96歳 18日 眠るような最期でした。
大往生 です。
覚悟はしていても まだ実感のない今です。
ヒノヒカリ
粒の大きさ 甘みたっぷりが自慢でした。
農業1年生の夫に細かく指導
父 94歳の監督です。
稲を甘やかさず 水の管理へは 徹底していました。
充分に実るまで
GО!!!サインがでるまで 待ちました。
収獲されたお米
三千秋の名前から 千秋米から命名しました。
肥後もっこす
厳しく 愉快な父でした。
「熊本人は いつから架空の動物に頼るような 情けない県民になったとかい。」
話題のくまもんを全否定しました。
昭和22年 神戸港に復員兵として帰郷した後は
稲作りにささげた人生でした。
田植え 71回
稲刈り 70回
精一杯生きた人生でした。
たくさん 可愛がってもらいました。
心から
ありがとうございました。