今年の8月に納車されたプリウス50系を4カ月乗って10000㎞ほど走行したのでその感想を書いてみる。

まずはメリットから。

■コーナーリングの横ブレが少ない。
■思った以上に挙動がキビキビしている

■空気抵抗が少なく、車内の音が静か
■思った以上に荷物が詰める
■コンソールトレイが快適で居住性が良い

■とにかく燃費がいい

■エコ運転の採点を表示してくれる
■ガソリン注入時にガソリン代を入力すると月々の走行費用を算出してくれる

■とにかく運転が楽しい車である

■パーキングエリアなどで休む時など1時間程度だとバッテリーのみでエアコン、TVなどが使える
 

で、デメリットは
■空気抵抗が良いからか大雨の時はフロントガラスが見づらい。
■こちらも空気抵抗への配慮なのか極端に斜めになっているフロントガラスやドアガラスから差し込む日差しの量が多く、真夏の日差しはさすように熱い

■エアコンの効きがエコでまろやか
■後部座席を倒してフラットにならない

 

プリウス50系に乗ってみての感想ですが、居住性、運転性では以前に乗っていたハリアーをはるかにしのぐ性能なのではと思うのです。
 

プリウスというと営業車両というイメージもあるかと思いますがいやいやこれはなかなか良い車です。

 

 

Amazonサイバーマンデーで何を買ったという報告記事がブログ界隈で賑わっておりますが、

私も便乗して戦利品の紹介。

 

今回購入したのは1点のみ。
何やらよく分からないメーカーのスニーカー。
参考価格が5,500円で、通常のAmazon価格だと2.080円。
で、サイバーマンデーで1.584円。

 

安さに飛びついた訳ではなく、メーカー名が目立たなく、地味な色のスニーカーが欲しかったという私のニーズにマッチしたのだ。

 

 

生まれて初めてネットで靴を購入したのだが、激安シューズってこんな感じで梱包されてるんですね。

Amazonの箱を開けると二足がひしゃげた状態でビニール袋に入れられて梱包をされている。
ほほう、こんな感じなのかと開封をしてみる。

 

 

 

正直な感想として、1500円程度でこの靴が買えるのならお得だと感じる。

ソールのちゃちさは感じるものの、軽さと履き心地になんら不満はなかった。

意外にこんなのでもいいのかも。
そう思ったのが正直な感想。

 

 

【TIANYUQI】って一体なんなの?
って事なのですが、私も全然知らないし、日本の人のほとんどは知らないのだと思う。
私がこの靴を履いて出かけても、ほとんどの人がTIANYUQIを知らないのなら、この靴の相場ももちろん知らない訳であって、私が良い靴を履いているとも安い靴を履いているとも皆目見当がつかずスルーされること間違いなし。

 

まさに地味なスニーカーという私のニーズを満たしている。

 

 

デザインも地味なので、足元が目立つことはなさそう。
まだ、履き始めなのでそれほど使用感について深く感想は言えないのだが、今のところAmazonで買って良かった物として満足をしているのである。

 

ではでは。

 

図書館で面白そうな本を見つけた。
アフリカのことわざというタイトルの本。

 

ほほ、アフリカのことわざってちょっと面白う。

なかにはアフリカらしいことわざが掲載されている。

何処の国でもことわざになる人生の教訓の中身は同じようなものだなと・・・

 

例えば

【ゾウが戦えば苦しむの草たち】

ようするに強い者同士が戦うといつも弱いものが苦しむというもの。

 

とか

 

【英知とはバオバブの木のようなもの。誰もひとりでそれを抱きしめられない】

人の英知を独り占めなんて出来ない。人類の英知として分け合う事が大切という意味らしい。

バオバブの木のように長年培った知恵は万人に分け与えるという事だろう。

 

いろいろと面白いことわざがあり、紹介したいのはやまやまだが、著作権の事もあるのでほどほどにしたいと思う。

 

2018年に発行された本なので手に入りやすいだろう。
興味のある人は地元の図書館に所蔵されていないか調べてみてくださいね。

今は自宅からでもインターネットで地元の図書館の書蔵書が検索出来る時代ですから。

 

ではでは。

 

 

ゴーン氏の逮捕のニュースから一週間が経つ。
あれやこれや企業のお金の私的流用がリークされてきたわけだけど。
日産で働く社員は裏切られたとの声も多く、怒り心頭というインタビューがTVのニュースで流される。
その気持ちは重々理解できるものだ。

ではひるがえって、これまで日産を愛用してきた日産車のオーナーはどのような心持ちなのだろうか。
そりゃ良い気はしないのだろうけど、もう日産車は買わないと鼻息荒く、ブランド価値の低下に対して憤慨をしているのか、それともこんな時だからこそ生まれ変わる日産を応援したいとなるのだろうか。

 

多分後者なのだろう。
ゴーン=日産ではなく、ゴーンVS日産という図式にメディア操作されることで日産擁護に世論が動く。

何とも巧みなバランスなのだと思う。

ゴーン=ルノーVS日産という構図で語れることが多いがために世論は日産は善でゴーンは悪という図式となる。

 

