皆々方、ご来城・武録の閲覧
そして、この約9ヶ月、肥後の地など全く分からぬ拙者らを支えていただき
まっこと
まっっっこと
ありがとうござんきゅーに候\(^^)/
思い起こせばいろいろあった・・・
拙者が遠征した中で一番遠方にござったのは鹿児島のおはら祭りかの。
焼酎をたらふく飲みながら、暴れ回る様に踊り狂ったのぅ(笑)
戦国の世とはまた違った大変な事もたくさんあったが
皆々方と出会えた事は
甦りし日々の御宝にござい!
たくさんの御手紙・写真・矢文
またしばらくしたらこれらを見て思い起こし
物思いに耽ろう
これらもまた拙者のかけがえのなき御宝にござる( ´∀`)
拙者
糟屋 助右ェ門 武則は
賤ヶ岳7本槍(しずがたけしちほんやり)が武人の一人として
して従五位下(じゅうごいのげ)内膳正(ないぜんのかみ)という官僚として
文武に通じてなければならぬ
戦国の世のだいたいの平均身長であるこの体は入りやすく(笑)
また身体能力・知慧(ちけい)のどちらも併せ持つ事ができ(知はかたよっとったが)
拙者、糟屋武則は当世に名を表せた。
これにより、糟屋家の再興
して、加古川城の復元
これを切に願う(´・ω・`)
またしばらくは、先の武録でも申した通り
この身体の持ち主
【菱木聖仁(ひしきまさひと)】殿にお返しいたし
兄共々この身体を守護し、当世を見て回りたいと思い候。
もう拙者、糟屋武則は英霊となってしまっておるが
またいつか、皆々方にお会いできる日が来るとよいなぁ
その時を願い!
さしより、さらばじゃ~(^o^)/
ばいば~い(^o^)/
糟屋 助右ェ門 武則と
糟屋 朝正と
菱木聖仁にござったm(_ _)m