田原総一朗氏の「創価学会」という本があります。

 

 


その中に書いてあるのですが、田原氏は長い間、創価学会に偏見を持っていたといいます。
氏が20代のころ、創価学会はきわめて戦闘的な集団で、他宗教を邪宗と決めつけて強引な折伏をしてきました。またその信仰観についても、「難病が治った」など、うさん臭いものを感じていたといいます。
そうした氏の偏見を覆したのが、公明党幹事長だった故・冬柴鐵三氏との出会いだったそうです。
以下、同書から引用します。

結婚当時、冬柴は夫婦ともに創価学会に入信してはいなかった。ところが生まれた息子が重い障害を持っていたのである。息子の行く末を思い悩んだ妻が、最初に創価学会に入信。すると、それまで何かとふさぎがちだった妻が、だんだん明るくなったというのだ。
冬柴は幼少期を大陸で過ごし、(中略)冬柴のモットーは「努力」だった。宗教は弱い人間がするものだと考えていた。
しかし、自分がいくら努力しても如何ともしがたい人生の苦難が、最愛の息子の障害だった。最初は頑として入信を拒んでいた冬柴だったが、地域の座談会に楽しそうに参加する妻の姿を見て、ついに入信を決心する。
私は、冬柴本人から彼の入信の経緯を聞かされたとき、忌憚なく聞いてみた。
「それで創価学会に入って勤行・唱題したら子どもさんは治ったの?」
そうした私の問いかけに彼は、「いや治らなかった。でも田原さん、私は創価学会に入って良かったと思っている」、こう語った後、「なぜならいいことが二つあった」と答えた。「一つは人を恨まなくなったこと。そしてもう一つは、生きていることに感謝できるようになったこと」であると。つまり、信心することによって、息子の障害という悩みに対する捉え方が変わった。自分が人間的に成長し、他人と比べて自身の境遇を嘆いたり、悲観したりせず、宿命を正面から受け止め、前向きに生きられるようになったというのだ。


田原氏のみならず、私も、この言葉に感じるものがあります。
前回紹介した村上拓也さんの体験といい、冬柴さんの体験といい、ご本尊への祈りによって具体的な病や障害は治ったわけではないのに、どうして私は、こんなに感動するのだろう。

かつて、創価学会は、戸田会長が「医学で治せない病気は信心で治せ」と言い切り、どんな業病でも治らないものはないといって折伏しまくりました。
私の持っている初期の版の「人間革命」には、子どもの血友病で個人指導を求めた会員に対して、戸田が「真剣にお願いしなさい。治らぬハズがない」と言い、御秘符を飲ませたところ出血が止まったと書いてあります。(「人間革命」第7巻 匆匆の間)
血友病は医学的に原因が解明されており、現代の医学では血友病因子を注射することで症状を抑えることができます。

なんとも非科学的なことを言っていたものです。
中には、当時の創価学会員の中には、戸田の指導の通りに信心に励み、功徳として病が治った人もいたことでしょう。
でも、信心をどんなにがんばっても、病を克服できなかったり、癌や事故で亡くなってしまう場合も少なくなかったはずです。

その時、どのようにとらえるかで、信仰が問われます。
中には、学会の指導に腹を立て、学会を辞めたり、批判したりする人もいるでしょう。

曽根さんが、創価学会の組織の中でともに戦ってきた「三上さん」が脳腫瘍になり、祈りの甲斐なく亡くなったことを書いています。
(「嘘を並べた教義。」2021-02-25)
私はまだ独身でしたが、三上さんは奥さんとかわいい保育園に通う子供が3人居ます。
子供を見ていると泣けてきて感情をコントロール出来ず、本人の分まで病魔を祈り倒すと奥さんに宣言し、これ以上不可能というくらい題目を上げました。
奥さんも婦人部で、病気治癒の唱題会を開催して、沢山祈っていました。
頭蓋骨を開けて、腫瘍を摘出する手術を受けました。
奥さんの話しでは、良くなっても一人で歩けない、一生寝たきりだと医師から説明があったと聞きました。
事態は、悪化する一方で私も何度も悔し涙を流して、ご本尊にキレたまま祈った事もあります。
『本尊よ、日蓮よ。お前は嘘つきなのか、教えてくれ!何で悪くなる一方なんだと。』
(中略)
その後、放射線治療をはじめ意識がなかったり、朦朧とした時間が長くなり、意識のある時は苦しむばかりで、本人は信心が嘘だったと確信していたと今になって思います。
と言いますのも、奥さんにもう自分の事を祈る事に時間を沢山使わないで欲しいとか、私は治るから自分自身の為に必要な事をしっかりしてやって欲しいと言った伝言が頻繁に届くようになります。
私は、祈り倒すと約束したので、治るまで祈り続ける事を精一杯やりました。
元気な日は、食事を飲み込んだり話を出来たりしていたようですが、悪いと意識が朦朧としながら苦しんでいたようです。
しかし、そんな時間も長いようであっと言う間に終わりました。
夕方、休憩明けにディナーの準備をしていた時に携帯が鳴ります。
よく覚えています。
ヒラメをカットして、マリネしていました。
着信の名前を見た時に覚悟しました。
『三上です…』
『いまし方、主人が亡くなりました。』
私は、お礼を言われ奥さんを励ましにならない言葉で励ましたつもりの事を言い、電話を切りました。
その後の記憶が思い出せません。
覚えている事は、私は仕事が終わり家に帰ると、扉の閉まっている本尊めがけ、鈴棒とその台を投げつけました。
力の限り。
扉に深い傷がつきました。
鈴棒の台の角がつけた深い傷でした。
本当は、扉を開けてやりたかった。
引きちぎってやろうかと思った。
悔しくて悲しくて。
その日から、勤行も題目も何もせず、会合もすっぽかすようになった。