微妙にバランスが違えば日産不買運動にまでなるのかな。
なんて思ってましたが、どうやら世論は逆に向かっている。

 

これって、まさにこれまで築き上げてきた日産のブランド力なのだと思う。

日産がんばれ!
日々の報道を見ている限りではそのような印象をうけるのである。

ではでは。

 

水道事業の民営化について議論が絶えない今日この頃ですが、何かにつけて専門化の意見として自治体にはない、民間の知恵を活かした運用で、合理化を推進するのが狙いだという。

 

なてな。
民間にはガリレオやエジソンのような目から鱗の知恵がゴロゴロと転がっているのだろうか?
ちょっとやそっとの知恵で自治体が「いやーなるほどなるほど、やっぱり民間の知恵は違いますなぁ~」なんて言っていたら、そもそも勉強不足なのである。

 

私が思うに、合理化を進めるにあたり、自治体では大きなコストカットが出来ない体質なのだが、民間に委ねると大規模なコストカットがし易いというそれだけの理由なのではないだろうかとうがった見方をしてしまう。

 

何も民間に委ねなくとも、自治体がコストカットをすればいいのだ。
では誰が悪者になるのか。
誰も悪者になりたくない。
それが嫌だから民間に頼むのだろう。

 

そう思うのである。

 

水道料金は民営化してもしなくとも上がるだろう。
安くて不味い水道を取るか、高くて美味い水道を取るのか、これは国民投票クラスの賛否両論なのではとも思う。

 

民間に委ねて、変な匂いの水が出てくるのも嫌だし、日本の水道は飲めないよ。

なんてことになるのは抵抗がある。

 

これまでの品質の水が蛇口から出てくるのだろうか。
また、水圧がちょろちょろなんて事にはならないだろうか。

 

水道料金は上がってもいいから、今の品質を維持してほしい。

そう考える人も多いのではないだろうか。

 

どうなんだろう。
 

コンビニのレジ袋を有料にするかしないかという問題。
記事のタイトル通り、現在の消費者はそれなりのサービスがあってあたり前だと思っている。
というかそうなったのは過度なサービス競争をしてきた企業側の自業自得でもあったりする。

で、その負担をお客さんに求めるのではなく、結局は労働者の負担へとなるのではないだろうか。

 

我々が求めるサービスの質によって、我々の労働環境に影響を及ぼすという一向に解決しない無限のサイクルが回っているように思う。

 

自らの行いが自らの首を絞める。

 

私には今の日本がそのように映る。

今年は大晦日、元旦に店を閉めるお店も多いらしい。
その理由は働き方革命なのだという。

 

それに対して、不便だとか言って叩く人はそのしわ寄せは自分に返ってくるのだと思う。
便利さを求めるがゆえに過酷な労働環境に耐えるのか。
それとも不便さを受け入れて、労働環境の改善を望むかは消費者であり、労働者でもある私たちの選択なのだと思う。

 

便利さも妥協できないし、労働環境も妥協出来ない。
ならば格安で外国人労働者を・・・

これがこの国のジレンマなのかも知れん。

 

そんなことを思った今日この頃です。
 

東幹久のセクハラ防止ポスターが話題になっている。

セクハラ、パワハラは言った本人が決めるのではなく言われた人が決めるのだという啓発ポスター。

 

まるでおっさんの被害妄想じゃないのかとも思う訳だけど・・・
そりゃある意味当たっていて被害妄想でもあり、キモイおっさんには何を言われてもキモイという風潮は否めない。

 

これじゃ何の下心もない真面目なキモイおっさんの人権はどうなるのかというというと・・・
自分がキモイことを自覚しろよって流れになるわけで、キモイことを改める努力を即されるのである。

 

っていうかおっさんらしくない言葉を発することが問題なのであり、アラフォーのおっさんが「今日のコーディネートはいいね!」なんて発するから問題なのだ。
おっさんはおっさんらしく他人の衣装に興味なんて抱くなよってこと。

 

そりゃそいう思う事もある。
自分の衣装は気にしないのに何故、私の衣装が気になるのか・・・
ん、ちょっとキモイぞ。

 

そうなっても不自然ではない。

 

日頃、自分の衣装に拘っているのなら、言われた本人もそれほど気にならないだろう。

そう考えると、セクハラ的言動って言った本人の不自然さを感じるからセクハラになるのだろう。
 

晩婚化という問題もあるのかもしれない。
これまで40代というと子育ても終わり、結婚して20年目ほどという年齢であった。
良い意味で色気なんてものはなく、家族の親父という存在だったはず。

 

しかしながら晩婚化という事もあり、40代管理職で独身という人も多い。
そうなると、少々色恋沙汰を意識するのかもしれない。

 

また近年のおっさんは若く見られたがっていることが悪影響になっているのかも。

おっさんが体を鍛える。
スタイルを気にする。
若作りする。

 

健康のためならいい事なのだけれど。
見た目のスタイルなどを気にするともうおっさんではない。
それはまだまだ男なのだ。

 

