見賢思斉ノ理ー辛子蓮根の歴史ー | 熊本城おもてなし武将隊武録ー雲外蒼天ー

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己が見つけし賢人に近づかんが為に、
本日も己を鍛え、高めて参る。
此れこそ真の武士である。


さあ、勉学の時間である。
本日は皆も大好きな肥後熊本三代名物が一つ「辛子蓮根」について話すとしよう。


今でこそ三代名物として多く世に出ておる辛子蓮根であるが、元々は門外不出、世に出ぬ様にされておったというのは存じておるか?

我が主君細川忠興様の御子息、細川忠利様は身体があまりお強くなく、伏せる事も多かった。

忠利様は皆も知っておる通り、細川藩主である。忠利様にもしもの事があれば……皆気が気ではなかった。

そんな中、忠利様を慕っていた、豊前国の耶馬渓にある羅漢寺の和尚「玄宅」という者が忠利様を見舞った。

その際に、増血剤として効能のある蓮根を食べる様進言なされた。

去れど忠利様は蓮根の他、様々な食を出されても、食欲が湧かずに中々口にされなかった。

そんな中、何とか蓮根を食べて貰おうと苦心し、結果味噌と和辛子を混ぜ、其れを蓮根に詰めて揚げたところ、忠利様は漸く口にされ、其れにより食欲が刺激されたのか、少しずつ食べられる様になった。


其の後、身体の調子も良くなり、病に伏せる事も減り、肥後熊本を治められた。


大袈裟な言い方をすると、
辛子蓮根のお陰で細川家は当世にまで続いておる、と言っても過言ではないやも知れん。


……流石に過言か。



去れど、どれ程辛子蓮根に助けられ、大切にされておったかは……先に話した通り、其の後明治まで門外不出とされておった事からも見て取れるであろう。

忠利様に辛子蓮根をお作りし、其の後四百年の時を経て、今尚辛子蓮根を守り続けておるのが、皆も知っておる「森からし蓮根」殿である。


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城彩苑に参った際には、是非歴史の味を堪能して欲しい。
店員の方も誠に優しく面白い。
是非色々聞いてみてくれ。

肥後熊本は、我等のみならず、他の店員の方の「おもてなし力」も中々素晴らしいぞ。




殿には申し訳ないが、黄金週間に向け英気を養うべく、儂一人で頂くとする。






殿は自分で買って下さい。


見賢思斉ノ理、本日は此れ迄。