車のない生活は平気?厳しい?
車のある生活をしたことがないので・・・
プー太郎が車を持っていた時は、父の通院と納骨に活躍しましたが、母の納骨にはもう運転は出来なくなっていました。車も体もボロボロで。
会社を退職してから車がないと不便であることにやっと気が付きました。と、いうより「運転手付きの」車ですね必要なのは。
病院通いに・・・でも、具合が悪い時に自分が運転するのは危ない。
地域のイベントに・・・今のところ参加したいものがないから、特に困らない。
今、通っている病院は会社の近くで、電車に乗って1時間かかるところ。病気が深刻になったらどうするか?元気な人しか通えない病院って笑うしかないです。
自治体のコロナウイルス対応ワクチン大型接種会場が、なくなりました。駅から遠いクリニックばかりで困惑してます。初めて行くその遠いクリニックで副反応が出たらどうしましょう。何故か専門医不在の個人医院ばかりになりました。
最近、タクシーの運転手が減少しているそうで、それは近い将来、不安。
お墓が遠くなった・・・それも不安。でも、どのみち、自分で入りに行くことはできないので、どうでもいいです。ゆうパックが使えるらしいし
結局、車のない生活は、老後に厳しいということ。
お年寄りが運転をやめられない事情が分かるようになってきました。
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カーフリーデーは、都市の中心部でマイカーを使わないことで、交通や環境、都市生活と車の使い方の問題について考える日です。このイベントは1997年にフランスのラ・ロシェルで始まり、翌1998年からはフランス環境省の呼びかけで全国的に行われ、毎年9月22日となりました。2000年には「カーフリーデー」として欧州委員会の支援プロジェクトとなり、ヨーロッパ中に広がりました。
日本では2000年に、市民団体が東京で取り組んだのが最初で、日本としてヨーロッパと連動して本格的な活動が始まったのは、ヨーロッパ運営委員会が日本担当ナショナルコーディネーターを指名した2004年からです。その年には横浜市が市民団体、名古屋市が行政主体、松本市では官民協働で参加しました。from Bing
日本では2000年に、市民団体が東京で取り組んだのが最初で、日本としてヨーロッパと連動して本格的な活動が始まったのは、ヨーロッパ運営委員会が日本担当ナショナルコーディネーターを指名した2004年からです。その年には横浜市が市民団体、名古屋市が行政主体、松本市では官民協働で参加しました。from Bing
オラが村には関係ない日ね。


sloth bear garden


昨日、突然涼しくなったのでこの機会を逃すまじと秋の剪定を始めました。
柚子と貝塚伊吹を2本やっただけなのに、疲れてしまって身動きが取れなくなりました。

午後から雨が降ってきたので、これ幸いに作業を止めて、録画しておいた映画を観ました。






昨日、突然涼しくなったのでこの機会を逃すまじと秋の剪定を始めました。


午後から雨が降ってきたので、これ幸いに作業を止めて、録画しておいた映画を観ました。
「小説家を見つけたら」
ワタシに
今は亡きショーン・コネリーが、16歳の貧しい青年を導く老いた作家として渋い味を出していましたが・・・真面目な長いストーリーに我慢して、最後に悲劇が


老いた作家の若かりし頃の写真が出て来た時に、このアラカンは「ボンドだぁ!」と思ってしまい、OO7のテーマ曲が頭の中をジングル。お決まりのどんでん返しがあるハズだと期待さえしてしまったのです。あの写真さえ出て来なかったら、いいお話しだったと感動で終わったのに。もう少し、上手に加工できなかったのかしらと・・・そう思うのは・・・ワタシだけか。
隣は、熱波で枯れたと思われた元レモンで今はジャスミンの木が復活
しました。

この枝はジャスミンですね。
(プー
元木がジャスミンでレモンの接ぎ木だったのじゃよ)

mere my meal one day

カマンベールチーズが鍋にこびりつくのが嫌なので、パプリカに押し込んで3分チンしてからスープ皿に乗せました。そこに作り置きの野菜スープを温めて流し入れ、自家製バジルをのせました。レモンオリーブで味変。酢ニンジン少々。パプリカの蓋は食べませんでしたよ

(プー










夕飯はお相撲見ながら。