そんなわけで、福島県を代表する山、磐梯山(1,816m)に登る。
いろんな登山ルートがあるようだけれど、熟慮の末、大好きな檜原湖を望める裏磐梯登山口から登ることにする。
深田久弥先生は、『日本百名山』で磐梯山を、「裏側では表側のような端麗雄大な姿は見られない」とおっしゃっているが…。
長いトンネルを抜け、五色沼に差し掛かると、一気にリゾート感が増す。関東圏のナンバーもちらほら。
デイリーヤマザキで飲料を仕入れ、しばらく進んでスキー場の看板を左に折れる。
ここから先は、砂利道になる。駐車場まで1.8kmか。
なんてことない道、と思ったら、びっくりするほどのワインディング。でっかい水たまりにハンドルを取られそうになり、これまでに味わったことのないくらいのサスペンション感を味わった挙げ句、ようやくスキー場の入り口に着く。
ゲートは閉ざされていて、登山者は左手の第3駐車場に停めてね、との表示が。
第3駐車場は、未舗装であるものの、50台位置けるくらいの広さ。
すでに下山してきたオジサマ方が、車の傍らでくつろいでおられた。
そそくさと準備して、出発。11:02。
しばらくはスキー場のゲレンデを登っていく。斜度はそれほどでもない。ファミリー向けのゲレンデなのかもしれない。
次第に高度が上がり、振り向けは檜原湖、そして猫魔の山並みが美しい。
リフトの最上部に至り、ここから本格的な山道になる。
湿地帯を進む。かなりぬかるむところが多く、道のへりの草地を選んで進む。
11:37,銅沼(あかぬま)着。沼の畔で、南アジアから来たと思しき4人パーティがくつろいでいた。さすがは、世界の磐梯山である。
ここから、観光パンフレットでもよく見る、有名な沼の景色が垣間見える。
左手の、池の中の岩の上に載って、ガイドと思しき日本人女性が撮影している。そこがベストアングルなのだろう。
なかなかどいてくれないので、帰りにチャレンジすることにし、先を急ぐ。
この辺りから斜度が増し、明治の噴火時に飛んできたものか、いくつかの巨石の脇を通り過ぎる。
木製の階段となり、快調に進んでいたら。
昨夜の雨で、木の表面が濡れていたのだろう。
右足がズルっと来て、踏ん張ろうとした左足も同時にズルっと。
石か何かの固いものに、左肩をまともに打ち付けてしまった。
山の中で「いったー!」と叫んでしまう。
ひとり、階段に座り込む。あまりの痛みに、一気に脂汗が噴き出す。
ふう。周りに誰もいなくて良かった。
左手のひらを握ったり、閉じたりすることはできる。だけど、腕を動かそうとすると、激痛が走る。こんな痛み、久しぶりである。
鳥の声。蝉の声。
あーあ。このまま、引き返そうか、とも思う。だけど、それは何とも情けない。
サコッシュのベルトに左手を突っ込み、固定して歩けば、なんとか行けそうである。痛いことは痛いけど。まあ、行けるところまで行って見ましょう。
買ったばかりのパーカーは泥だらけ。左手をかばいながら、なんとか進む。ああ、モチベーションがダダ下がりだけど、ここで帰るのは癪に障る。
12:14、八方台登山口からの道と合流。にわかに、家族連れのハイカーが目立ち始める。
下山者もいよいよ増えてきて、登山道に渋滞が発生することがしばしば。人気の山ゆえ、仕方ないところか。
12:25,左手の視界が開け、檜原湖やその背後の山々が良い眺めである。
13:17、弘法清水着。いくつか売店があるようだけど、ハイカーでごった返していることもあるし、左腕の状態も状態だけに、先を急ぐことにする。
ここから先は、きつい登り。
13:35,左手が急峻に切れ落ちている場所に出て、ガスの向こうに沼の平が垣間見えた。
そんなこんなで、一気に展望が開ければ、頂上は近い。足をズリズリ引きずり、岩が折り重なる斜面を一歩一歩。
登り切って、13:45,ついに頂上着。よかった、よかった。
頂上には10数人のハイカー。
ひととおり撮影したのち、三角点近くの岩場にストックを投げ出し、休憩。
