『イカ・ポータブル』 (ショートショート小説020) | エンタメ演劇の劇作家演出家の奇妙な日常

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O-MATSURI企画merrymaker主宰。 脚本家・演出家。 ドイツ文学修士(ゲーテ『ファウスト』)。 元・演劇集団キャラメルボックス脚本演出補。(過去作はいくつか、ブクログにて電子出版してます。 http://p.booklog.jp/users/kumabetti )

 
 

 東洋一の神秘の国、日本では、何が流行するか、わかったもんじゃない。

 2030年代のある年、日本では、イカが流行った。

 まさしくあの、海で泳いでいるイカである。白くて足が8本、吸盤付きの触椀が2本あり、敵に対して墨を吐く、あのイカである。

 突発的に生まれた、「イカが可愛い」という評判が全国に波及し、イカストラップ(イカす!という言葉とかけてある)を持ち歩くものを皮切りに、人々は、身の回りにイカグッズを携行し始めた。

 財布もイカなら、ハンカチもイカ。ふろしきはイカスミ染めで、女の子の髪型は三つ編みではなく10本編み込んだ、イカ編みが基本。

 どこに行ってもイカだらけ。イカイカイカイカ、芝居もドラマもバラエティも、野球の球団までマスコットにイカを使い出す始末。

 日本全国でその人気が爆発的に普及してから約半年。

 ついにレプリカでは我慢できなくなった人たちが、本物のイカを持ち歩き始めた。そしてそれは瞬く間に、ステータスとなった。今では誰もが、生のイカを持ち歩いている。

 全長約15cmほどの、手のひらサイズが一番の売れ線で、一家に一つ水槽が購入され、毎日イカはそこで食を得て、日中は主人によって携帯されるという毎日を暮らしていた。

 本来水棲生物のはずのイカを、品種改良で日中も活動可にしたという、イカ研究養殖家の研究は、近い将来ノーベル賞間違いなしだと言われている。

 イカの春が来たのである。

 なんと言っても、地上には、天敵が存在しない。天敵とはタコではなく、カツオやマグロ、カモメやアホウドリ、その他海の大きな生物たち。人間によって捕食される可能性も、ないではなかったが、むしろ居酒屋ではタコ刺しばかりが消費され、イカを食べる人は極端に減っていた。もちろん、イタリアンに行けば、パスタに自由にイカスミをかけることもできる。種類によって味も違うので、それを楽しみたい人は、イカを複数種類持ち歩いたりもしている。

 「イカの命は尊イカ?」という標語で一世を風靡し、イカ権問題に詳しい学者までが登場し、法曹界においても、イカの権利(イカ権)は世間で広く認知されるに至った。

 イカを携帯して何が良いかというと、刃物などの銃刀類が単純所持から禁止されている日本で、不審な何者かに襲われたとき、イカを思いっきり握って、イカスミをぶちまけるのである。そして、目くらましをしている隙に、逃げる。

 それ以外に何か能力があるかと言えば、実はこれがまったくもって何もない。

 せいぜい、イカスミパックでもして一日の顔の脂汗を落とすくらいだが、生臭いという理由で使わない人もけっこう多い。

 日中、道ばたを歩いているとき、腕に10本の足でしっかりと抱きついているイカ・ポータブルは、とても愛嬌があり、大人気アイテムだった。モデルや芸能人がこぞっていいイカを身につけ始め、イカにもブランド志向が芽生えた。

 特に役立つわけでもなく、オシャレのためだけに携帯していイカだったが、人間との共存関係は良好であるかに見えた。

 あるとき、海から、大きな大きなイカが上陸してきた。

 それは、全長10mは優に越す、ダイオウイカであった。ダイオウイカは、自分にも特権を与えろとばかりに、人間に携行されているイカたちを引きはがし、人間そのものを襲い始めた。

 しかし、体調も15cmくらいなら愛嬌もあるが、m単位ででかいダイオウイカなど、元より携行できるはずもない。それでも、ダイオウイカは無理矢理人間に取り付こうとする。その8本の足と2本の触腕を振りかざし、日本人を捕まえては、イカスミで真っ黒にしていった。イカスミをかけられた人は、あまりの生臭さに、家から出てこられなくなった。

 首都圏は、混乱した。ただし、首都圏とはいえ、海がない埼玉と栃木とグンマーは、別になんと言うこともなかった。

 この危機に、イカたちが立ち上がった。

 首都圏のみならず、全国各地位で人間によって携行されていたイカたちが、首都圏に集結。ダイオウイカに勝負を挑んだ。イカに対抗するのに、イカの力を結集したのだ。

 双方、触椀で相手をむち打つか、イカスミをぶっかけるしか攻撃方法がないものだから、東京は昼でも真っ黒な街になってしまった。

 丸々一週間かけて、ひとしきりイカスミを吐き終わった後、ダイオウイカは、イカ・ポータブルたちと一緒に、海に帰っていった。何がどうなったのか、誰にもわからなかった。ただ、ダイオウイカに負けて、東京中の道に打ち上げられたイカたちがいたことと、東京がイカスミまみれになった、という結果だけがそこにあった。

「やっぱイカは食べるもんだろ」

 既に死んでしまったイカたちを、供養のつもりもあってか、刺身にして食べた。おいしかった。新鮮な状態のイカは、血管が浮き出るほどに透明だが、一度命を絶たれると、次第に色が白く濁り始める。その色が変わったイカを、唐揚げにしたり、イカリングにしたりして、人々は食べて食べて食べまくった。

 そして、一ヶ月もすると、みんな、飽きた。

 ブーム発生から一年後、誰も、イカを携帯しなくなった。イカ・ポータブルの時代は去った。そしておそらくは、更に十年ほど未来においては、懐かしのアイテムとして、雑誌で特集されるまで、誰も思い出すことはないのだろう。

 日本でのイカ・ブームは、去った。

 その一連の騒動を、海外のメディアは、真面目に分析するのも馬鹿馬鹿いので、最終的には真面目に報道することはなかった。東洋の神秘も、行きすぎれば呆れられるのだ。

 ちなみに、50代以上のおっさんたちが夢見た、「イカ天ブームの再来」は、特になかった。




            <終わり>