何度か足を運び、やっと夕日が差し込むシーンに出会えました。
丸山千枚田の彼岸花も終盤で、そろそろ終わりとなっていきます。
今年の丸山千枚田での彼岸花撮影は終わりです。
来年はどんな感じで咲いて、どんなお天気で撮影できるかな。
それも楽しみの一つです。
何度か足を運び、やっと夕日が差し込むシーンに出会えました。
丸山千枚田の彼岸花も終盤で、そろそろ終わりとなっていきます。
今年の丸山千枚田での彼岸花撮影は終わりです。
来年はどんな感じで咲いて、どんなお天気で撮影できるかな。
それも楽しみの一つです。
友人が毎年、草刈りなどして彼岸花の季節に楽しめるように頑張っている。
猪などに荒らされたりするけど、毎年根気よくこの風景のために頑張っています。
丸山千枚田もそうですが、咲く前に草刈りをしないと雑草に埋もれて咲いてしまうし、草刈りのタイミングが早過ぎても雑草が伸びてきて埋もれてしまうので、なかなか綺麗に見せるのも大変そうです。
ほっといても自然の中で育つもの(環境が変わればなくなる)と、人との共存で咲くものの違いがあります。
田んぼの畔を猪から守るために、猪が嫌う彼岸花を植えたという話も聞きます。
草刈機のない時代でしたが、祖母は畔道を歩いて行くとき、いつも腰に鎌を携えて、道に生える雑草を刈りながら歩いていました。
お彼岸の時期は、稲刈りだったので、田んぼの畦道には彼岸花がよく見られたものでした。
そんなことを思い出しながら、娘にモデルになってもらいながら撮影しました。
娘を撮るのも久しぶりだったので、たくさん撮ってしまいました。
日当たりの良いところから咲くので、何度も通うことになります。
時間を変えて、訪れます。
盛りの過ぎたところもあれば、これからのところも。
あと1度、夕刻に訪れたい。
花には、生存戦略がきちんとあることを知ると、ただきれいから、したたかさや形の意味がわかってくる。
写真を撮ることは知ることにつながることもあるので、それも楽しみの一つかもしれません。
この花の咲く頃は、稲刈が始まり、さがりを立てて1週間ほど干して、田んぼに脱穀機を運び、さがりから稲の束を下ろして運んでいきます。年齢によって仕事は変わっていき、重いものを持つ運ぶ仕事がメインになりました。
みんな元気で、終わった後はよく酒を飲み、きつかった体を騙すように大人たちは飲んでいたと思います。
「秋」は、稲刈りを意味する言葉で、「秋をするから明日から来い」と本家から連絡が入ると、父は仕事を後回しにして手伝いに出かけ、休みの日であれば私も朝早くから手伝いをしました。
マムシがいても捕まえて、瓶に入れて、あとで焼酎漬けにしたり、田んぼをタガメが歩いていて捕まえたり、無数の赤とんぼが私の周りを飛んでいる光景を今も覚えています。