東幹久のセクハラ防止ポスターが話題になっている。
セクハラ、パワハラは言った本人が決めるのではなく言われた人が決めるのだという啓発ポスター。
まるでおっさんの被害妄想じゃないのかとも思う訳だけど・・・
そりゃある意味当たっていて被害妄想でもあり、キモイおっさんには何を言われてもキモイという風潮は否めない。
これじゃ何の下心もない真面目なキモイおっさんの人権はどうなるのかというというと・・・
自分がキモイことを自覚しろよって流れになるわけで、キモイことを改める努力を即されるのである。
っていうかおっさんらしくない言葉を発することが問題なのであり、アラフォーのおっさんが「今日のコーディネートはいいね!」なんて発するから問題なのだ。
おっさんはおっさんらしく他人の衣装に興味なんて抱くなよってこと。
そりゃそいう思う事もある。
自分の衣装は気にしないのに何故、私の衣装が気になるのか・・・
ん、ちょっとキモイぞ。
そうなっても不自然ではない。
日頃、自分の衣装に拘っているのなら、言われた本人もそれほど気にならないだろう。
そう考えると、セクハラ的言動って言った本人の不自然さを感じるからセクハラになるのだろう。
晩婚化という問題もあるのかもしれない。
これまで40代というと子育ても終わり、結婚して20年目ほどという年齢であった。
良い意味で色気なんてものはなく、家族の親父という存在だったはず。
しかしながら晩婚化という事もあり、40代管理職で独身という人も多い。
そうなると、少々色恋沙汰を意識するのかもしれない。
また近年のおっさんは若く見られたがっていることが悪影響になっているのかも。
おっさんが体を鍛える。
スタイルを気にする。
若作りする。
健康のためならいい事なのだけれど。
見た目のスタイルなどを気にするともうおっさんではない。
それはまだまだ男なのだ。
おっさんは貫禄を求めるもので、スタイルとしてスリムである事などどうでもよい。(健康面ではまた違うのだけれども)
で、変に若者言葉を使いたがるからややこしいのだろう。
おっさんの情熱ってそこじゃないだろうに。
一塊のおっさんにもなれず、若者にもなれない。
そんなおっさんの姿を東幹久のセクハラ防止啓発ポスターに感じる気持ちの悪さなのかのしれない。
でもこれって世の中の多様性が生み出したものでもあるというジレンマまで議論されることはない。
晩婚社会なのか、結婚をしないという選択が社会的に容認される世の中なのかしれんが、色気づいたおっさんは立ち去れ。
そんなジレンマを感じるのである。
おっさんの気持ちも分かるし、おっさんになろうとしないおっさんにも問題があるのかも。
そんなことを思う今日このごろ。