松山市総合公園の考古館で
古代蓮の蕾たちにエネルギーをいただいた後
(6月7日のことになりますが)
総合公園内を歩いたり
写真を撮ったりしながら
動的瞑想をすることにしました。
考古館から丘に向いて上がるので
坂道をよいしょよいしょと上がります。
いつもは違う駐車場から上がるため
はじめてのルートから上がるのが新鮮でした😊
向かったのは紫陽花園🥰
ずいぶん咲いているところ
まだまだ咲こうとしているところがあって
長い期間を
楽しませていただけるんだなと思いました。
お手入れしてくださっているかた
総合公園のお仕事をされているかた
それにお天道さん
ありがとうございます❤️
幼稚園の先生をしていた私は
小林純一さん作詞 中田喜直さん作曲の
「あじさいてまり」という歌が好きで
この季節、子どもたちと
毎日歌っていたな〜と懐かしくなりました。
あじさいてまり
あじさい あじさい 花てまり
風が ひとつふたつ つきました
そーっと そーっと つきました
とんとん とん
のきばの のきばの こすずめも
おりて いつつむっつ つきました
とんとん とん
あじさい あじさい 花てまり
濡れて ななつやっつ 揺れました
そーっと そーっと 揺れました
とんとん とん
今あらためて歌ってみたら
心に沁みる 本当に素敵な歌🥰
音と響き 言葉と間
音と響きという
そのときその瞬間という
「今」という恩恵と
こうして記憶と後の世に残る言葉と間の
「過去と未来」という恩恵
私たちはたくさんのものを
受け取っているんですね。
「受け取ってもいい」の「ても」
このふた文字はたったふた文字だけど
今の私をいい意味で破壊してくれました。
手でお皿を作って「受け取り」
その中を覗き込んで
うわぁ、嬉しい、ありがとう
としていたものが
両手いっぱいを開いて浴びて「受け取り」
うわぁ、嬉しい、ありがとう
とするようになった
そんなイメージが同時に浮かんできました。
これまた矛盾するようですが
これまでもそんなふうに
両手を開いて受け取っていた
自分もいたと思うんです。
ですが受け取ることに対して
「それでいい」が
根っこから「それがいい」になった
瞬間だったと思います。
「それでいい」には
自分は傲慢になっていないか
もらいすぎていないか
自分のことを見張る自分がいました。
変な言い回しになりますが
「受け取ってもいい」としている自分を
見張ることをやめる覚悟をする
それは自分という枠をはずして
みんなで幸せになったらいい
みんなで幸せになることができる
というドアが開いた瞬間でした。
あぁ、このドアも開くんだったのか❗️
そこでつながったのが
5月に記事にもしましたが
開けるって素敵〜🎵と無意識に歌っていて
何かが開いたんだな〜と思ったことでした。
あの後過去生も開いたし
たぶんここまでに
瞬間瞬間たくさん開いてきたけど
過去生、観念の親玉、根元の観念
と開いてきて
展望台に向かっていながら
人生の展望を開いたんだろうと思います😊✨
(公園から帰る時の空には
日輪のような虹色が見えました)