ウイリアム・レーネんさんと、シークエンスパパともさんが亡くなられたことを

 知る。

 

 なんだか私はショックで、しばらく絶望的な気持ちになった。

 

 霊的な学びがしたいと思う。だけどなかなか本物に会えない、

 まだ自分の人間としての準備ができていないんだと思う。

 今はこのことを向き合ってる。

 

 「私汚れちゃったな」とか、「鈍感になったなあ」とか。

 

 30歳から40歳の人生の旅路と、40歳から50歳の旅路は全く違う。

 

 後者のほうが、魂がよごれやすくなるし、ほこりもかぶりやすくなる。

 人がこうだから、自分もまあいいかとか、流されやすくなるし

 

 自己主張を勘違いして発動してしまいがちになる。火星期パワー全開だからかな。

 

 40代のころ詐欺ではないけれど、信頼していた人に騙された。

 それは人生の中で、「友達」だとか「身内」だとか思っていた信頼していたある一人のひとに

 びっくりするようなことをたくさんされた。

 

 恨みな今はないのだけど、人を信じることが怖くなった。

 今は、その人と自分の今周りにいてくれる人たちが全然違うとちゃんと棲み分けできるけれど

 

 しばらくは、お金も時間も人とのご縁も全部失ったような気持ちになっていたので

 元気がなかったのだけど、あれから4年くらい?今はその人からまだたまに連絡があるけれど

 「すん」ってかわせれるし、心も動かなくなった。

 

 「すん」ってなってからはすごく楽だけれど、ここにたどりつくまで毎日毎日

 薄皮をはがすがごとく、ゆっくりゆっくりたまに、もどって嗚咽したりしながら

 今にたどりついた。

 

 最近、ユーチューブやTwitterで「カマたく」さんをよく拝見する。

 当たり前のことを当たり前にとご本人がおっしゃるけれど、その言葉を聞くとき

 ウィリアム・レーネンさんのツイートでよくあったように

 本当に「人はどうでもいい」「人を批判したりする暇があったら自分がハッピーになることを

 探そう」ということに通じる気がする。

 

 ウィリアム・レーネンさんが亡くなられて、日本でアテンドされていた会社の代表の方が

 お言葉を発表されていた。

 

 「これから世界は本当に変化していきます。それは各個人が全く想像もしないものになるでしょう」と

 いう一文にドキンときた。

 

 

 その言葉は私に、「このままでいいの?」と問いかけてくれるようだった。

 

 嘘じゃなく、心からご機嫌で生きていきたい。○○になりたいとか、そういうんじゃなく

 「人間」の美しさに近づいていきたい。

 

 世の中がどんどん、鈍感になっていく前に 魂を掴んでおきたいと思う。