このひと月、資料まとめなるものを施術の仕事と並行して行っているのですが

  

 ただただ楽しい。タイ伝統医学の薬草の一部をまとめているのですが、おこもりしながら

 

 資料を読みまとめていく作業、楽しい、夜中の12時過ぎまで仕事なんて久しぶり、アドレナリンだだ洩れしております。

 

 先日若い方お話しする機会がありました。30代で、働くための仕事と、「自分」を表現する仕事をダブル、トリプルの勢いでされている方。なぜか気になっていました。きらきらしていることをしているのに、いつも自信なさそうな目の動き。人に気遣うようで大胆な動き。

 どこかで見たことあるなあ。この動き。やりたいことを持つ「火」や「風」のエネルギーと

それを打ち消すように、ある「水」のエネルギー。

 

 若いころの自分だったことに気づきました。だからなのか・・生きづらかった30代の自分と重なる彼女を、勝手に応援したいと思ってしまうのです。そして最近は封印しているダイレクトに言う方法(きつい表現)を彼女にはしてしまうのは、そんな彼女のことに私が甘えているのだろうと思っています。安心しているというか受け止めてもらっているというか。若い方に失礼だよね。反省。

 その方に自分が人を信じていなかったこと、それが

 2年前「トランスフォーメーション」というスピリチュアル要素のボードゲームをチョモランマ山下さんという岐阜の郡上八幡に在住のファシリテーターさんが西日本遠征中にお友達2人と参加したときに。。。人のやさしさに触れる体験を芯からし、変容したことを聞いてもらいました。

 

 それまでは、○○だからひとはやさしくしてくれる。それは利害関係があるから人は関わるんだ、そこに私のアイデンティティはなく便利だからだ。と思っていました。自己肯定感低かったあ。意識してなかったけれど低かったみたい。

 

 40代に人にちょっとだまされる(というしか今表現が浮かばないのですが、いつかネタにお話し書きたい)お金も時間も人脈もぜーんぶ失う体験をして決定的に閉ざしていた心を温め溶かしてもらってから以降、人に対して、オープンマインドでいようと、そのゲームきっかけで、自分の考えを変える選択をしました。出会う人たまに、自分とは違うなあと思う方に出会うことも一瞬はあるのですが、、、好きだなあ。と温かくなる気持ちの出会い、付き合いをしたい。を頭に設定してます。

 自分なりに迷惑もかけながら相手のことを大切に一人一人思える。この思える感覚がありがたい。

 (苦手な人に出会ったとき、まず自分の内側を見る。自分の整っていないときに会うから。そして自分をただひたすら解いていくという形をしています)。

 しっぽを振る犬に人は拳骨をあげない。いつもへりくだっていたらいじめられない。そんな気持ちが20,30代までしっかりあって、いつもおどおどしていました。

 おどおどして3枚目を演じる。心理学科の時にアダルトチルドレンについて勉強したとき、交流分析を学んでいた時。。必要だったけれど、向き合えるには幼すぎて、すごく嫌だった理由がわかる気がしました。

 

アダルトチルドレンの中のタイプで「クラウン」(道化師)だった自分を受け入れ、

そして次に行く。

 

 メンヘラは、やめれる。泣いて転んで地べたにはいつくばって泣いても、だれもなんともしてくれないから、泣いて気が済んだら、立ち上がって次に行ける。その気づくのが少しでも早いと、人生が幸せだと感じれる時間が長くなるよ。って思う。

 

 私は半世紀掛かった。かかりすぎ。だからめっちゃ急いで人生を謳歌している。