皆の衆!元気にしておるか?
隼之記(はやてのしるし)を見に来ていただき誠に嬉しき次第。
先日、山鹿市菊鹿町にある、”庄林隼人自休居士荼毘塚”に足を運んで参った。
この場所は墓ではなく、”荼毘塚”とある様に、庄林隼人が火葬された場所と伝えられておる。
拙者の墓は熊本市内、熊本城から近い場所にある禅定寺ござる。こちらも武録にて記させていたいておる故、ご興味ある方は是非お読みくだされ。
荼毘塚のある旧上内田村は清正様から拝領いたした場所である。
この場所の要所であった前原・原という地は、高台にあったこともあり、水不足に悩まされておった。
そこで、離れた山麓から湧水を引く事を計画いたし、水問題を解決をいたした。
この事があり、死後火葬された場所に功績を讃え、報恩の石碑と地蔵尊が建てられておる。
後に知ったのじゃが、築きし水路は昭和までの約四百年間、利用されておったそうじゃ。改めてとても嬉しく思う限り。
この荼毘塚には、庄林隼人との記載はござるが、息子や孫も同じく庄林隼人と名乗っておった時期がある。故に、ここで荼毘に付されたのが拙者か息子、孫なのかは諸説あるのじゃ。されど、いずれにしても拙者が関わっておる事に変わりはござらん。
庄林隼人の名が記されておる場所は少ない故、興味のある者は足を運んでいただきたい。
場所は下の通り。誠に自然豊かな良き景色が広がっておる。大きな銀杏の木が目印じゃ!
ここまで見てくれた者よ、ありがとうござる。
この後も清正様をお支えし、精進して参る。
隼人