好きなごはんのお供は?
「ごはんですよ」
江戸むらさきからのファン。子供の頃から玉子掛けご飯には、醤油ではなく、その海苔の佃煮をのせています。
今は、高脂血症にて玉子は日に1個:朝食のゆでたまごと決めているので、玉子ご飯を食べる機会は減りましたが、時々無性に食べたくなって、朝の分を抜いて夕飯に食べます。
のり平のCFが懐かしい。
お米をガス炊飯器で炊いていた時代、研ぐのはワタシの仕事でした。重たい内釜に、ボゥワッと鳴る着火が嫌だった 蛇口に届くよう椅子の上に乗って、研ぎ汁が透明になるまでザクザクやっていたものだから、栄養価は半減。そうとは知らず、父が、
「くまリーが炊いたご飯はおいしい」
と、いっていたので、真冬の冷たい水も苦になりませんでした
幼稚園から鍵っ子
夏休みのお昼はお茶漬けか、玉子かけご飯。まぁ「何はなくとも江戸むらさき」があったし、有り難いことにお米だけは東北の親戚から送られて来て豊富にありました。
でも、子供は米だけでは大きくならないのね・・・背が伸びない
プー太郎が時々ワタシの牛乳まで飲んじゃったしぃ
(プー恨みがましいね)
貧乏なのにお手伝いのお婆さんが来ていた時期がありました。今時の「家政婦」さんではなく、留守番してやるヨと親切ごかしに押しかけて来た農家のお婆さん、といった方が正しいのですが、出稼ぎに忙しい母には渡りに船。ワタシは「いい子になって」買い物や掃除にこき使われました。幼稚園の遠足の付添までしてくれたので文句いえませんが。集合写真にまで写っている。(プー心霊写真かい)
プー太郎は「くそ婆ばぁ」と呼んで精一杯反抗してましたから、あまり長く続きませんでした。
婆さんとのお昼も、お茶漬けにお新香程度でしたが、お米だけはおいしかった・・・
小学生になって、近所の中華料理屋さんから、出前を取ることが出来るようになりました。
メニューは、冷やし中華・オムライス・まずい麺類・餃子・チャーハンなど。ワタシはいつもプー太郎と同じ。2品別物を半分コして楽しむという知恵はなかった。
小学生から電話で注文を受けるのっていい気分じゃなかったみたい。
ある日、食べ終わったオムライスのお皿を玄関の外へ置いておいたら、店の奥さんがスプーンが無いと怒って、うちの台所までズカズカと上がり込んできました。
プー太郎は
「初めからついていなかったケド・・・」
と、いいましたが、
「そんなはずないよ」
と、引出しから銀のスプーンを2個、取って帰って行きました。
怖かった・・・
持って行ったのが本当にお店のだったのか記憶にない。昭和の話です。
店のその後 夜逃げしたみたいです。
以来、大人になったプー太郎もワタシもオムライスは食べなくなりました。
(プーチャーハンも食べない)
もしかしたらその日以降、出前をやめて、自分らで鍋を使ってインスタントラーメンくらい作るようにしたかも。当時まだカップラーメンはありませんでした。
元祖「江戸むらさき」から「ごはんですよ」に乗り換えたのはいつからか覚えていませんが、母の介護食、お粥のお供にも欠かせないものとなりました。
ワタシは・・・今、玄米が主食になって、お供はこだわらないけど、冷蔵庫にはお守りみたいに「ごはんですよ」を安置しています
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明日は俳句の日。
2022年8月19日 1年経つの・・・
8月は 思い出ばかり 夏休み
(くまりー詠)この月、ワタシには辛い思い出の方が多いかも
これから笑い飛ばして幸せ色に上書きしていくつもりです
mere my meal one day
まれに白米だけの手抜きカレー。麦なくウコンなく。
作り置きの野菜スープに、SBカレー粉を加え煮て味変しただけ。豊作バジルがボロ隠し。