ブラジルサッカーの基本[4-2-4]の由来
1958年W杯のブラジルは、いまだに史上最強のナショナルチームと言われています。
この時の「4-2-4」システムはフォーメーションが数字で表記された最初のケースでした。その後「4-3-3」とされているものもほぼ同じでした。更に後の「4-4-2」や「4-2-3-1」も、実は初期の「4-2-4」の可変です。
ブラジルの基本形は1958年で既に出来上がっていたと言っていいと思います。
1958年の最強セレソンはジンガだけではなく、ブラジルらしい人種を問わない白人的なものと黒人的なもののミックスで、それは今日までブラジルサッカーの強さの源になっています。
GKは名手ジウマール。GKが弱点になることの多かったセレソンの歴史上では特別な存在でした。DFは4バックで、技巧的なSBジャウマ・サントス、ニウトン・サントスは攻撃にも加わり、攻撃的SBの先駆と言われています。
MFの2人はジジとジト。ジトは今で言うディフェンシブミッドフィルダー(primeiro volanti)、ジジはトップ下(segunda volante)でした。ジジはこの大会のMVPで、豊富な運動量、超絶技巧、構成力で抜群の存在感でした。
FWは右のガリンシャが単騎突破型。ペレ以上のジンガの体現者であり、史上最高のウイングプレーヤーでした。CFは、長身で技巧派のババ。ペレはその左斜め後方にいる。WM(ハーバート・チャップマンが考案し隆盛した[3-2-2-3])のインサイドレフトそのものとも言えるし、セカンドトップとも言える。ババの周辺で中途半端なポジションでフラフラしていた。左ウイングのザガロはこのシステムの肝でした。中盤でジジを助けて組み立てをやり、左サイドへ出てウイングの仕事もやる。戦術的で白人的な役割と言えます。
1970年メキシコW杯のブラジルは「4-3-3」と言われていたが、実質的に58年の「4-2-4」と変わらない。ガリンシャ→ジャイルジーニョ、ジジ+ジト→ジェルソン+クロドアウド、ザガロ→リベリーノ、そしてペレはペレ。CFが戦車型のババから偽9番のトスタンに変わっているが、これは選手の個性の違いだろう。
現代的に解釈すれば「4-2-3-1」に近く、セレソンの基本構成はほとんど変化のないまま現在に至っています。