最強の日本人格闘家、
最強の日本人プロレスラー、
藤田和之様…
ヒトを超えた、野獣なる貴方に
単なる一般人、庶民の言葉など届きやしないでしょうが
過去、勝手ながら
大きな夢を
難題な希望を
それらを裏付けるように膨らんだ幻想を
貴方に押し付けていた私が
ここ3年ほどの貴方に対する
抑えきれぬ思いを、なんとか言葉にしてみます。
これも、至極勝手な内容です。
さも歴史を知る者のように書き出しましたが、
私の、貴方との出会いはここでした。
2003.6.8
横浜アリーナ
PRIDE.26 REBORN
vs エメリヤーエンコ・ヒョードル
初見という意味では、前年大晦日のミルコ戦の筈ですが、
格闘技を観る事に興味を持ち、身構えて観たのは確かこの大会でした。
当時は地上波のアナログ電波として伝達された情報を、VHSに3倍で録画し、ブラウン管を通して観ました。
何度も何度も、繰り返して観ました。
歴史に残る右フック。
結果が全てである筈のスポーツにおいて、
本来であればハイライトにすぎぬワンシーン、
しかしこの一撃は、対峙した2名の男が持つ肩書きや未来を含めた歴史によって、
試合の勝敗より重い意味を持ちました。
今日までの結果論で言えば、
評価を下す者の価値観によっては、
この一撃は呪いとも言える程の力を宿し、
後年にヒョードル自身が語る「打撃で追い詰められたのは藤田サンだけ」というコメントも合間って、
貴方のキャリアにおいて最も重要な、
藤田和之という男をより稀有な、
そして高価値とする存在の証明になりました。
レスリングというバックボーン、
プロレスラーという職業に由来しない、
この最強を脅かした右フックには、
いえ、右フックというよりは、
勝負論や戦法を完全無視した
無謀ともとれるスタンドパンチ
貴方も厚い信頼をしていたのでしょう。
レスリングメダリストや
流血をカメラまで飛ばして奇跡の一枚を生んだ
トンプソン戦
これらの試合を決めたのも、
敗れたバルト、シウバ戦に至っても
戦況を手元に持ってくるために選んだ手段は
あの滅茶苦茶な、力任せのパンチでした。
先程は
「プロレスラーという職業に由来しない」
と書きましたが、
優れたフィジカルという最も付き合いの長く信頼できる武器を全面に押し出すこの戦法で、
とにかく前へ進んで勝利の為に闘う姿こそが、
貴方がプロレスラーであるという、最高の存在意義だったのかも知れません。
偉そうに書いてますが、
私が貴方を肉眼で観たのは、ただの一度きり。。
奇しくもプロ格闘家としての戦績で最後の勝利である、
2008.3.5
代々木競技場体育館
戦極第一陣 (旗揚げ)
vs ピーターグラハム
しかし
私が貴方を一番強いと感じたのは
遡る事1年、あの終焉の時でした。
2007.4.8
さいたまスーパーアリーナ
PRIDE.34 KAMIKAZE
vs ジェフ・モンソン
(この興行が行われる流れも年単位で書きたいところだが、
あまりにも脱線にしては思いある文になったのでカット)
UFCで直前までトップコンデンターだった重量級寝技最高峰のジェフモンソン、
対して既に幻想だけしか持ち合わせていなかった二回戦ボーイの貴方、
目線を変えれば、UFCが本気でPRIDEを潰す気だったマッチングだったのかも知れません。
しかしタックルを切って、
相手に優位なポジションを与えず、
大振りのフックで相手との距離をとる展開に
なんだ、相手になにもさせないじゃないか
僕達の藤田和之はこんなにも強いんだ
5分が過ぎ、バックを取られはじめても
ついさっきみたいに、
ひょいと転がして
また立ってくれるさ
と、最後まで勝利を信じていました。
そのまま、よく見えない締め技による一本負けをくらう
その瞬間まで。
続く