東洋一の神秘の国、日本では、何が流行するか、わかったもんじゃない。
2030年代のある年、日本では、イカが流行った。
まさしくあの、海で泳いでいるイカである。白くて足が8本、吸盤付きの触椀が2本あり、敵に対して墨を吐く、あのイカである。
突発的に生まれた、「イカが可愛い」という評判が全国に波及し、イカストラップ(イカす!という言葉とかけてある)を持ち歩くものを皮切りに、人々は、身の回りにイカグッズを携行し始めた。
財布もイカなら、ハンカチもイカ。ふろしきはイカスミ染めで、女の子の髪型は三つ編みではなく10本編み込んだ、イカ編みが基本。
どこに行ってもイカだらけ。イカイカイカイカ、芝居もドラマもバラエティも、野球の球団までマスコットにイカを使い出す始末。
日本全国でその人気が爆発的に普及してから約半年。
ついにレプリカでは我慢できなくなった人たちが、本物のイカを持ち歩き始めた。そしてそれは瞬く間に、ステータスとなった。今では誰もが、生のイカを持ち歩いている。
全長約15cmほどの、手のひらサイズが一番の売れ線で、一家に一つ水槽が購入され、毎日イカはそこで食を得て、日中は主人によって携帯されるという毎日を暮らしていた。
本来水棲生物のはずのイカを、品種改良で日中も活動可にしたという、イカ研究養殖家の研究は、近い将来ノーベル賞間違いなしだと言われている。
イカの春が来たのである。
なんと言っても、地上には、天敵が存在しない。天敵とはタコではなく、カツオやマグロ、カモメやアホウドリ、その他海の大きな生物たち。人間によって捕食される可能性も、ないではなかったが、むしろ居酒屋ではタコ刺しばかりが消費され、イカを食べる人は極端に減っていた。もちろん、イタリアンに行けば、パスタに自由にイカスミをかけることもできる。種類によって味も違うので、それを楽しみたい人は、イカを複数種類持ち歩いたりもしている。
「イカの命は尊イカ?」という標語で一世を風靡し、イカ権問題に詳しい学者までが登場し、法曹界においても、イカの権利(イカ権)は世間で広く認知されるに至った。
イカを携帯して何が良いかというと、刃物などの銃刀類が単純所持から禁止されている日本で、不審な何者かに襲われたとき、イカを思いっきり握って、イカスミをぶちまけるのである。そして、目くらましをしている隙に、逃げる。
それ以外に何か能力があるかと言えば、実はこれがまったくもって何もない。
せいぜい、イカスミパックでもして一日の顔の脂汗を落とすくらいだが、生臭いという理由で使わない人もけっこう多い。
日中、道ばたを歩いているとき、腕に10本の足でしっかりと抱きついているイカ・ポータブルは、とても愛嬌があり、大人気アイテムだった。モデルや芸能人がこぞっていいイカを身につけ始め、イカにもブランド志向が芽生えた。
特に役立つわけでもなく、オシャレのためだけに携帯していイカだったが、人間との共存関係は良好であるかに見えた。
あるとき、海から、大きな大きなイカが上陸してきた。
それは、全長10mは優に越す、ダイオウイカであった。ダイオウイカは、自分にも特権を与えろとばかりに、人間に携行されているイカたちを引きはがし、人間そのものを襲い始めた。
しかし、体調も15cmくらいなら愛嬌もあるが、m単位ででかいダイオウイカなど、元より携行できるはずもない。それでも、ダイオウイカは無理矢理人間に取り付こうとする。その8本の足と2本の触腕を振りかざし、日本人を捕まえては、イカスミで真っ黒にしていった。イカスミをかけられた人は、あまりの生臭さに、家から出てこられなくなった。
首都圏は、混乱した。ただし、首都圏とはいえ、海がない埼玉と栃木とグンマーは、別になんと言うこともなかった。
この危機に、イカたちが立ち上がった。
首都圏のみならず、全国各地位で人間によって携行されていたイカたちが、首都圏に集結。ダイオウイカに勝負を挑んだ。イカに対抗するのに、イカの力を結集したのだ。
双方、触椀で相手をむち打つか、イカスミをぶっかけるしか攻撃方法がないものだから、東京は昼でも真っ黒な街になってしまった。
丸々一週間かけて、ひとしきりイカスミを吐き終わった後、ダイオウイカは、イカ・ポータブルたちと一緒に、海に帰っていった。何がどうなったのか、誰にもわからなかった。ただ、ダイオウイカに負けて、東京中の道に打ち上げられたイカたちがいたことと、東京がイカスミまみれになった、という結果だけがそこにあった。
「やっぱイカは食べるもんだろ」
既に死んでしまったイカたちを、供養のつもりもあってか、刺身にして食べた。おいしかった。新鮮な状態のイカは、血管が浮き出るほどに透明だが、一度命を絶たれると、次第に色が白く濁り始める。その色が変わったイカを、唐揚げにしたり、イカリングにしたりして、人々は食べて食べて食べまくった。
そして、一ヶ月もすると、みんな、飽きた。
ブーム発生から一年後、誰も、イカを携帯しなくなった。イカ・ポータブルの時代は去った。そしておそらくは、更に十年ほど未来においては、懐かしのアイテムとして、雑誌で特集されるまで、誰も思い出すことはないのだろう。
日本でのイカ・ブームは、去った。
その一連の騒動を、海外のメディアは、真面目に分析するのも馬鹿馬鹿いので、最終的には真面目に報道することはなかった。東洋の神秘も、行きすぎれば呆れられるのだ。
ちなみに、50代以上のおっさんたちが夢見た、「イカ天ブームの再来」は、特になかった。
<終わり>