「不登校支援している Kunさん」と
紹介されることがあります。
いろいろ思うことありますが
面倒くさいから そのままにしてます
私は「不登校支援」もしてるかもしれないけど
不登校生の親でもあり
見方によれば「支援される人」
これって、どんなことにも言えることで
誰もがみんな
支援する側、支援される側 だと思うのよね。
対、「人」として考えると。
困ってる人がいれば
多くの人は「支えたい」と思うだろうし、
自分が困っていれば「支えてもらいたい」
誰もが、出来ないことがあって当たり前
『困ってるから 助けて』
『何かできることある?』
気軽に言える関係になると良いよね。
それが『ヨコの関係』(^^)人(^^)
「支援者」だけの人っていない
お互いに 支援しあってる
だから私は「支援者」の時もある
『不登校』で考えると
支援されるのは 『不登校生』だけじゃないもんね。
親だって、精神的、物理的に悩んでいる方も多いし
『支援』が必要。
心だけじゃなく、いろんな支援が必要。
『学校』も 見方を変えれば
『支援される側』でもある。
教員数は、全然 足りないよ
それを思うと、まずは『教員支援』でしょ
とかも思う。
不登校の奥には、その問題もあると思うよ
『不登校支援』って、
子どもに意識が行きがちだけど
その背景は 本当にさまざま。
広く見ないとね
根本的なコトが ズレる
ズレたら
支援も 支援にならない
そもそも、大人社会のしわ寄せが
子どもに出てるだけだから。
大人の問題よ
『不登校支援』の対象は
子どもだけじゃない。
『タテ(上下)の関係』で
「支援」しても
相手は、気持ちを開かない
「支援臭」ってやつねw
臭すぎると、人は離れます
支援された経験もあるから わかる
上の立場から
支えようとしてくれる人は
言葉の節々に表れます。
親子や夫婦もね
うまくいかない時は
たいてい どちらかが
上から目線になってたりする
だから 『ヨコの関係』が大事。
全ての人は「対等」です。
お互いに「個」を尊重する
「支援」は 特別なコトじゃない。
困った時は 助け合う、話し合う
上下の見方をなくせば
もっと支援が当たり前になる
無理して頑張ろうとするから
一人で 乗り越えようとするから
辛さが増していく
共倒れになったりもする…
『ヨコの関係』
本音が出しやすい社会になるといいな
まずは自分から。
本音を出すとイイコトだらけ