【社説】捜査書類の管理 「適宜廃棄」は冤罪を生む
●リンク先・・・【2024年6月12日/西日本新聞/社説】
【社説】捜査書類の管理 「適宜廃棄」は冤罪を生む https://t.co/nD2lTKgRbM #西日本新聞
— ハイパー有明 (@FJEzaWEIntOhpqB) June 12, 2024
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— ハイパー有明 (@FJEzaWEIntOhpqB) June 12, 2024
捨てたいけど捨てられないもの・・・、あるちゃ~ある。
そりゃ~人間を五十年近くやってますし、誰にだって<歴史>が生まれるのは当たり前の話だ。
その歴史を、どうやって保管しておくかも、今後は考えていかなければならない。
例えば、このブログの読者の皆さんの中にも、学生時代の通知表だったり、自身や自身のお子さんが生まれた際の母子手帳なんかを保管されている方は多いだろう。
ただ、その通知表に記載されている点数になった過程の、テストだった里授業のノートなどをも保管されている人は、どのくらいにまで減少するだろうか。
もちろん、個人の場合であれば、結果を保管しておけば、過程まで保管しておく必要性はなくなっては来る。
でもそれが、企業や団体、役所の場合であれば、結果はもちろんのこと、過程の段階の保管も重要になってくる。
数年前の森かけ問題の際に話題となった、文書の偽造がされるまでの記録が残っていなかったり、最近では政治とカネの問題を巡っての政治資金収支報告書も、この先いつ廃棄されてしまうのではないかとの懸念もある。
政治収支報告書も、一旦は提出されたものの、保管中に廃棄されたので、十年後に公開できないってこともあり得るのだ。
私が高校生のころだったか、「記憶より記録に残せ」なんて言われていた。
結論や結果にたどり着くための過程を残しておくべきだとするもので、そのためにすべてを書き残しておくべきだとされていた。
ただし、それらが未来人にとっては武器にもなり、凶器にもなるのである。
とはいっても、その量は膨大になる可能性もある。
現代であれば、PDF化するなどしたり、スキャンして保存も可能ではあるが、これまでの紙の資料などをどう保管し続けるかの問題も残る。
もちろん、現代ではどんなものでもスキャンするなどして電子化しての保管も可能ではあるが、それを行う人や機器にかかる費用の捻出などの問題にも発展する。
そのうえ、扱う資料の中には国家機密にも匹敵するものも含まれていたりと、事情も様々。
外部への流出などがないよう、安全に行うためには、どうすればいいのかの課題も残る。
ただ、過去や歴史を残していかなければならないのは必須で、努力義務ではない。
そのためにも、どんなことができるのかを、それぞれが考えていかなければならないのだろう。
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