実息子に言われて嬉しかった一言 | シングルマザーの第二の青春!

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フルタイムで働くシングルマザーです。同居していた認知症要介護4の父親を令和5年3月に見送り、着物と盆栽をたしなみつつ第二の青春を謳歌しています。ときどき毒親に対する毒を吐いてます。

引っ越してくるまでは、めんどくさそうだなぁとか思っていたけれど、実際にはめんどくさいと思うほど、顔合わせていない。
奏太の出勤時間は10時からだから、朝は私が出勤してから目覚ましが鳴っている。
そういうわけで、朝は全く会わないし、夜も奏太は8時半ごろ帰ってきてご飯をぱっと食べてすぐに部屋に行ってしまう。
だから4月はずっと一緒にいるのに一緒にいなくて、
離れて暮らしているよりもなんだか寂しかった。
それが「ゴールデンウィーク一緒にご飯食べに行こう」と言うと「いいよ」と言う返事があり、2人でご飯を食べに行った。
いつも隣で無言でイヤホンをしてご飯を食べている奏太に比べて、向かい合って私の顔を見て話をしてくれる奏太は別人だった。
とりあえず仕事の話を聞いたり通勤のことを聞いたりした。最初は職場まで通うのが大変で、一人暮らしをしたいと言っていたけれど、 1ヵ月通勤してみたら出勤時間も遅いし、案外大丈夫そうだと言う返事が返ってきた。

これはもしかしたら結構長く一緒に暮らせるかも。😆😆😆❤️❤️
半年位の期間限定だと思っていたから、やっぱりちょっと嬉しかった。
一通り奏太の話を聞いた後、「母さんの仕事はどうなの?」と聞かれた。

コロナ禍の最中に始めた私の新規事業。
最初の年はとにかくバッシングだらけで孤立無縁で。
ほんとに病みそうな位、たった1人で孤軍奮闘していた中、奏太に会った時にその話をしたら「なんでバッシングされるのか俺もわからない。っていうか、よくわかんないけど、母さんがやってくこと、いいと思うけどね」と、よくわからないながらも、私の話をうんうんと聞いて応援してくれていた。

あれから4年。
あれほどバッシングされていた私の新規事業は、社内だけではなく、社外からも視察に来るほど順調に進んでいた。

奏太との会話の中で、「そもそも私はいつも新しすぎるんだよね」と、10年以上前に「なぜマスクは白しかないのか。肌色がきれいに見える、肌色マスクは無いのか」とメーカーに問い合わせたり、化粧品会社に勤める友だちに、「化粧品会社のノウハウを生かして、肌色マスク、作らない?」と提案していた話とか(今ではフツーだけど当時は誰にも関心持たれなかった)、小学校2年か3年の時、自分の不用品を家の近くの空き地に並べて10円、20円の値札をつけて、近所の子供たちに売る、お店屋さんをしたことがあった話をした。

今で言うフリーマーケット?だけど、それを聞いた近所のおばさんが飛んできて、「子供がこんなことしちゃだめよ。お金のやりとりなんかだめよ」とすごく怒られた話をしたら、奏太がケラケラ笑いだし、手を叩いて喜び始めた。

「母さんすげえ。母さん新しすぎる。っていうかオレ、やっぱ母さんの子供だわ。オレもいろいろ変なことやって面白いことやろうとしてきたけど、それって母さんの血だったんだね。いや、まじ、母さん新しいわ」

久しぶりにこんなに嬉しそうな笑顔の奏太を見た気がする。それぐらい、私に似ていたことを息子が喜んでいたことを、私はとても嬉しかった。
そして何より「やっぱりオレ、母さんの子だわ」の一言が嬉しかった。

実は私にとって奏太はあこがれであり、なりたい自分だった。
運動できて勉強できて、それでいて順位とか名誉とかに全く興味がなく(それなのにずば抜けて勉強できる)、ユーモアあって、特に努力しなくても、媚びなくても、というか抜けてても、人から愛され、人が集まってくる。

運動苦手で、勉強は必死にやって上位を狙い、誰かに褒められることでしか自分の価値を感じられず、ユーモアまでなく、大人には媚び、友だちはうまく作れず、いつも孤独だった私には、奏太は我が子ながらまぶしい存在だった。

母親の呪いが解けて、今はなりたい自分に近いけど、奏太にこんなふうに言われたことは最大の賛辞だった。

ただ、仕事の話の中で「新しいことを始めると、絶対叩かれる。でもそれが正しいことであれば絶対に周りがついてくる。ただ本当にお母さんはいろんな意味で新しすぎて叩かれてきて、結構生きづらかった。周りに馴染めず、違和感を感じ、なんとなく周りと違うことを、昔は自分が悪いのだと思っていたけれど、今は思うと昔から新しいすぎたんだなって思う。」と話し、最後に「後は、母さんが女でなければ、もうちょっと楽だった気がするんだよね。特にお母さんの年代は、女だから女のくせに、そんなちっちゃい男どもがたくさんいたから。」そういうと、奏太が「いや、オレもそれ、実は言おうと思ったけどやめたんだよね。実際母さんが女性じゃなかったらそこまでじゃなかったなって思うよ。」


私は母親の愚痴や不満を聞かされてきたから、子どもには言わないようにしてきた。

でも、「大人になった子ども」は、頼もしいなって思ったし、今度は大人として、社会人として、伝えなくちゃいけないこともあるなって思った。

奏太がいつまで家にいるかはわからない。

たぶんある日突然、巣立っていくと思うけど、この日を忘れることはないと思う。






と、この記事を書いたのがGWあけ。

下書きのまま忘れてたけど、急いでアップしたくなるようなことが起きた。

それは次の記事で!