おっさんは貫禄を求めるもので、スタイルとしてスリムである事などどうでもよい。(健康面ではまた違うのだけれども)

 

で、変に若者言葉を使いたがるからややこしいのだろう。
おっさんの情熱ってそこじゃないだろうに。

 

一塊のおっさんにもなれず、若者にもなれない。
そんなおっさんの姿を東幹久のセクハラ防止啓発ポスターに感じる気持ちの悪さなのかのしれない。

 

でもこれって世の中の多様性が生み出したものでもあるというジレンマまで議論されることはない。

 

晩婚社会なのか、結婚をしないという選択が社会的に容認される世の中なのかしれんが、色気づいたおっさんは立ち去れ。

 

そんなジレンマを感じるのである。

おっさんの気持ちも分かるし、おっさんになろうとしないおっさんにも問題があるのかも。

 

そんなことを思う今日このごろ。
 

PDCAって何をわざわざ言葉にしているのだろう。
要するに改善の一言で済む話。


もうPDCAのがどのような意味なのか説明するのも歯が浮く行為のだが一応、超簡単にしておくと。

プラン、ドゥ、チェック、アクション(Plan-Do-Check-Action)でPDCA。
計画して、行動して、総括して、次のアクションを起こすという物。

 

いわゆる、「あ・た・り・ま・え」の行為なのだ。
このような当たり前の行為にビジネス用語としてPDCAという訳の分からない名目が付くことで何か不思議な付加価値というか独特のメソッドがあるように感じるのだが・・・

 

総括して、改善するというだけ事なのに、PDCAが回らないとか・・・
どのようにPDCAを回したらいいのかって話題になっている日本が何じゃそりゃって思うわけですよ。

 

いやいや料理が上手くなりたいなら、とりあえず料理を作って、人に食べて貰って、感想を聞いて、何が悪かったのか考察して、次はこうしようと考えるだけですよね。

 

なんでPDCAが重要ってなるの?

こんなの何事も上達するために無意識にやっている事だろうに。

 

問題は、総括や検証時の仮説の立て方だろうに。
仮説がトンチンカンならいくら検証しても意味がない訳で。

 

とにかくPDCAが大切なんて幼稚すぎておかしいよ。
いい大人なら仮説が理にかなっているのかどうかだと思うんだよね。

 

PDCAがどうのこうのいう前にさぁ。
仮説の立て方を学ぶべきだと思うんだよね。
 

そんなことを思う今日この頃。

 

ラグジュアリーなアウトドアライフを楽しむグランピング。
まるでホテルのような快適性と自然を満喫するアウトドアライフを融合した贅沢なキャンプとでもいうべきか。

 

2016年あたりから国内でグランピング施設が出来たり、グランピンググッズがもてはやされたりしたけれども、どうやらそうそうにグランピングブームに陰りを感じる。

 

ゆるキャンが流行ったせいなのだろう、時流は逆転してコンパクトキャンパーブームに流れが変わっている。

 

ブームを仕掛けるという事自体が難しい時代になっているのだろう。
波に乗ったかと思えば、ブームを逆手に取る新たなブームが生まれる。

 

非常に面白い現象だと思う。

 

ブームの兆しを感じたら真逆の波に乗る。

そういう感覚も嫌いではない。

 

いわゆるアンチとなるわけだけれども、そのような感覚を持ち合わせている人って単純にアンチなのではなくて、次のブームを作るために先手を打っているように感じる。

 

まぁ言いたいこととしてはグランピングってもはやダサさを感じる言葉だなぁと思う今日この頃なのであります。

 

ラグジュアリーて言葉もそろそろ死後になりそうな。
そう思いませんか。

世の中副業ブームですよね。
いろいろとチャレンジをする人が増えていることは良い事だと思う。
何事も、どうせ無理と言って何も行動をしない人よりも、何かと行動する人の方が結果が出るのが早い。

 

実験の数で結果の数が変わる。

一つ一つ可能性を試していけば、それなりの成功の目星もつくはずだ。
失敗を繰り返すうちに踏み外す可能性のある道幅を狭めていく。

 

道幅を狭めていく事で、自ずと確実に歩むべき道が見えてくるという。

 

大草原には危険が沢山ある。
突き進んで行くうちに経験からここは危険。

このルートは大丈夫という事を知ることが出来る。

 

遠くから草原を眺めているだけではルートは見えない。
一歩、一歩、自分の足で踏み込んで、失敗をしたり、いろいろな経験をすることで泥濘を避ける知識を身につけたり、泥濘をなんなく通る工夫を身につけたりするものだ。

 

何事も経験しないことには始まらない。
どうせ無駄な努力になるだろうとか、後悔するかも知れないとか、躊躇するかもしれないが、いろいろと模索をしないと結果は見えない。

 

結果を想像して一歩踏み込めずにいるのならとにかくやってみよう。
そして模索しよう。

 

その経験はきっと価値があるはずだ。
そしてその経験はノウハウというものだったりする。

世の中、やってみないと分からないこともあったりするものだ。

 

ではでは。