このブログを書いているのは17日未明。
まもなく阪神淡路大震災から15年が経つ。
ぼくの実家は兵庫県宝塚市。
その震災は早朝の女友達からの電話で知った。
「あなたの実家って兵庫県だったよね。今すぐTVをつけなさい」
自分の知っている、いや知っていた風景が壊れていた。
神戸でこれなら宝塚はどうなのか…。
焦った。
実家に電話をするが一向に通じない。
そんな中、宝塚の被害状況もたまに伝えられてくる。
しかし自分の実家あたりがどうなっているか、まったく分からないのだ。
数時間後の12時頃、「プルルルルル」と電話がつながった!
しかし、いくら待っても誰も電話に出ない。
焦りに焦った。
家族の誰も電話に出られない状況なのか。
もう実家は「終わってしまった」のか。
家は終わっても家族はどうなのか。
家族も「終わってしまった」のか。
そんなことは信じたくない、信じない、ありえない。
一向に誰も出ない電話にすがりついて鳴らし続けることは辞め、もう一度電話をかけなおす。
結局電話することしかやることがないのだ。
何度かけなおしたかは分からない。
数時間がまた経ち、そして16時過ぎ、再度電話がつながった。
「プルルルルル、プルルルルル………………………もしもし…もしもしっ!」
電話には母親が出た。
その瞬間、腰砕けになったのを覚えている。
ぼくの家族は幸いにして全員無事だった。
ライフラインは壊滅していたが、飼い犬を含め元気だとのこと。
ただし町内では亡くなった方もいるぐらいの被害だった。
父親も揺れの瞬間、死を覚悟したと後日語っていた。
ガスの復旧が最も遅れたらしいが、風呂を灯油で沸かしていた我が家は水道が復旧してすぐに風呂を近所に開放したそうだ。
日本の村社会的文化はちゃんと生きていたのだ。
昨日16日、TVで震災時の神戸新聞のドラマをやっていた。
食い入るように見つつ、ちょっと忘れかけていた色んなことを思い出した。
日ごろの行ないに関係なく、震災と言うのは来るときには来るのだろう。
被害はある程度防げても、震災自体を防ぐことは出来まい。
ならばその震災でどんな運命となっても悔いの残らない、そういう日々を送りたい。
被災された方の命の重みのおかげで、ぼくらの命の覚悟が決めさせてもらっている。
今年も黙祷を捧げます。