曽根さんの純粋な性格がにじみ出ていて、その気持ちが十分に伝わる文章です。
しかし、「ご本尊にキレたまま」祈るというのは、信仰の姿勢としていかがなものかと思います。
また、願い事を叶えることをひたすら祈るのは「物乞い信心」と言われてもしかたないのではないでしょうか。
そして願い事が叶えられないと、怒りの感情をご本尊にぶつける。
子どものようで、はたから見ていて恥ずかしいです。

私も、自分が胃がんになったときは、ご本尊に祈りました。
しかし、何が何でも治してくれという祈りではありませんでした。

非科学的な奇跡を求める祈りではありませんでした。
題目が自身の免疫力・生命力を強めることを信じて、真剣に祈りました。

結果として胃がんを克服し今にいたりますが、たとえ祈りがかなわず、手術後ほどなく死ぬことになったとしても、ご本尊を恨んだりはしなかったと思います。

学会の指導には、ダブルスタンダードがあって、戸田先生の時代の指導を完全に否定せず、今でも病気やわが子の障害を抱える人間を折伏するときに「願いとして叶わざるなし」などと言います。
でも、思ったように病気が克服できない場合には、村上拓也さんの体験談のように、人間的な成長が素晴らしといいます。
そろそろ、創価学会は、このダブルスタンダードを修正する時期に来ているのかもしれません。
「願いとして叶わざるなし」が日蓮大聖人のお言葉ならば、信徒はその言葉を信じて真剣に祈ることができます。しかし、それはそういう「言語ゲーム」の中で、そのことを正しい「かのように」祈っているのです。決して、狂信的になったり原理主義に走ることではないのです。
言い方を変えるなら、「願いとして叶わざるなし」というのは宗教的なレトリックとしては許される言葉だと思うのです。
その言葉に励まされ、真剣に祈ることができれば、それはそれで素晴らしいことだと思うからです。
その辺をあいまいにして、幹部が「願いとして叶わざるなし」という言葉をそのまま会員に指導すると、真に受けた「純真」な(単純な?)会員がすべてを放り出して祈りに祈るようになります。

しかし病を克服できなかったときには、曽根さんのようにご本尊に対して逆恨みする人間が出てきたりするのだと思います。

「祈っても病を克服できなかった場合」という問題は、キリスト教の場合にも、古くから議論されてきました。
「ヨブ記」というのがあって、ウィキペディアによると、
正しい人に悪い事が起きる、すなわち何も悪い事をしていないのに苦しまねばならない、という『義人の苦難』というテーマを扱った文献として知られている。
とのことです。
興味のある人は、調べてみてください。

それはともかく、みーちゃんの次男も病院を変えたりいろいろ手は尽くすのですが、なかなかてんかんの発作が治りません。
みーちゃんは、100万遍の題目を何回も繰り返し、祈りに祈りますが、現実はなかなか厳しいです。
そんなみーちゃんがたどり着いた最近の心境が「金太郎飴の信心」(08月17日)でした。

以下、みーちゃんのブログより引用します。

次男のてんかん。
思春期の頃、20代の頃、すっかり治っていたのに、30を過ぎて再発す。
とてもとても苦しい戦い。
数秒で治まるが、その数秒が見ていて苦しい。
生きた心地がしない。
私もずいぶん寿命が縮まった。
病院も何回も変え、その度に薬も増え、薬の管理だけでも大変なのだ。
難治性なので、完全には治りませんと言われているのだ。
その度にガッカリし、いや信心で治してみせると思い直し、それの繰り返し、、、
なぜ治らないのだろうと、考えては仏壇に向かい、仏壇に向かってはまた考える。
最近は考えることにも疲れてきた。
そのうち、ふと思った。
いいんじゃないか、別に、と。
やぶれかぶれではないが、発作はおさまらないが、別にいいではないか、と。
こんなに発作が起こっていても、何とかしようとしている自分。
こんなに発作が起こっていても、前を向いている自分。
こんなに発作がおさまらなくても、信心やめない自分。
どの自分も素晴らしいではないか、と。
まさしく、金太郎飴の金太郎。
一度として隠れたことはない。
もしかして、この心境に至るまで、次男は発作を起こし続けてくれたのかもしれない。
次男は今日も、嫁と楽しく幸せな一日を過ごしている。
いいよね、御本尊さま。


結局最後は、すべてを感謝とともに受け入れる、そういう仏教的な態度にとだりつくのかもしれません。

みーちゃん、ブログ記事のかってな引用、お許しください。

獅子風蓮でした。