ川音や風の香り、そしてひんやりとした晩秋の澄んだ空気。

車の中からは決して感じることのできないものたちと、そこに住む人々の、純朴でやさしいこころに満ちています。

 

それぞれの回に様々な場所を巡りました

ここでは、そんなスナップショットを…。

 

「一の鳥居」にあり、400年の歴史を持つ、現役のお茶屋「鮎茶屋・平野屋」

愛宕山の山道を模したと言われる形の「しんこ餅」と、お抹茶をいただきました。

 

「寂庵」(瀬戸内寂聴氏邸)前。

 

五山送り火の「鳥居形」がともる、曼荼羅山。

途中で髪が解けて、慌てて直すみなせ(笑)

 

…あと、みなせ邸の玄関前までご案内した回もありました。

ゆーまでもなく、ドアの向こうの「至聖所」はお見せしませんでしたが(笑)

 

🍺二次会🍶

秋の日は釣瓶落とし。

あっという間に日暮れが訪れます。

 

今回も、それぞれに二次会を楽しみました。

「飲み放題」は必須です!(笑)

 

1回目(11月17日):

京都駅に隣接した、居酒屋「はなの舞」へ。

お帰りの電車の時間も安心です♪

 

2回目(11月30日):

たびたびお世話になっている四条烏丸「炉端かば」で、生まれ故郷山陰の海の幸と、一対一のぶっちゃけトークを、こころゆくまで楽しみました(^⁻^)


貴族たちのリゾート地であった嵯峨野。

それと共に、権力闘争や愛する人の心変わりなど、みやこの「しがらみ」に傷ついた人々が余生を静かに過ごした土地でもあると共に、死者を埋葬し、打ち捨てられた無縁仏を供養する土地でもありました。

 

化野念仏寺の石仏のように、死してもなお、暖かなまなざしを向けてくれる人がいる。

愛宕念仏寺の羅漢さんのように、再興を、その人らしい仕方で支援してくれる人がいる。

「あなたのままでいいよ」と、背中を押してくれる人が必ずいる。

 

物理的であれ精神的であれ、JWの教理や組織から「出る」ことは、想像を絶するほどに力が要るものです。

わたし自身も度々経験しておりますが、「出た」人は、それが実の家族であっても、まるで伝染病の死者のように忌み嫌う、あるいはそうするように仕向けられるものです。

(わたしのように、「性を越境」した者は二重の意味で忌避される)

 

…でもね、ひとつ言えることがある。

明確な意志を持って生きる者には、素敵な友人や強力な支援者が必ず現れる。
物理的にも精神的にも、「JWを辞める(もしくは、その教えをもはや信じない)」というその決断自体が、明確な意志の表れ。

腹をくくって一歩踏み出してみるなら、決して独りでないって。

「世の人」(JW信者以外の人々を、彼らはそう呼んで見下す)は、そんなに捨てたもんじゃないって。

そうして、それぞれが「アフターJW」の日々を、人生を作り直している。

 

…そう、人生はいつからでも作り直せる。

「傷ついた」と思える過去さえ逆手に取って、自分なりの幸せを作って行ける。

繰り返すけど、決して独りではない。

 

四季折々に美しいみやこの景色の中で開催する「京都蘖の会」。

「足を洗った」人にも、しがらみの中で折り合いをつけながら「現役信者」を続けている人にとっても、ちょっとした「同窓会」だったり、「ひと息つける時間」になれば。

何よりも、「独りじゃないのだよ」ということが実感できたら。

そうして、「明日からまたがんばろう」って思えるならば…。

 

思い立ったら、いつでも参加でき、いっぱいお話できる。

それも、京都のとっておきの景色の中でできる。

 

小さな集まりではありますが、安心感と満足感はどこにも、だれにも負けないつもり。

ついでに、開催頻度もどこにも負けない(笑)

…そんな思いを抱きつつ、「京都蘖の会」、細く長く続けて参ります。

 

ご参加下さったみなさま、こころよりありがとうございました♪

 

※次回、「早春の京都蘖の会」は、2020年(令和2年)3月中の土、日曜日に開催予定。

2020年(令和2年)1月25日に拙ブログにて告知、同2月1日よりお申込み受付開始いたします。