「日本らしいサッカー」の幻想 | ロメロの言いたい放題

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残念なのは、「ハリルホジッチの戦術的長所」や「アギーレの戦術分析」しても食い付いてくれない視聴者には残念です。戦術的に何も無い「森保一監督」評価されて、解任された「アギーレ監督」「ハリル・ホジッチ監督」の戦術には何も興味が無いブログリーダーに疑問を持つ、何故ならリーダー数が上がらなかったからです。誰も書かなかったことを書いているのに残念ですね?

日本サッカー協会は「日本らしいサッカー」に固執しているが、結局のところ具体性のあるスタイルについては見えてこない。ボールを繋ぐスタイルを目指そうにも、育成年代でビルドアップのメソッドと駆け引きを仕込めていない状態では机上の空論です。

これは、日本の選手の能力うんぬんの問題ではない。

サッカー協会が「日本らしいサッカー」を明確に定義し、育成年代への落とし込みを的確にサポートし、指導者育成に投資しているのであれば、主張にも正当性がある。しかし、現状はあくまでも「耳触りの良い」キャッチフレーズに過ぎず、そのようなサッカーを目指す土壌も整ってはいない。

理想を目指すためには着実なステップが必要で、ベルギーやアイスランドのような新興国は徹底的に強豪国の育成から学ぶことを通して実績を積み上げてきた。

ハリルホジッチの解任により、「海外から学ぶプロセス自体を軽視すること」にならないかという懸念は大きい。実際、ハリルホジッチは代表候補者に求めるスキルを明確化し、日本サッカーに足りないものに徹底して向き合っていた。

J2でもスペイン人監督が結果を残しているように、日本人に欧州的な指導が合わないというのも幻想です。 サッカーの歴史が浅い日本が、最先端から学ぶことを恥じる必要があるだろうか?

「日本人の特性を引き出すサッカーを目指す」、という大きな目標については否定するつもりはない。ただ、それは監督を日本人にすれば解決するものでも、一朝一夕で作り上げられるものでもない。草の根からの地道な改革、育成年代や指導者育成への投資、海外の最新知識を学び続けることを積み重ねた結果として、日本人らしいサッカーは可能になるはずです。

さらに「俊敏性を生かすのであればショートカウンターを採用すべき」とハリルホジッチが主張するように、「日本人の特徴を生かすスタイル」というのは人によって解釈が異なるものだ。明確な定義と、地道な積み上げがなければ、「日本サッカーの日本化」は単なるガラパゴス化でしかない。

 

「コミュニケーション不足」というブラックボックス

今回の解任劇が内包する最大の問題は、監督を解任する明確な基準を失ってしまったことである。

今回の例を見てもわかるように、「コミュニケーション不足」という理由は外部からの可視化が不可能な「ブラックボックス」でしかない。

外部から「コミュニケーション不足か否か」を知る方法はメディアからの断片的な情報だけになっており、エビデンス(根拠)としては説得力を欠く。

選手のコメントやハリルホジッチの会見、協会の主張にも食い違いが見られます。今後、指揮官を解任する際にコミュニケーション不足という曖昧な理由で解任することが可能なのであれば、どのタイミングでも協会が監督を解任できるようになってしまう。明確な理由が不要で、協会は責任を問われない。それもW杯の2カ月前という常軌を逸したタイミングでの解任を、「ブラックボックス」の中で完結させようとする姿勢は危険極まりない。

さらに、コミュニケーションとは双方的なものであります。選手と監督のコミュニケーション不足をすべて監督の責任とするのは、権力構造を考慮しても難しい。マネジメントに問題がある監督が、ハリルホジッチ監督のような実績を得られるかというのも疑問です。

状況として、「選手と揉めた場合は、監督が追い出される」という前例が生まれたことで、歪んだ構造が生み出されたのは間違いない。選手は反乱を正当化しやすくなり、完全に世界の常識からは外れた方向へと進む。コミュニケーションを優先するのであれば、限られた選択肢をさらに絞って日本人監督を選ぶことになる。

JリーグやACLで圧倒的な実績を残した日本人監督が登場したのなら理解できるが、「日本人だから」という理由で選んだ監督で、世界の舞台を戦えるのだろうか?アジアでも戦えない。

日本人指導者の抜擢は、選手としてW杯や海外リーグを知る世代が十分な教育を受け、実績を残した後でも遅くはない。

例えば、解任が戦術的な理由であれば技術委員会が役割を果たすべきだろう。

協会主導の対戦チーム分析や長期的強化計画とハリルホジッチの戦術に噛み合わない部分があり、それを明確に説明できるのであれば、(かなりイレギュラーではあるが)解任の理由になり得ます。

もしくは、ノルマとなる結果が出ていないのであれば解任となる。フレンドリーマッチの結果に固執するのであれば、それを契約内容に含んでしまえばいい。その条項を含んで、多くの監督に断られることになったとしても、互いに遺恨が残る結果にはなりづらい。すべてをブラックボックスに放り込み、見えない場所で判断をしていてはガバナンス面での進歩はない。

同時に、代表の強化を目指す長期プランも、今回の突発的な解任劇によって信頼性の薄れた絵空事になってしまった。

 

日本代表、メディア、サポーターのすべてにハリルホジッチという指揮官を理解しようというアプローチが足りず、世界的に評価されている優秀な監督を失ってしまったことは遺憾の極みだ。そして、このような過ちを繰り返さない仕組みがいまだに存在しないことにも、絶望感を覚える。

 

W杯の結果ではなく、未来の日本サッカーのために、解任の是非は議論され続けなければならない。圧倒的な速度で進歩する世界のフットボールに追いつき、追い抜くためには、後退している場合ではないのだから。