「昨日が存在したという証明はできない」ってあの噂は、本当なのかな。 | 旅館復活大作戦!!日本全国の旅館に、もっと元気になって欲しくて始めた ブログよ。

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どうなのかしら、あの噂は。

 

 

 

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GW、おつかれさまでした^^

 

 

数年前まで仲良くしていた年上の友達が、ある日教えてくれました。

「昨日が存在したっていう証明はできないらしいよ」と。

 

 

その言葉を聞いた瞬間、「まさかそんな」と思う一方で、

「確かにそうだ」とすんなり腑に落ちてしまいました。

 

 

誰でも経験があると思うのですが、「記憶」と「夢」がごっちゃになることって、よくありませんか? わたしは思い込みが強い性質のせいか、「夢」を「記憶」と信じ込んでしまうことがよくあります。もしくは、人から聞いた話のイメージが強すぎて、いつの間にか自分独自の記憶だとすり込まれてしまうことも。

 

 

気味が悪いのは、そんなまがい物の記憶にも、ちゃんと音や匂いがあることです。それがある時ひょんなことから、自分のその記憶が現実には絶対ありえないと証明されてしまって、愕然とした経験は何度かあります。

 

 

じゃあ、なんなんだよ、この妙にリアルな記憶は。

それ以来、記憶というものをあまり信じなくなりました。

 

 

 

「昨日の存在」を証明するのに、「記憶」では元々弱いのだとは思います。それでも、もし今誰かに「昨日の存在を証明してよ」と言われたら、真っ先にわたしが口にするのは、「昨日わたしは母と靴を買いに行ったよ」とか「チョコレートドリンクを飲んだよ」とか、そういうことになるのでしょう。でもそう言ったら相手は、「それは証明にならないね」とか、「その記憶は間違ってるかもしれないね」とか、憎たらしい顔で返してくるのだろうなぁ。

 

 

 

昨日、何をしていましたか?

 

 

GW、お疲れさまでした^^

 

 

 

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