リュックを降ろそうとするけれど、左腕が痛くて難儀した。イテテテテ。
割と若い人たちが多い。隣には男子大学生のグループ。ひとりが、家におにぎりを忘れて来たらしく、仲間にからかわれている。
そうだ。なんだかんだで、麓からここまでの間、水さえ飲んでいなかった。
で、グイっとファスナーを開こうと思ったら、
ファスナーの金具が、パリーン、と。ちぎれてしまったのでした。
…。
あんれま。
このままファスナーを開き続けると、二度と閉じられなくなってしまう。
うーむ。頂上でこれかあ。
泣きっ面にハチとはこのことである。
これでは、食料も、飲料も取り出すことができない。
まあ、仕方ない。ピークハントはできたのだし、さっさと帰りますか。
途中でファスナーが開かないように、上下のバックルでしっかり固定。
背負うのも一苦労。イテテテテ。
テクテク、石だらけの斜面を下りる。
頂上にも小さな売店があった。おじさんが店じまいするところ。
今思えば、水でも買えばよかったかなあ、と思う。
ん?だけど、財布も小銭入れも、リュックの中なのであった。じゃ、だめか。
14:06,下山開始。
心配するほど、腕には響かない。体に沿わせたり、サコッシュに腕を預けたり、痛くない位置を模索しながらの下山。
14:31、弘法清水着。
塩ビ管から流れ落ちる清水を片手ですくい、いただく。
この手の売店にしてはオシャレな佇まい。
ここもハイカーが沢山。外国からの方もちらほら。
帰り道は慎重に。でも、2回ほどズルっと来て、その都度、左腕に痛みがピキーン!と。
思わず、その場にうずくまってしまった。
ニコニコ顔のハイカーと多数、すれ違う。
みんな、幸せそうである。
その中でひとり、腕が痛いオッサン1名。必死で、笑顔で会釈する。
15:34,八方台との分岐。ここから先は急に人影が少なくなる。
森の中をひたすら、歩く。
登りの際は気が付かなかったのだが、右足にも何らかのダメージを負っていたらしく、膝がジンジン痛んできた。もう、満身創痍。
往路、転んだ地点をソロソロと通過し、16:09、ようやく銅沼到着。
誰もいない。
しずかだ。鳥の声さえしない。
すでに陽は傾いて、櫛ヶ峰の上端を照らすばかり。
鏡のような水面に荒々しい山体が映し出されている。
あまりの美しさに、岩の上に傷付いた体を横たえ、しばし休息。
遠目には、デンマークの人魚の像に見えたかもしれない。そんなことは、ないか。
しかし、この美しさ、しずけさ。
なんだかんだあったけれど、来てよかった、と思える時間であった。
森を抜け、ゲレンデの最上部にたどり着いたのは、16:30。ふうふう。もう少しである。
振り向けば、磐梯山の山並みが夕日に照り映えている。
とおくから、キーン、と、熊鈴の涼しい音がしてきた。
ゲレンデの斜面に、しろい人影が見える。
さきほどまでは、ハイカーの多さに、あんなに、人間に辟易していたのに。
なんとなく、なつかしいような、親しみがわいてくるのである。
17:04,登山口に到着。駐車場に残っている車は、わずかに4台ほど。
同じタイミングで下山してきたすぐ隣の車のオジサンが、「お疲れ様~」と声を掛けて下さった。
片手で片づけを終え、車の中にリュックを放り込んで、自分自身も運転席に放り込む。
そのまま、眠り込んでしまった。
反対隣りに、若者3人のグループが帰って来て、賑やかに後片付けしていたんだけど、目が覚めた頃には、オジサンも、若者の姿もなく。
17:30ころ、出発。遅れて戻ってきた家族連れとすれ違う。小学生くらいの男の子が、手を振ってくれたんだけど、どうにも左手が動かず、ただ会釈するだけになってしまったのだった。
ひたすら、右手だけでハンドルを持ち、家へと向かう。
あーあ、油断したなあ。明日、仕事だというのに…。
でも。
素晴らしい景色に出会えた。
ありがとう、宝の山さん。
うつくしい旅、であった。
(2021.9.19)